今年最初に読んだ本(小説)は、新聞の紹介欄にも掲載された「月ぞ流るる」澤田瞳子
大河ドラマ「光る君へ」と同じ平安時代を舞台にした物語
主人公は栄花物語の作者の赤染衛門(ここでは朝児【あさこ】として書かれている)
栄花物語という作品は知らないし、当然赤染衛門も知らない
だが、時代の雰囲気とか背景を知るために読み始めた
ところが、すぐに困ったことに直面した
登場人物の名前が覚えられないのだ
名前が覚えられないのは年齢のせいもあるが、使われている漢字が
現代で使われている読み方をしないこともある
例えば西行の出家前の名は(この物語には西行は登場しないが)佐藤義清の文字だが
読み方は(さとうのりきよ)で、このような例がいくつもあって
小説は最初登場する時に読み仮名をふってあるが、こちらとしては出る度に
読みがなはふっておいて欲しいと思う
この時代は家系図を理解しないと始まらないので
最初のページに登場人物の家系図やら関係図が書かれているが
一回見ただけではわからない(情けない!)
もう一つ困ったことは、物語を書いている作者の人間的なポテンシャルを感じてしまい
その総量が不足していると思えるときは一気に関心が薄くなってしまうことだ
これはわかりにくい感覚なので例を挙げると、軽いミステリーを読んでいる時と
ドストエフスキーの小説を読んでいる時の違いのようなもので
ドストエフスキーの濃密な時間経過を経験すると、おもしろくても軽いミステリーは
おもしろくなく感じてしまうというのと似ている
ということで後半は、ミステリーの顛末だけを追う雑な読み方になってしまった
残念ながら赤染衛門が物語(栄花物語)を書き始める使命感・必然性が
どうも自分には伝わらなかった
ただ、何かを残しておく、その評価はのちの人に任せる
と覚悟を決めたところは、こうして田舎のおっさんが
意味あるか無いかわからないものを残しているのと似ているかもしれない
ところで登場人物の藤原道長が、先日見た大河ドラマの道長とは全然違うキャラクターで
ちょいと頭が混乱してしまった