まるで共時性の一例のように、昨日ここでとりあげた想像性についての
面白いニュースが報道された
それは予想外の観客数の伸びを見せている映画の紹介で
その映画はアニメで、全くセリフがないそうだ
観客は表情・仕草を見て想像して楽しむのだそうだ
この不便と思われる情報不足が却って一人ひとりの自由な解釈を生み
それを人に伝えようとする行為が、映画の観客の広がりを生んでいるのだそうだ
これはわかりやすさとの対極にあるのかもしれない
人は受動的に楽しむよりは能動的に楽しむほうを好ましい
と感じているかもしれない
ただし、面倒くさいと思う人も否定できないが
話は変わってフジテレビのゴタゴタ
2回目の記者会見は16時から始まって、終えたのは深夜の2時過ぎ
自ら招いたこととは言え、ちょいと同情も禁じ得ない
その中で本質とは関係ないことが話題となった
それは質問者の態度というか質問の技術のこと
市の意見交換会・議会報告会でもよく見られる光景だが
質問者の話が長すぎたり、質問なのか意見なのか
それとも怒りの発散なのか、そうしたものが入り混じって
口調もきつくなってしまうという事態がそこでも見られたらしいこと
流石にこれは一般の人からも評判は悪かったようだ
もう少し整理された質問をすべきとか、論点を絞って質問をするように
運営を図るべきだったとか、つまりはカオス状態は異常だったとする考え方だ
しかし、こうしたカオス状態はある程度許されるべきものだとする考えもあるようだ
行儀よく進められてしまうと、この手の進行になれていない人は感情の発散場所が
ないとか、世間に蔓延している空気感を伝えることができない
とかの弊害もあるとする考え方だ
それは記者クラブに見られるおとなしい従順な態度に対する一つの抵抗だ
要は常識の範囲内で行われれば良いのだが、これが思いの外難しい
怒りは一種の個性で、それがあるお陰で世の中が是正されるということは
現実にあるし、その例を自分も見ている(自分は怒りっぽくないので怒ったのは別の人だが)
こんな風にあれこれ考えていると、今の人に必要なのは
自分の考えを上手くまとめて人に伝えるという技術ではないかと思う
技術より肝心なのは思いかもしれないが、伝えるという点においては
習得することのできる技術は有効と思われる
実際のところ、それをどこで、どうやって身につけるかが問題だ
学校で?それとも自分で? さて!
最新の画像[もっと見る]
- 「すべての、白いものたちの」を読んで思い浮かべたこと 4日前
- 成功体験は大事 1週間前
- ドクターイエローは見たけれど 1週間前
- ドクターイエローは見たけれど 1週間前
- 「赤松小三郎ともう一つの明治維新」 2週間前
- 「赤松小三郎ともう一つの明治維新」 2週間前
- 知らないことは、呆れるほど多い 2週間前
- そろそろ読み終えないとまずいかも 3週間前
- 1月2日 4週間前
- 1月2日 4週間前