2、3日前から駐車場に野性のすみれが咲いていて
それを今日デジカメで撮影し
通勤途中で聞いたNHKFMから流れてきたのが
モーツァルトの「すみれ」
それで、久しぶりの共時性!
などと思いながら耳を傾けていたが
モーツァルトは耳に心地よいけれど
よく聞くと単純な繰り返しはなくて
それこそ人間の移ろいやすい気分を
よく現しているように思える
モーツァルトの後でシューベルトの歌曲を
3曲放送したがモーツァルトの後では
どこかゴツゴツした感じが否めない
もっとも、それだけ素朴ということかもしれないけれど
年を重ねるとモーツァルトの凄さが分かってくる
といわれるのは理解できるような気がする
というか、自分もそんな風に思うようになった
大げさなことをしなくても、
スッと自分の表現したいことを
完璧にバランスよく、しかも美しく
まるでおしゃべりのようにこなしていくモーツァルト
チャイコフスキーなんかを聞いた後は
そのあまりの大仰さに少しばかり参った心を
モーツァルトの音楽はホッとした安心感を与えてくれる
だが反面確かに怖いな!
と思うことがあるのも事実
音楽が怖い!というのではなく
その完璧さゆえの畏怖みたいなものを
感じてしまう瞬間があるということ
モーツァルトのどの曲がすきか?などと
生誕250年の年、アンケートに答えたことがあったが
正直なところ気分によって変わってくるから
それは答えづらい!
答えにはなっていないかもしれないが
一番心情に近いのは
モーツァルトという存在が好き!
本当にモーツァルトを楽しめる人は
幸せだと思う
自分が精神的に落ち着いているかどうかは
どうやら
モーツァルトの音楽を楽しめるときは順調!
そうでないときは不調!のようだ
それを今日デジカメで撮影し
通勤途中で聞いたNHKFMから流れてきたのが
モーツァルトの「すみれ」
それで、久しぶりの共時性!
などと思いながら耳を傾けていたが
モーツァルトは耳に心地よいけれど
よく聞くと単純な繰り返しはなくて
それこそ人間の移ろいやすい気分を
よく現しているように思える
モーツァルトの後でシューベルトの歌曲を
3曲放送したがモーツァルトの後では
どこかゴツゴツした感じが否めない
もっとも、それだけ素朴ということかもしれないけれど
年を重ねるとモーツァルトの凄さが分かってくる
といわれるのは理解できるような気がする
というか、自分もそんな風に思うようになった
大げさなことをしなくても、
スッと自分の表現したいことを
完璧にバランスよく、しかも美しく
まるでおしゃべりのようにこなしていくモーツァルト
チャイコフスキーなんかを聞いた後は
そのあまりの大仰さに少しばかり参った心を
モーツァルトの音楽はホッとした安心感を与えてくれる
だが反面確かに怖いな!
と思うことがあるのも事実
音楽が怖い!というのではなく
その完璧さゆえの畏怖みたいなものを
感じてしまう瞬間があるということ
モーツァルトのどの曲がすきか?などと
生誕250年の年、アンケートに答えたことがあったが
正直なところ気分によって変わってくるから
それは答えづらい!
答えにはなっていないかもしれないが
一番心情に近いのは
モーツァルトという存在が好き!
本当にモーツァルトを楽しめる人は
幸せだと思う
自分が精神的に落ち着いているかどうかは
どうやら
モーツァルトの音楽を楽しめるときは順調!
そうでないときは不調!のようだ