方言とかある言葉がどのくらいのスピードで世間に広がるか?
を研究した人がいた(研究は江戸時代だったかな?)
情けないがその結論は覚えていない
覚えているのはそのような研究をした人がいたというだけだが
えらく遅かったような、、(年速10キロとか?)
このような情報の伝達とかそれに伴う心の変化のスピードは
どのくらいなのだろうか?
現代ではテレビとか新聞とかインターネットで瞬時に広がる
と考えられそうだが、実は思いのほか遅いのではないか
特にSNS絡みの情報はどうしても一部の人には広がるが
関心のない人には全く影響を与えない
その情報はとても大事で、みんなが知って一度立ち止まってよく考えるべきだ
と思われるような情報も悲しいくらい伝わらない
その情報が選挙という究極の選択に左右するものでも
いつまで経っても、知る人ぞ知るの状態から抜け出せない
これは情報が肝心なものほどこのような傾向にあるように思える
確かに瞬時に広がる情報もある
誰々が金メダル獲得したという話は感情の高ぶりをもって一気に広がる
その裏話まであっという間に広がる
だが、七面倒臭い真面目な情報はプッシュ型であっても人の心に届かない
格差とか不公平とか不正とか、こうした問題の基礎となる現状認識の把握は
残念ながらすっと理解できるというわけにはいかない
理解するためには背景知識が必要で、その知識を得るには自発的な気づきとか
働きかけが必要だからだが、人はなかなかそうはならない
焦りを感じるのはこうしたことで、例えば市政の予算の使い方とか
(大きく出ると)国政のことでも、明らかにマズイと思われることが出てきた時、
「知ればきっと怒りを覚えるはず!」
と思われることでも、それが知られないために世の中は何事もなく過ぎて行くように思えてしまう
(NHKの字幕問題、維新のヒトラー絡みのイチャモン、自民党京都府連の奇妙なお金の流れ)
「知れば怒りを覚えるはず」が仮にそうでないとしても
それを知ってることと知らないでは大きく違う
残念ながら人が心の持ちようを変えるのは、人から言われた時ではなく
内的な気付きによる時しかない
その気付きのスピードがあまりにものんびりしていると
間に合わないことになってしまうそう、、と不安を覚えるこの頃
ということで、少しイライラが募っている