やっと2階のオーディオのある部屋にいても
耐えられる気温になった
久しぶりに真空管を付けっぱなしにして
準備万端で聞き始めたのは
ブラームスのクラリネット5重奏曲
秋になると本当にブラームスは良い
来年のラ・フォル・ジュルネはブラームス周辺らしい
この曲と4番のシンフォニーは外せないかな
音楽は大音量で聞くわけではない
そんな時は改めてレコードの音の方がCDの音より
分厚く感じられる
CDは低音量で聞くとただただ貧弱なだけ
で、最近はレコードばっかり
おかげで最近のレパートリーが増えない
買うのは中古レコードばかりで
古いものばっかり
次に聞いたのはレコードをゴソゴソ探していたとき
ボックスが目についたのブルックナーの交響曲のフルトヴェングラー指揮のもの
それも9番の第3楽章
何度か聞いていたがイメージでは
伸び縮みが激しく、貧弱な音でブルックナーらしくない
と思ったが、今日改めて聞いてみて
いやいやそんな事はなかった
確かに金管は一部ヒステリックな音になる事はあるが
古い割には弦のトレモロも効果的で
ベルリンフィルの低弦の迫力もそれとなく感じられる
楽器間のフレーズの受け渡し、会話は生演奏のよさそのもの
フルトヴェングラーは指揮しているというより
始まってしまった音楽の流れを演奏家各人の音楽性に委ね
時折、コントロールしているようだ
それでいてがっちりと全体像は把握しているような
しかし、考えてみるとこの演奏
1944年10月7日 まだ第2次世界大戦の最中でのこと
時代背景を思うと、この集中力の深さ、ひたむきさは不思議だ
音楽に対し芸術至上主義を貫いているような
(そうせざるを得なかったかもしれないが)
その姿は、悲劇的な国民の祈りとさえ思えてくる
とにかくイメージの自己陶酔の演奏とは違って
それもあり!
といった演奏で、いつまでも永遠に続いてほしい
と聴衆も思ったのではないだろうか?
音楽が終わると、また戦争の毎日と言う現実
その中で音楽は何ができたのだろう?
瞬間的な気休めだけ?
時代背景のせいだけじゃなく
フルトヴェングラーはやっぱり傑出した音楽家だ
ホント、生演奏を聴いてみたかったな