パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

007 カジノ・ロワイヤル

2007年01月06日 20時26分08秒 | Weblog
映画は見ないとずっと見ない状態が続くが
見出すと反対に連続して見てしまう
お正月映画「007 カジノ・ロワイヤル」
先日の「敬愛なるベートーヴェン」に引き続き
ファースト上演の安い価格で見てきた

ダニエル・クレイグのジェームス・ボンドは
最初地味な印象がしたのだが、
徐々に(見慣れてくるにしたがって)
可愛いところがあって、ハンサムで
しっとりしていて、スパイらしく意志が強そうで
結構いけると思えるようになってきた
先代のピアース・ブロスナン や先々代のロジャー・ムーアが
派手っこいアクション映画になっていたのに対し
今度のはアクションはあるのだが
アクションシーンより静かなシーンが後に残る

だからストーリーがどんな風に展開するかが楽しみで
(どんな馬鹿しあいがあるのだろうと)
火薬、カーチェイスが主役の今までのものより
しっとりして、「スパイ映画」らしかった

だが、今日一番感じたのは
この映画を見ている自分の変化だ
面白かったとかどうのこうのの批評ではなく
もうこの手の映画はいやだな、
と思ったのだ
なぜって?
それは人が死ぬから、人を殺してしまうからだ

設定として悪人だから勧善懲悪で
生を奪われても仕方ない人物でも
人を殺すシーンとか死ぬシーンはいやだなと思ったのだ

フィクションでエンターテインメントであったとしても
人が人の生を奪うというのは、
やはり気分のよいものではない
(今なら仕置き人や暴れん坊将軍でも
成敗のシーンに違和感を感じてしまうかもしれない)

人には潜在的に破壊願望があるのかもしれない
それを認めてたうえで
なおかつ、映画が代わりに
それを果たしてくれているとしても
もういやだな、が先立ってしまった

敵、味方 単純に2つに分けてしまうことに
少しづつ耐えられなくなっているのだろうか?

それとも、たかが映画に
大げさすぎる反応だろうか?
コメント
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