何にもしない正月は究極の贅沢かもしれないけれど
少しばかり退屈で近所を散歩してみた
歩く早さというのはいいものだ
普段気がつかないものまで目に入ってくる
近所で知っているとばかり思っていた風景でも
改めてのんびり歩くと結構知らないことに
驚いてしまう
このあたりの家は田舎で土地に困らないせいか
大きな家が多い
建坪50~60坪くらいの家がごろごろしている
そのうちの古い、縁側のあるような
瓦葺で木の壁になっている家は
周りの風景と馴染んでとても落ち着いている
そこで品のないことだが
これらの家はいったいどれだけの金額が
かかっているのだろうか?
そして、その金額は東京なら
どのくらいの広さのマンションや
一戸建ての家になるのか
等と思ってしまった
すると土地の利便性とか有効性とかは
分からないではないが
この土地の広い家と東京の狭い家が
同じ金額(価値)というのが
なんだか不思議に思えてきた
そういうものなんだ
と当たり前に考えていることだが
やはり少し変のような気がする
全てをお金に換算して価値を決めているのだが
どうも全てがそれで上手くいくようには思えない
落語に「みかん」と言うのがあるが
夏にみかんを食べたがる若旦那のために
大枚をはたいて手に入れたみかん
そのみかんのひとかけらを
退職金がわりにもらうバカバカしさを
笑ったものだが
今の時代も知らず知らず
そんなことしてないだろうか?
少しばかり退屈で近所を散歩してみた
歩く早さというのはいいものだ
普段気がつかないものまで目に入ってくる
近所で知っているとばかり思っていた風景でも
改めてのんびり歩くと結構知らないことに
驚いてしまう
このあたりの家は田舎で土地に困らないせいか
大きな家が多い
建坪50~60坪くらいの家がごろごろしている
そのうちの古い、縁側のあるような
瓦葺で木の壁になっている家は
周りの風景と馴染んでとても落ち着いている
そこで品のないことだが
これらの家はいったいどれだけの金額が
かかっているのだろうか?
そして、その金額は東京なら
どのくらいの広さのマンションや
一戸建ての家になるのか
等と思ってしまった
すると土地の利便性とか有効性とかは
分からないではないが
この土地の広い家と東京の狭い家が
同じ金額(価値)というのが
なんだか不思議に思えてきた
そういうものなんだ
と当たり前に考えていることだが
やはり少し変のような気がする
全てをお金に換算して価値を決めているのだが
どうも全てがそれで上手くいくようには思えない
落語に「みかん」と言うのがあるが
夏にみかんを食べたがる若旦那のために
大枚をはたいて手に入れたみかん
そのみかんのひとかけらを
退職金がわりにもらうバカバカしさを
笑ったものだが
今の時代も知らず知らず
そんなことしてないだろうか?