本当か嘘か知らないが、こんな話がある
ゲーテとベートーヴェンがある通り(道)で話していたところ
身分の高い公爵(?)か誰かが通った
その時ゲーテは会釈して挨拶をしたが、ベートーヴェンはそうしなかったというのだ
ベートーヴェンにすれば、人間的に尊敬に値するかどうかわからない人物に
頭を下げるなどということは意味のないことと思い
ゲーテにすれば、無視することで一悶着起きそうなことはしないでおくのが
世間の知恵と考えたのかもしれない
これを現在の社会に置き換えてみると、政治家の人(国会議員)に出会った時
我々はどんな態度を示すだろう
少なくとも彼らを「先生」と呼ぶことは自分はしたくない
尤も、あちらの方も見ず知らずの人間が一人や二人不遜な態度でいたところで
なんの思いも感じないだろうが
ベートーヴェンとゲーテ
自分はベートーヴェンの方に共感を覚えるタイプかな、さて
行き帰りの道は帰りのほうが短く感じるのが普通
ただし、近所の子供達と校門までのウォーキングは
帰りのほうが退屈で長く感じる
盆提灯等の飾り付けと片付けは
どちらのほうが早くできるか?
掃除機をかける前に、汗をかきながら
盆提灯の片付けをしながら偉い人が口にする
圧倒的に片付けのほうが早く終る
ただし、偉い人はパーツを包んだり袋に入れたりするのが好きなので
その袋なり包み紙を前と同じように利用するのに
ちょいと記憶力が必要となる
盆提灯程度なら大した問題でないが、これが5月人形となると
毎回どのように飾り棚を作ったか?とか
並べる位置はどこだったか?とか
つけ忘れたものはないか?とか
怪しくなりつつ記憶力をモロに実感する
一年に一度しか活躍の機会がないそれらは、二階の納戸にしまってある
そのしまってある場所を理解してるのは自分じゃない
自分は力仕事として、上から下ろす役だけだ
日課は掃除機をかけるだけで大したことをしていないので
こうした細々としたことに取り組んでみると
自分が如何に生活感のない生活をしているかわかる
可燃ごみも、資源回収の瓶、ペットボトル、紙類も
日々ちゃんとしておかねばならないが
そういうことができないというか、やる気のないのは
(任せっぱなしで)イカンなとつくづく思う
生活することは、面倒くさいことを飽きずにすること
なんだか、そんな気がしてきた