Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

抑圧されたものの行方(2)

2022年06月10日 06時30分03秒 | Weblog
懲役18年!東名あおり運転事故・石橋被告の「壮絶イジメ写真」 額に「肉」という文字をマジックペンで書かれ…
 「本誌18年12月28日号で、石橋被告の知人は取材に対してこう語っていた。
「つい数年前まで、アイツは地元の仲間の中でイジメを受けていました。普段の石橋は口数の少ない大人しいタイプ。自分の意見を主張しないので、仲間内でもイジられキャラでしたね。あおり運転で報じられている姿とは違って、強気な態度ではなかったようです」
 気弱でイジメられっ子だった石橋被告だが、車を運転すると豹変する傾向があったようだ。


「人生狂わされた」明徳義塾監督の暴力支配を生徒が告発!うさぎ跳び等1000回で両足骨折、失神しても平手打ち
 「前出の明徳義塾関係者は、着任当時の大石監督についてこう証言する。
「当時は、直接的な暴力はありませんでした。女子部員をロープで数珠繋ぎにし、大石監督が運転する原付バイクで引っ張り、延々と走らせているのを見たことがあります」

 「現在、日本空手協会の首席師範補佐である大石監督の父・武士氏は、こう語った。
「うさぎ跳びを1000回ですか。いくらなんでもそんなにやらせないでしょう。私は何も聞いていません。(宗伯氏には)暴力ではなく、口で指導しろと話しています」


 この2つのニュースには、私が見る限り、ある共通点がある。
 それは、「攻撃者(あるいは攻撃そのもの)との同一視」である。

自我と防衛
 「この少年は、召使がドアをあけてくれると、そのやり方がのろく、不注意だといって大声で叱るのであった。彼はドアをおしてはぷんぷん怒ってはいるが、逆に、分別もなく強くベルをならすやつだといって叱られはしないか、という不安で一杯であった。彼は召使に叱られはしないかと思ったから、怒られる前に召使を叱ったのである。この予防手段として召使を叱る激しさは、彼の不安の強さを示すものであった。彼は自分を攻撃するかもしれない実在の人物に対して、わざと攻撃的になっているのである。」(p142)

 丸山眞男先生による「抑圧移譲」のロジックは有名だが、この原型が、おそらくアンナ・フロイトによる防衛機制だと思う。
 いずれにせよ、若年者に対する暴力は、いったん抑圧されるとしても、後でとんでもない帰結をもたらしうるわけである。

 
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鼻歌協奏曲

2022年06月09日 06時30分58秒 | Weblog
マルティン・ガルシア×東京21世紀管弦楽団「協奏曲の夕べ」

 この人は、「全身で弾く」ところがキーシンと似ているが、さらに特徴が加わっている。
 それは、「鼻歌」である。
 中学生のころからグレン・グールドの鼻歌交じりの「ゴルトベルク変奏曲」を聴き慣れている私でも、さすがに協奏曲で鼻歌を歌うピアニストは観たことがなかった。
 ショパン・コンクールでは、予選は鼻歌全開、本選では鼻歌封印という使い分けをしたそうだが、コンサートではソロのときも協奏曲でも鼻歌全開である。
 個人的には、この人の演奏については、CDではなく、DVDが欲しいところである。
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失業の輸出入

2022年06月08日 06時30分30秒 | Weblog
 弁護士会で菅野和夫先生を講師に招いて研修を行うというので、二十数年ぶりに先生の講義を聴きに行った。
 3部構成となっており、第1部では労働法制の歴史についての概説があった。
 やはり、日本は、労働法の領域でも「外圧」に左右されてきたことを痛感する。
 90年代以降の「グローバリズム」に伴う「非正規雇用の拡大」はまさしく「外圧」に対処したものだが、それに先立つ80年代においては、諸外国からの「失業の輸出」という批判をかわす目的で、(90年代とは逆方向だが)「労働時間規制」が行われていたのである。
 「失業の輸出」という言葉から、私は、エマニュエル・トッド氏の指摘を思い出した。

グローバリズムが世界を滅ぼす エマニュエル・トッド ハジュン・チャン 中野剛志 藤井聡 柴山桂太 堀茂樹
・・・私はついに理解したのです。・・・各国は、近隣国を競争相手にすることで、グローバル化した世界の中で生き延びようとしています。ドイツがどの国を相手に自国の経済や産業、金融のバランスを取ろうとしているかといえば、それは自国のパートナーに対して、つまりフランスに対して、イタリアに対してなのです。
 アジアに目を転じても、中国でも、事情は似たようなものだといえるでしょう。
」(p162)

 グローバリズムは「失業の輸出」、つまり一種の近隣窮乏化政策だというわけである。
 分かりやすく言えば、「近隣の低労働コスト国の労働を利用して出来た製商品を遠く離れた需要国に売って稼ぐ」という発想である。
 こうした観点からすると、日本の労働法制は、「失業の輸出」から「失業の輸入」へと転換したに過ぎないようである。
 そろそろこの悪循環から抜け出し、「安定的な内需とそれに基づく雇用の安定」といった、まっとうな発想に基づく政策が出てこないものだろうか?
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平和な休日

2022年06月07日 06時30分24秒 | Weblog
 休日のサンシャインシティは、都内でいちばん平和な場所の一つだと思う。
 お昼前後は家族連れでにぎわい、飲食店などはどこも大行列である。
 この少子化の時代にありながら、ここではびっくりするほどたくさんの家族連れの姿を見ることが出来るのである。
 おとといの日曜日、私はたまたま用事があって、11時前に駅からサンシャインシティに向かって歩き出したところ、タワーマンションの谷間にある狭い通路を7、8人の警官たちが占拠していた。
 警官たちは上を見上げているので、おそらくは飛び降りがあったのだろう。

70代女性飛び降り死亡、東池袋 孫か、3歳男児意識不明
 「5日午前10時20分ごろ、東京都豊島区東池袋4丁目のタワーマンションから住人とみられる70代の女性が飛び降り、その場で死亡が確認された。同じ時間帯にマンションの一室で孫とみられる男児(3)の意識がないと母親から通報があり、病院で治療を受けている。警視庁池袋署は女性が自殺したとみて身元確認を進め、男児の容体との関連を調べる。

 こんな日も、サンシャインシティでは、たくさんの家族連れがいつものように平和な休日を楽しんでいる。
 みんな一様に幸せそうで、「羊は安らかに草を食み」という言葉が似つかわしい。
 すぐ近くで飛び降りがあったなどとはとても想像できないほどで、おそらくここはウクライナとは対極の場所なのではないだろうか?
 ・・・こういう光景をみながら歩いているうちに、「アンナ・カレーニナ」の冒頭の一文を思い出した。

『アンナ・カレーニナ』冒頭文もいろいろ
 「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である

 合掌。
 
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行動食(2)

2022年06月06日 06時30分22秒 | Weblog
おすすめ行動食【携行食)3】柿ピーは甘いものが苦手な人でも食べられて好きな量を簡単に食べられる!
 「甘いものが苦手な登山者でも食べられるとあって、行動食の定番としても人気な「柿ピー」。
 柿の種はもち米でできているため糖質があり、さらにピーナッツは植物油脂(脂質)を含んでいるため、同時に摂取できるのが嬉しいポイントです。


 行動食はどら焼きが最強と思っている私だが、柿の種もリュックの中に入れている。
 どら焼きだけだとやはり甘すぎるし、汗をかくと塩分補給も必要なので、柿の種は重宝する。
 しかも、どら焼きと柿の種を交互に食べると、たくさん栄養補給が出来そうな気がするのである。
 それにしても、どら焼きに「ショートニング」を入れたり、柿の種に「アミノ酸」を使ったりするのは、健康上宜しくないようである。
 なんとかならないものだろうか?
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脚力温存

2022年06月05日 07時36分00秒 | Weblog
大人の遠足book 富士五湖周辺の山あるき
 「釈迦ヶ岳~府駒山・・・すずらん群生地からは、舗装林道をたどって⑧釈迦ヶ岳登山口に戻る。河口湖方面への⑨すずらんの里入口バス停はここから約40分。石和温泉駅行きの上芦川バス停へは約50分の舗装道路歩きとなる。

 2011年出版ということで、古くなってしまったが、情報量が多くて助かるので、私は今でも使っている。
 だが、上に引用したくだりなどは要注意である。
 確かに、上芦川バス停からは石和温泉駅行きのバスが出ているのだが、1日3本(8時33分、13時6分、17時6分)だけである。
 なので、13時6分の便を逃すと、次は17時6分になってしまう。
 しかも、上芦川から石和温泉駅(これが最寄り駅)までは、バスで約50分かかる。
 「次の便まで4時間もあるや。なら歩いてしまおう!」とはなかなかいかない。
 バスで50分のルートを、既に3~4時間山道を踏破した後に、重たい登山靴を履いて歩くことを想像してみるとよい。
 こういうことがあり得るから、どんな場合でも脚力は温存しておくに限るのである。
 
 
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過度の楽観

2022年06月04日 06時30分33秒 | Weblog
「プーチンの本性」を見破れなかった西側の誤算 歴史家が恐れる世界が「大惨事」へと至る筋書き
 「1989年に発表した「歴史の終わり?」という論文で一躍有名になったアメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、ロシアの「完全な」敗北を自信たっぷりに予測して私を驚かせた。
 「ロシア軍の戦線崩壊は突然、壊滅的なかたちで起こりうる」とフクヤマは書いている。「軍が敗北を喫したら、プーチンは生き延びられない」。
 しかも、「ロシアが敗れれば、『自由の新生』が可能になり、グローバルな民主主義の凋落状態にまつわる失意から私たちを救い出してくれる。1989年の精神は生き続けるのだ」。


 過度の楽観というほかなく、これについては、ニーアル・ファーガソン氏が説得力のある反論を行っている。
 歴史学が、ジェノサイドはもちろんナチズムの分析すら出来ていないことは、既に指摘されたとおり。
 根本原因がつかめていない状況は変わっていない。
 見過ごされがちだが、プーチンという一人の独裁者が問題なのではない。
 こうした人物をやすやすとトップにしてしまい、歯止めをかけることのできない・しない一般の国民、独裁を守るかのような統治システム、さらに、前線で残虐行為を繰り返す軍人たちの思考こそが、最大の問題なのである。
 「自由の新生」に至るまでに、これほどの犠牲が払われなければならないこと自体、第二次大戦の惨禍から教訓をくみとっていないという大きな失敗を示している。
 なので、通常の感覚を持った人であれば、フクヤマ氏のように「楽観」して傍観しているような気持にはなれないはずである。
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憲法の出番?

2022年06月03日 06時30分52秒 | Weblog
憲法学者が、民法の除斥期間について解説
 「旧優生保護法判決
 実は、東京高裁は、除斥期間の適用を制限する梃子としたのは、憲法だったのです。


 やや長いが、東京高裁の判示を引用する。
 「憲法は国の最高法規であり(憲法98条1項)、国務大臣、国会議員等の公務員は、憲法を尊重し擁護する義務を負うものである(同法99条)ことからすると、憲法違反の法律に基づく施策によって生じた被害の救済を、憲法より下位規範である民法724条後段を無条件に適用することによって拒絶することは、慎重であるべきである。
 加えて、控訴人に生じた損害賠償請求権は、憲法17条に基づいて保障された権利である。確かに、憲法17条に基づく国家賠償制度の具体的、細目的な事項の設計や法制度化は、国会の合理的な裁量に委ねられており、これを具体化する法律として国賠法が規定され、国賠法4条は国家賠償制度においても民法724条後段を含む民法の不法行為制度を国家賠償制度に導入しているところである。
 しかし、権力を法的に独占する国と私人との関係が問題となっている本件において、本来、対等な私人間の関係を規律する法律である民法の条文の適用・解釈に当たっては、公務員の違法な行為に対して救済を求める国民の憲法上保障された権利を実質的に損なうことのないように留意しなければならないというべきである。
 そもそも、被害者が自己の受けた被害自体は認識していたとしても、それが不法行為により生じたものであることを認識できないうちは、加害者に対して損害賠償請求権を行使することは現実に期待できないのであるから、それ以前に当該権利が除斥期間の経過により当然に消滅するというのは、被害者にとって極めて酷であるといわざるを得ない。
 国家賠償請求を含む不法行為制度の理念は、損害の公平な分担にあるところ、被控訴人は、平成8年改正後も、国連自由権規約委員会の勧告や日弁連の提言などがされているにもかかわらず、優生手術について十分な調査をして、被害者が自己の受けた被害についての情報を入手できる制度を整備することを怠ってきたこと等からすると、除斥期間の経過という一事をもって、そのような被控訴人が損害賠償責任を免れ、被害者の権利を消滅させることは、被害者に生じた被害の重大性に照らしても、著しく正義・公平の理念に反するというべき特段の事情があるものと認めるのが相当である。


 だが、これは、憲法を援用したというよりも、さらにその基底にある法の一般原則を援用したとみるべきケースかもしれない。
 例えば、ウクライナ市民が、領土内に侵攻したロシア兵を「押し戻す」際に、これが「違法でない」ことを根拠づけようとして、「ウクライナ憲法」を持ち出す必要があるだろうか?
 つまり、ぎりぎりの局面では、憲法を援用する必要すらなくなるのである。
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個人の覚醒(2)

2022年06月02日 06時30分16秒 | Weblog
怒鳴って校歌指導、丸刈り強制…「シメ」あったのか? 済々黌元生徒の賠償請求訴訟、30日判決
 「「本当にそう言ってるんですか」。6年前に同校を卒業した県内の20代男性は学校側の主張に首をかしげる。入学直後、知り合いの上級生に「茶番みたいな脅しがある」と聞いていた。ある日、応援団を含む上級生が急に教室にやって来て、机をたたいて怒鳴る。「だらだらするな!」。事前に聞いていたため、驚かなかったが「ストレスを感じた人もいたはず」と振り返る。

済々黌高等学校 口コミ
 「部活
活気のある部活動ばかりで、インターハイに出るような部もありますが、その一方で伝統を重んじますから、昔そうであったように練習時間を長く、多く取ればよいと考える指導者も多数存在していまして、休みなく練習しているのに結果がなかなか出ない部活の生徒から聞かれるのは「もっと練習を減らせば怪我も減り士気も上がるのに」といった内容ばかりです。入る部活によって満足度は大きく異なりますが、先輩の本音としてはやはり新入生に多く入部してほしいので、どうしても厳しい部分であったり理解に苦しむ「シメ」(野球部を含む多くの部活動で今年度から廃止)の文化は隠される傾向にあります。
」(2020年12月投稿)

 判決は請求を棄却したが、おそらく事実認定にはおかしなところがあるのだろう。
 私の心証は、「シメ」はおそらくあるというもので、(まさしく判決が述べたところの)集団思考・集団志向を強化するための、一種の(軍事化)イニシエーションであろう(抑圧されたものの行方)。
 この高校の目と鼻の先にある旧五校(現熊本大学)で長いこと教鞭をとっていた夏目漱石は、「いったいいつまで「個人の覚醒」を待てばよいのだ!」と嘆いているかもしれない。
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後味の悪い傑作

2022年06月01日 06時30分54秒 | Weblog
映画『叫びとささやき』ネタバレ感想と結末までのあらすじ。ベルイマン監督が家族の愛憎と人の欲望を“強烈な赤”で彩る
 「叫びもささやきもかくして沈黙に帰した。その一言で、映画は幕を閉じました。

 またベルイマン作品を観ているが、「叫びとささやき」もなかなかの傑作である。
(それにしても、この解説の見事なこと!)
 だが、非常に後味が悪く、特に夜寝る前に観るのはよくないと思う。
 エンディングの「叫びもささやきもかくして沈黙に帰した」という一文は、後味の悪さを決定的なものにしている。
 そういえば、映画に限らず、「後味の悪い傑作」というのは結構多い。
 小説で言えば、やはり「白鯨」(MOBY-DICK)などはその筆頭だろう。
 エンディングの「ピークォド号の沈没」(実は、この後にEPILOGUEがあるのだが・・・)の一文は次のとおり。
 ”Now small flows flew screaming over the yet yawning gulf; a sullen white surf beat against its steep sides; then all collapsed, and the great shroud of the sea rolled on as it rolled five thousand years ago.

 「いま、小さな水禽が、まだ口を開いている深淵の上を啼きながら舞い、渋面した白波がその険しい側面を叩いた。やがてすべては潰え滅び、大いなる海の柩衣は、五千年前と同じうねりをうねりつづけた。」(田中西二郎訳)
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