パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「法に則って」進めているだけ(新城市長リコール運動)

2016年01月05日 17時38分17秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

なぜか急に長い間中断
今年になって再開したと思ったら、いきなり2日連続の投稿
(しかも長い!)
傍目にはちょっと大丈夫か?
と心配するくらい感情的に見える新城穂積市長のブログ 

連続してリコールのことが取り上げられている
1/4は仕事始め、ブログ再開のタイトル(http://tomako.dosugoi.net/d2016-01-04.html
今日1/5は「人の批判は簡単」、ではない話のタイトル(http://tomako.dosugoi.net/d2016-01-05.html
確かにリコール運動が始まってしまうことは腹立たしいことかもしれない
しかし、リコールを求める会は「法に則って」行っているだけこと
「請求主旨」がどうのとか、対案がないのは無責任だとか
言ったところで仕方のないことだ

本来ならば、何故リコール運動が起きてしまうのか
を自問自答しなければならないはずだが
市長は「2年前の市長選のリベンジ」との認識で
これも何かピント外れな指摘
(市長はこの手の闘いにしたいという意図があるのかもしれない )

自分でなくても他の人がFBで市長のブログにツッコミを入れているが
一番の問題点は、何故リコール運動が起きてしまったのか
ということではないのか
誰だってリコール運動なんてしたくない
それでも市民をリコール運動に駆り立ててしまったのは何故か

これは、昨年の住民投票が終わった後に
何故住民投票が起きてしまったのか
住民投票の前に妥協、話し合う機会はなかったのか
という総括がなされておらず、住民投票の結果が出た後でも
相変わらず市民の声を聞かない姿勢を続けていたからに他ならないのではないのか

実際のところ本当は住民投票もリコール運動も無い方がいい
そしてそんなことを避けるチャンスはいくらでもあったはず
住民投票は市民が対案を作ってきた時に真摯に向きあえば
リコール運動は、住民投票の結果を踏まえて庁舎の見直しに真摯に向きあえば
こんなことにならないはず
そしてこの市民の声を聞かない姿勢は庁舎だけでなく産廃問題でも見られた 

「政治判断」の一言で市長はこれこれと判断したとよく言うが
市民は「市民判断」で「市長は市民の声を聞いていない」と判断し
行動に移したということだ

市長は「結果責任が問われる世界に生きる人々」と自分のことを述べているが
結果責任をいうなら「住民投票を求められ、しかも負けてしまい」
更に「リコール運動」まで起きてしまったということに責任は感じないのだろうか

相手を批判する前に、まずはこうなってしまったことを自省すべきではないのか
(それにしても市長を擁護する新友会なるもののチラシ、
  いったあれは何だったのか 、あんなチラシを黙認する市長のセンス、大丈夫か?)

参考資料 請求主旨のpdf

先日紹介したものより更に活発になった白井議員のブログコメント欄
(ここは時間のある方は是非のぞいてみてください
  リコールについての情報・知識が増えてきます) 


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする