彼によれば、新城の市川の桜は「新城の吉野の桜」なのだそうだ
新城の桜といえば桜淵公園だが、桜淵公園の桜は宴会をするための桜
一方、市川の桜は花見のための桜で山道を歩いて楽しむもののようだ
曇り空だったが、絵心のある写真を撮る知り合いに誘われて
市川の桜を見に行った
過疎化が進むこの地区の有志が、桜を植えて見事な桜のある光景を作り上げた
昨年、この知人が市川の桜の写真を見せてくれて、
興味を持ったのを覚えていてくれて誘ってくれたのだった
車があまり通らない道を行くと、山の高いところ、裾野に桜が見える
想像よりもいい景色で、つい坂道を登ってシャッターを押す
カーブミラーに写った桜
思ったよりうまく写っていない(これが実力か)
途中で豊橋から来た人たちに出会う
この人たちは去年も来ていたそうだ
桜淵はまだ満開じゃないが、こちらは見頃で素晴らしいとの声
いつものウォーキングの距離よりも先へ先へと歩いてしまう
こうした山村で暮らすのは大変だろうな、、と思うが
地元の人と二人ほど話したが案外そうでもなさそう
地元の生活を彷彿とさせる神社があった
上ばかり見ていた景色は下を見下ろす景色になる
以前、中学時代の数学の先生だった方が、八名地区に世界の桜を植える行動に取り組んだ
慌てず、焦らず、、この方はそう自分に言い聞かせて頑張った
一度それを見に行ったが、残念ながら記憶に残っていない
(若い時はそんなもんなのか?感性が鈍かったのか?)
知り合いも自分も、今日のウォーキングはこれで終了とした
歩行距離は3キロと少しだった(坂道だったとしても、少なすぎる?)
あっけなく棄却された行政訴訟
失望とか怒りだけでなく、その判断自体に納得できない部分が多いので
先の段階に行くことにした
そのためには、その判断を下した理由を具体的に述べなければならない
弁護士が原告と相談しながら作成した理由書を読むと
変な言い方だがこれがとても面白い
それはまるでミステリーの謎解きのようだ
ここで詳しく紹介できないのが残念に思えるほどだ
(どの程度紹介していいかわからないので)
一般論で終始している相手側の主張を
一つ一つ例外的に進められていることを証拠とともに解釈を行い
先の判断が間違いだと訴えている
こちらは当然のことながらよく分かる
とてもスッキリして、こういうスッキリした進め方は
まるで補助金申請の文章のようにさえ思える
だが判定を下すのは自分等じゃない
制度は訴える機会を与えるまではなっているが
どうもそれ以上ではなさそうな印象
それにしても、時間のかかること
この時間経過で多くの人は、こうしたことがあることを忘れてしまっている
結果として、少人数で行われているクレームに過ぎない!
と感じさせないためには、どうしたら良いのだろう
備忘録のために、取り上げてみた