Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

9月のポトラッチ・カウント(2)

2024年09月18日 06時30分00秒 | Weblog
 「同じ新国立劇場の中劇場にて『夏祭浪花鑑』を9月歌舞伎公演(9月1日(日)~25日(水))でも同時期に上演いたします。文楽・歌舞伎の『夏祭浪花鑑』の“競演”にもご注目ください。

 文楽・歌舞伎の両方で「夏祭浪花鑑」を鑑賞出来るチャンスである。
 但し、文楽では「釣船三婦内の段」と「長町浦の段」の2段が上演されるのに対し、歌舞伎ではこれに加えて「住吉鳥居前の場」も上演される。
 というわけで、私はセット券を購入して、文楽→歌舞伎の順に観たのだが、これは逆の方が良かった。
 というのも、歌舞伎の方は、冒頭で片岡亀蔵氏による「入門『夏祭浪花鑑』をたのしむ」があり、鑑賞のポイント(以下の3点)が提示されていたからである。
① 男同士の達引
② 女の意地
③ 泥まみれの死闘
 ①の「達引」と②の「意地」は同義と見てよく、そのことは、セリフから一目瞭然である。
 すなわち、「釣船三婦の段」では、三婦とお辰との間のシンメトリカルなやり取り:

三婦「(磯之丞とお辰との間に何かがあっては)俺の男が立たぬ!
お辰「(磯之丞の身柄を預かれないのであれば)私の女が立たぬ!

である。
 ラストでは、団七もこの種のセリフを吐く。

団七「さうしられてはこの九郎兵衛の顔がどうも立ちませぬ
  「ヤアそれではこの九郎兵衛がどうも顔が立たぬ

 お辰や団七がこれほど「顔」を気にするのは、「恩」のある磯之丞(とその”イエ”である玉島家)に対する「忠」=「返礼する義務」を極めて重視しているからである。
 要するに、この人たちは、réciprocité(レシプロシテ:相互依存、互酬性)の枠内から一歩も出ることが出来ないのである。
 徳兵衛も同じであり、団七と「兄弟」(水平的な紐帯)の契りを結んだのも、共に玉島家に「恩」(垂直的な関係の基盤)があるからであり、やはりréciprocitéの枠内で生きている。
 親族関係においてもこうした「垂直的な関係」が根本であり、「孝」が倫理の中核をなしていた。
 それゆえ親殺しは死罪、しかも「獄門」(=斬首および晒し首、情状によっては引廻し)とされたわけである。
 加えて、ラストの、

団七「悪い人でも舅は親、南無阿弥陀仏

は、”イエ”倫理の適用(というか、構成員の把握)において姻族を血族と区別しない特殊日本的な思考を示しており、「孝」は舅にも適用された。
 なので、「舅殺し」=「親殺し」となる。
 ・・・さて、ポトラッチ・ポイントの算定については、既に4月に行っており(4月のポトラッチ・カウント(2))、結論は6.0。
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