パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「神仏習合」(全然覚えていないので本を購入、読んでみた)

2017年05月24日 09時03分37秒 | 

どこかの誰かさんが美しい国と言って
明治時代を手本に復古したいような雰囲気だが
その明治時代は、それほど正しいものとしてだけ評価されるものなのか
その再評価は必要かもしれない
(第二次世界大戦もその延長上にあるのだから) 

アフガニスタンではかつてタリバンがバーミヤン大仏を破壊した
人類の貴重な遺産として残すべきものを、偶像崇拝を認めない原理主義の
一部のイスラム教の人が 取り返しのつかないことをした

そのニュースを日本では、馬鹿なことを、、、
と他人事のように反応しただけかもしれないが
かつて日本も明治時代に廃仏毀釈というタリバンと似たようなことを起こしている
(あの井伊直虎絡みの龍潭寺も被害を受けている) 

物部氏と蘇我氏が仏教の取り入れについて闘い
結果的には聖武天皇が奈良の大仏をつくるまでにいたり
また奈良・京都には門跡といわれる皇室の関連した寺院が数多くある
その仏教をいきなり否定する思考
それは確かに明治から始まったものではないかもしれないが(江戸時代から兆しはあった)
何故、そんなことになったのか、、、を考える前に
日本の仏教と神道の関係が、そもそもどんな関係だったのか興味が湧いて
こんな本をAmazonで購入した

「神仏習合」義江彰夫著 岩波新書

「神仏習合」は中学・高校の歴史の授業で聞いたはずの言葉だ
しかし例のごとく 悲しいくらい何も覚えていない
実はこの本とは別に同じタイトルの本を図書館から借りてきている
同じ内容の本を3冊読めば、理解できるようになる、、という言葉があるが
とりあえずの2冊というところ

そして、急ぎ足でざっと読んでみた(なにも慌てることはないのだが)
なるほど、この本は現実的な視点から「神仏習合」を捉えている
宗教的というよりは政治的な、もっと言えば税金を集める効果的なシステムとしての活用
が書かれていて、これは、現代人の自分にはとてもわかり易い、、、
人というやつは、いつの時代もしょうもない、、、と思いつつ
読後時間が経つと、この視点からだけ物事を捉えて良いものか、、とも気になった
背景にある世の中の気分、そうしたものの大きさを政治上の解釈だけで説明できるか
神仏習合を求めるメンタリティは、、本当は何処にあったのか、、、

もっともこの本でもそれは充分書かれている(かも知れない)
ただ最初の税金を集める手段としての解釈の印象が強すぎて、
他の考えになかなか方向転換できない

まだ図書館から借りてた方(逵 日出典著)は読み終えていない
こちらの方は政治的な視点からと言うよりは少しのんびりした視点
とりあえず、読み終えてわかった気分になろう

ところで先日読み終えた三島由紀夫の「奔馬」
この中には、仏教を嫌う国粋主義者の話が出ていた
自分にはよく理解・共感できないこの一本気な思考が
なんとなく現代にもあるような気がして、、、少し不安

日本人が試行錯誤で、曖昧な、しかし暮らしやすいシステムを
作り上げたかもしれない「神仏習合」
もう少しお勉強する価値はあるかもしれない

 

 



 

 

 

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