パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

無神経な張り紙

2008年04月02日 20時57分39秒 | Weblog
さて花見だ!と気張ってカメラを手に持って
いざ写そうとすると案外多いのが邪魔物

多すぎる人の頭が画面に入るというのではなく
入ってくるのは看板や風景にそぐわない素材の
ガードレールなど

今日も桜のきれいな、城の入り口で
冴えないものを見かけた
そこには風景に馴染むように公衆電話が
木製の常夜灯みたいな形の中に収められていたのだが
興ざめなのはその電話の存在を知らせる
説明の紙が「公衆電話」と無造作に貼られていた

これは全くいただけない
少なくともそこで写真を撮ろうなんて気は絶対に起きない

お役所が親切に張り紙をしてくれたのだろうが
それにしても全くあわない

実際こんな事は多くある
桜のきれいな道も、実用性だけで味気ない
白いガードレールなどで区分けされていたりする

流石に京都の寺での道案内は
木製の杭に縄を張って地面や庭の緑、石に
違和感の少ない心配りがされている
ところが年に一度だけ賑やかくなる様な地区では
そんな風に回りにあう様な素材や色彩選びなどは、なされていない

最近このような事が気になって仕方ない
機能さえ果たしていればそれでよいのか!
果たしてそれは美しいか?等とまではいかなくても
少なくとも調和しているかどうかは気にしてほしいものだ

この姿を見ると最近のこの国の
「とりあえずやっとくだけ」の姿勢や
経費をかけずに、その結果見苦しくても平気な
何か根本の哲学、審美眼が欠けた風潮が見られる様な気がしてならない

ホント、こんな状態で大丈夫なのかな?この国は




コメント
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