最近アニメ絡みで流行りの聖地巡礼などは、馬鹿げた勢いにのった行動
などと斜めに構えていたが、思い起こしてみると
何ことはない自分も似たようなことをしていた
大好きなアントン・ブルックナーとベートーヴェン絡みの聖地
そこを目的としてわざわざ出かけていた(2013年と2015年)
ブルックナーはオーストリアのリンツにある聖フローリアン修道院とその周辺の風景
ベートーヴェンはウィーンのハイリゲンシュタットのまちなみと小川
しかしこれは単に自分の中で、そこに行ったという満足感だけでは終わらないでいる
というより、彼らの作品の理解が深まったような気さえする
ブルックナーの2番のアダージョや6番のアダージョを聴くと
聖フローリアン修道院のあたりの風景が頭に浮かぶ(何故か雨が降った光景)
9番のアダージョは教会の天井の絵(上へ上へと昇る構図の絵)を思い起こさせて
それらの楽曲は生まれるべして生まれるような気がする
ベートーヴェンも似たようなもので
ピアノ協奏曲皇帝の第二楽章やヴァイオリン協奏曲の第二楽章を聴くときは
ハイリゲンシュタットのエロイカガッセのまちなみの(なんてこと無い普通の道に過ぎないが)
映像が頭に浮かぶ
その場所に行って、そこの風景を見て、そこの空気を吸って
そこで話されている会話を聞いて、そこで食べているものを食べて
故人と同じ経験をしてみる、、
たったそれだけのことが、体験として深く刻まれ故人の心情への
理解に繋がる(思い込みであるにせよ)
人が自分の身体の感覚を用いて生身に感じること
それを求めて多くの人が聖地巡礼をする
その気持ち、、なんとなくわかる、、、
(流行りだなんて馬鹿にしちゃいけない)