歴史の一日としては昨日は国葬があった
政府は国葬ではなくて国葬儀と口にしたがっていたが
それは内閣府設置法に則った国の儀式として行うとの
理由付けのためだろう
昨日はずっと国葬のテレビ番組が多いと想像された
だから、この国葬に反対の自分はテレビを見ないでいた
反対の理由は、法的根拠が希薄だとか、お金がかかるからだけではない
そもそも安倍氏が国葬に値する人物かどうかに疑問を覚えるからだ
彼の実績は最長の総理大臣職を勤めたという点と
経済の復活、幅広い外交での成果と言われるが
経済は貧富の差が激しくなっているし
統計不正も明らかになり、経済の数字自体が怪しくなっている
外交は目に見えるものは少なく、韓国・中国との関係は戦後最悪となっている
そして死の原因となった旧統一教会とは祖父の時代からで
その関係は実は本丸のような印象さえある
自分は反安倍さんを表す「アベガー」に類する立場にいるが
この国葬を経ることにより、後に安倍さんの冷静な評価ができるのかがとても疑問だ
町山智浩さんのツイッターにはこのようなツイートがある
今から十年後。
「安倍さんって立派な総理大臣だったよね
「なんで?」
「国葬されるほどだったよ」
「なんで?」
「さあ? でも国葬されたから偉かったんじゃない?」
笑い話ではなく、こんなのはいかにもありそうな話だ
一度神格化されれば、ノータッチとなって
本来ならばきちんと検証されるべきことが有耶無耶なままにされそうだ
アベノマスクも、森友学園も、加計学園も、桜を見る会も
反対のためのネタ探しではなく、冷静に考えると納得できないことが多い
また別の若者のツイッターには
SMAPの番組にでて親しみやすい人だったとの理由で
国葬にしても良いのでは、、との投稿があった
これに近い投稿は他にも色々あるが
人は誰でも厳しい判断をしなければならない時以外は「いい人」なのが普通だ
ナチスのゲーリングは家族とか周りの人には良い父親、優しい気遣いの人だったそうだ
アイヒマンも普通の家庭人だった
人の評価は、その仕事の成果で判断されるべきだと思う
特に政治の分野は結果が全てで、後の時代の人には国葬された事実とは離れて
冷静に彼の実績を評価してほしい
今の時代は、どこでも分断が起きている
アメリカもフランスもイタリアも
ジョン・レノンの「イマジン」は全く想像上の概念になっている
それは地政学的に無理なものだったのかもしれないが
どこか、みんなそう思うと良いな!という希望が
まだ信じられたときに作られた気がする
ということで、自分は歴史の一日の国葬には反対で
これをはっきり表現して記録として残しておくのは
後の時代のために(?)意味あることだと思う