パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

落語を受け入れる世界

2007年01月03日 09時43分33秒 | Weblog
さすがに新年のテレビ番組はお笑いが多い
「笑門福来」が縁起が良いのだろうが
ほとんどの局でもやっていた

聞くところによると落語ブームらしい
自分もチョッと前のマイブームは落語だった
古今亭志ん生、志ん朝、三遊亭圓生、柳家小さん
桂歌丸、桂米朝等
他人のCD借りて通勤時に聞いたものだった

特に志ん朝の好きな人がいて全集の大半を
貸してもらったが、その中で好きだったのが
「大工調べ」「文七元結」「井戸の茶碗」
「化け物使い」

よく言われるように「上手い」とか「芸がすばらしい」
なんて全然気にならなかった
と言うより「この親子は無邪気だなあ」
が第一印象、なにしろ後味がさっぱりしている
「人としていい奴なんだろうな」が
次も聞こうという気を起こさせる

だが自分が落語を聞こうと思ったキッカケは
笑いのためではない
実は市井の人の感覚を知りたいと思ったからだ

明治維新の朝、
一般の庶民はどんな生活をしていたのだろう
江戸時代、武士が威張っていた時代、
長屋の住民は何を笑い、何に腹を立てていたのだろう
そんなことが知りたくて聞き始めたのだ

すると今の時代にも通じる、
生き生きとした、普通の、素直な感覚が
そこにはあふれていた

井戸の茶碗や文七元結におけるやせ我慢
(売ったものは売ったもの、売ったものの中に何が入っていたとしても
  返品は一切受け取らない、
 買った物は仏像、中のものは買ってないので中のものは受け取れない
  {井戸の茶碗})

(困った状況の中で、もっと困っている人を見捨てることが出来ず
 お金をあげてしまうが、ここでもあげたものはあげたもの
  いらなくなったと言って今更受け取れない{文七元結})

こんな感覚がとても心洗われる

だが、もっと羨ましいのは、こうした話を
普通に受け入れていたその時代の気持ちの余裕

借金漬けの人々、見栄っ張りの人々
こすっからい人々
何でもありーの、
しかし、正しいこと、あるべきことが、ぶれない世界
羨ましいな!

今は昔より豊かなんだろうか?

お金だけが全てではない世界
意地を張って(合理的だったり賢くなくても)
やせ我慢していた世界
感情がもっと素直に表現できた世界

本当はこんな世界の方が
豊かな世界ではないだろうか
コメント
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