パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

想像力(あるいは人の尊厳を思いやること)

2022年02月23日 10時12分15秒 | あれこれ考えること

誰もがその発言に注目し、その言葉は影響力をもつが
(法的に)自らの思いを自由に発出することのできない人が日本にいる
だから形として出る言葉は短くてもすごく考えられた文章になっている
今朝、目にした文章にこんなのがあった

「他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、
 尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております」

祈ることを役目としている特殊な日本一有名な方の言葉だ
これは誰が言おうがその通りだと思う

だが残念なことにこれは実現されていないのが今の世の中だ
(だからこそこの言葉が出てきたのだろう)

想像力の欠如(あるいは他人の尊厳の無視)
最近危機感をもって実感するのがこのことだ
あたり前のことだが人と人の間には言葉を通しての会話がある
ところがその会話が対立する場合、条件反射的な脊髄反応のような類で
瞬間的な鋭さとか過激さしか意味を持ちえないことがある
論破と言ってみたり、一方的な理屈を、あるときは人格攻撃的な要素まで
混じえて攻撃する(ツイッターなどのSNSに多い)
それはもはや会話ではない
それはストレス解消の意味しか持ち得ない

なぜそれらがこんなに多くなってしまったのか?
確かにSNSがその傾向に拍車をかけているのは事実だと思われる
しかし、それだけでなく社会全体にストレスが溜まっているからと自分は思う

その対処として、ストレスに強い人間とか社会を作るのも一つの手だが
個人的には「ゆるい常識が共通項として成り立つ、笑いの絶えない社会」
が住み良さそうと思う

しかし、それをどうやって実現するか、、、
ただ言えるのは、そのための努力を諦めたらダメだということ


コメント
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