パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

裁判ごっこ

2018年07月19日 05時54分22秒 | 徒然なるままに

裁判などという非日常の現場を見ることがあったので、つい以前に裁判ごっこをしたのを思い出した

それは自分がサッカーのコーチをしていた時のことで、確か3.4年担当のときだった
サッカーが好きなのか、みんなでワイワイするのが好きなのかわからないが
毎週楽しそうに来ていたと思っていたが、それでも子どもたちはよく喧嘩をした
あまりにも多いので、一つ一つ理由を聞いて対処するなどということはなかったが
心配はいらず、彼らは喧嘩していても数分後にはお互い笑いあっているなどということはザラで
彼ら子供の頭というのは記憶力というのはないのか、現在起きていることへの対応しかないのか、、
などと思ったものだ

ある時、双子の兄弟が喧嘩した(いつものこと)
彼らは元気ないたずらっ子タイプで、感情のコントロールなんて得意じゃなかった(子供だから仕方ない?)
練習も一段落するときだったので、フト、裁判みたいなことをしてみようと思った
彼らを対面して座らせ、周りを他の子どもたちが見守り、彼らの言い分を交互に聞いて
その言い分が兄弟どちらの方に分があるかを周りの子供達に決めさせようとした

その目論見は案外うまくいった
交互に話すということは、当事者も納得して、まずはAくんから喧嘩のきっかけを
次にBくんに同じように聞く
案外うまくいったというのは、周りの子どもたちも興味深く聞いていたし
当事者同士も相手が話しているときは口を挟むなんてことはしなくて
とりあえず交互に話すことは確保できた

さてその内容がどうだったか、肝心なところは忘れてしまったが
どちらかが先に手を出したが、その前に手を出すような怒りを覚えさせる口での攻撃をした
ということだった、、ように思う

交互に話すと言っても子供のこと、何回目には同じことの繰り返しになった(それは仕方ない)
で、周りの子どもたちは、どちらを支持したかも残念ながら覚えていない
(どちらもあったような気がするが、手を出したほうが悪い、、という方が多かったかな)

残念ながら覚えているのは、このようなことをしたという事実と
自分が彼らに伝えたこと(確かこの様な話をしたという記憶)
「言葉は人の心に傷を与えるから暴力にもなるよ
お父さんやお母さんから言葉で叱られただけで、ぶたれなくても悲しくなったりするだろう
そして落ち込んでしまうだろう
言葉は体のどこかを傷つけることはないかもしれないけど、気をつけなくちゃいけないと思うな」

果たしてこの後、子どもたちがどの様な反応をしたのか、、覚えていない
面白そうだったけど、飽きちゃった、、喧嘩も言い分を口にしたら、もういいや、、、みたいな
感じだったのではないか、、と思う

でも、子どもたちとの練習は本当に楽しかった
いつものように列を抜かしたからと言って喧嘩をし、ゲームで失点したキーパーを情け容赦無く責めたり
お互い服を掴んでボールの取り合いをしてしても相手方のファウルだと言い続けたり、、
褒められたくてまとわりついたり、褒められたのが嬉しくて練習後の後片付けも積極的に手伝ってくれたり、、

今思いだすと、あの時自分はコーチをしていたのではなく、子どもたちに遊んでもらっていた
という気がする、、それも、時間がたつに連れてますますその思いは強くなってきている

こんな可愛い子どもたちの一人が、先日新聞で高校野球のキャプテンとして頑張っているのが紹介された
あの〇〇が、、あのときのイメージとはだいぶ違うが、こういう話は嬉しいものだった



コメント
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