吉田と富安がいないから、中国よりはずっと攻撃に迫力のあるサウジ戦は心配だった
先の中国戦では板倉、谷口も悪くなかったので多少期待はしたが
問題は点を取れないことだ
負けないことを優先するか、相手よりたくさんの点をとって勝ちを目指すか
このあたりは考え方の相違ですべては結果が決める
日本は今のところイタリアのように負けないことを優先しそうな国民性?
韓国は勝ちを目指す
だから韓国には良いストライカーが育ち、
日本はゲームに責任がはっきりしないMFが育つ
昨日のワールドカップアジア最終予選の対サウジ戦
結果は2−0で予想外
スタメンは中国戦と同じ大迫・伊東・南野のFW陣で
日本のサッカー専門以外のメディアが騒いでいるほど半端ないものではない
このチームはむしろ遠藤航、守田、田中碧のボランチと後ろが特徴で
点が取れるかが心配だった
前の試合と同じメンバーというのは安定しているかもしれないが、期待感はない
選手のコミュニケーションとか意思疎通というが、感覚的にあう選手同士
というのはあるもので、右サイドの伊東と酒井宏樹は感覚が合うようだ
左サイドの南野と長友は、ビッグネームだがどこかしっくり来ない
南野は存在感がなく今日もだめか、交代があるかも、、などと考え始めたとき
南野が先制点をあげた
これだからサッカーは難しい
得点自体が少ないサッカーというゲームは、点を取ることができる選手は一種の才能だ
FWはそれまで何の活躍をしていなくても、ワンチャンスを決めるとヒーローになれる
南野の評価はその得点のために良い方に行きそうだが、セルジオ越後さんが辛口で言うように
それほど良いものではなかったと思う
話は変わるが、日本社会はスペシャリストを育てるのか?
それともジェネラリストを育てるのか?
どっちなんだと思うことがある
現場で経験を踏んだ現場好きな人も結局は総合職の力を求められる
これはサッカーにおいてはFWも守備能力を求められるのと似ている
中継の解説でもFWの献身的な守備という言葉をよく耳にする
確かに現代サッカーではその部分は必要だ
だが、これでFWを評価するのは間違いだと思う
FWの評価はあくまでも結果、つまり得点だ
点をよく取る選手は相手にとって脅威だ
だから彼をフリーにしたくない
そこで彼に神経がいき、彼の近くに陣取る(高い位置をとれなくなる)
するとそのFWは走り回って守備をしなくても
相手の攻撃の人数をかけさせないことになるので
その時点ですでに何らかの守備をしていることになる
こうした考え方をするようにならないと、、日本はいつまでも
一生懸命頑張っているが、、点は取れないということに落ち着きそう
(と思えてならない)
これは決してFWが守備をしなくていいというのではない
あくまでも自己の適切な判断で行うべきだと思うし、
守りはFWが特殊な能力が要求されのと同様に守りの能力も要求されるのではないか
その点では最近の富安は一人の存在感が大きい
それでも、とりあえずは良かったサウジ戦
だが日本のサッカーは厳しい戦いで、新しい戦力を確かめられない傾向が続く
勝ちにこだわらざるを得ないと安定した(熟成した)メンバーの器用になる
だがそれが続くと、、遂には停滞が訪れる
これなんかは社会でも似たようなものだと感じる
新しい試みは必要なのだが、新しい試みのように見せて
旧態依然の仕事をしようとしている社会(これは何を暗喩しているか?)
思いきれないのは国民性か