「忖度」という聞きなれない言葉が一気に主役に躍り出た今年の前半
お役人さんに関する言葉で比較的よく使われるのが「粛々」という言葉
これは国会だけでなく、市議会でも聞くことがあった
同様に、市議会でも国会でもよく耳にするのは「適切に」という言葉
この言葉はとても使い勝手のよい言葉のようだ
きちんと手続きを踏んで行っている(粛々と)の様に使われるがイメージだが
さて肝心な「適切に」と判断しているのは誰か?となると
どうも身内の理屈っぽいところがあって、果たして本当に「適切」だったかは
かなり怪しいのではないかとさえ思える
(最近の例では森友学園の文書管理等)
「適切」が、誰でも納得するような判断基準があるわけではなく、
当事者たちが独自の判断で「適切に」としているだけにすぎないように見える
問題は「適切に行われた」ことがらが、本当に適切だったかを確かめることが出来ないことで
お役人が「適切に」行ったと言う行動を「適切でなかった」と批判しようとしても
「適切でない」根拠は「適切である」根拠と同じくらい客観性を欠いている可能性がある
このあたりは、性善説に基づいていて人は文字通り「適切に」(あれこれ難しい理屈は捏ねずに
普通一般に感じるような意味合いで)行動してくれるものとしている体系があるのかもしれない
最近残念なのは、この共通項的な「適切な」という使われ方をすべき言葉が
使い勝手のよい言葉として、好き勝手に使われ気味なことだ
そこには全人格的な人が存在せず、
単なる技術者(専門家)としての知識・技術が要求され、それ以上のことは
管理に面倒なことが起こるので要求されない傾向があるのではないか
お役人さんも1人の生活者
家族もあれば、同僚も上司もいる、そんななかで「適切に」判断するのは
該当案件の法的な都合だけで終止するわけではない
今の官僚の人たち、大変だな、、
本当に当たり前に「適切に」判断し、行うことが出来れば
もう少し世の中はスッキリしそうな気がするが、、
とまあ、よくまとまらない独断と偏見の独り言、、