今日は全く個人的な内容で、読まれることよりも
自分が自分のために残したもの
「時よ止まれ、お前は美しい!」
眠れぬ夜、急に浮かんだ言葉がこれ
ゲーテのファウスト(二部)の最後の方で出て来るセリフ
生きることに飽きたり絶望していたファウストが
メフィストフェレスに死後の魂を任せることを条件に
メフィストフェレスは様々な人生経験をファウストにさせる
楽しいこと、辛いことを含めた経験をした上でファウストは
全肯定的な世界観にたどり着く
それがこのセリフ
だが悪魔(メフィストフェレス)は約束を果たすべく
自分の世界(地獄?)にファウストの魂を引き込もうとする
その先は少し予定調和のようなところがあるが
人にとっては、そのような救いが無いと辛い
大きな視野に立つ何か(神)はファウストを救い出し
大団円で物語は終わる
眠れぬ夜、今日まで当たり前のように過ごしてきたことが
今はいつ悲しみの底に落ちるかもしれない状況(妹と母の健康)で
それに対する不安、恐怖、絶望感が一旦頭に浮かぶと
それらは頭から離れられない
だが、この苦しんでいる時間こそは実は生きている瞬間とも言える
にっちもさっちも行かないこの経験をしているこの時の時間経過は
ものすごく濃厚で、生きていればこそのように思われる
だから開き直って、思い切りこの時間を味わい尽くそうとも考えた
だがそう簡単に気持ちは切り替えることはできない
そこで不意に出たファウストのセリフからインスパイアされて出てきたのが
今からは「自分で自分を褒められるようなことをしよう」だった
約30年前、大好きだった祖母が亡くなった
父は祖母よりも先の47年前に心臓の病で急死してしまった
祖母の世話母がずっと見守った
そして自分は、父が心配で仕方なかっただろう祖母に対しては
父が(向こうの世界で会ったときには)「よくやった!」
と言われるように接した
それは自分大好きだった祖母にお返しができることでもあり
ありがたいことに弱った祖母は「私は幸せだ!」と時々口にした
その時の「父に褒められるようなことをする」という基準が
今度は「自分で自分を褒められることをしよう」を基準に
すれば良いかもしれない、、、と浮かんだのだった
誰か他人の評価ではなく、自分の評価
情けない横着者を自覚している自分
その自分でも「よくやったと自分を褒める」ことができれば
「時よ止まれ、お前は美しい」の境地になれる気がする
こうした思いを表に出すことは社会的にはなんの意味もないかもしれない
だが、少なくとも自分は少しは救われる
妹は今日病院からホスピスに移動する