靴はちゃんと揃えて!
薬はラベルが見えるようにして置くように!
ハンガーに掛ける時はきちんと、、
いつも叱られながら聞くことになるのだが
だらしないことに、なかなか修正できていない
あれ見に行って!
月木の可燃ごみの収集に来た後のネットの様子をチェックするように言われる
カラスがゴミをぶちまけないようにネットでカバーするようになっているが
収集が終わると、ネットはだらしなく広がったままだ
それを我慢できない同居人は、自分で直しに行ったり
このように命令したりしてきれいに畳まれている状態にする
同居人は他の家と道路の境にたくましく咲いている雑草が気になって仕方ない
気にならないのかしら、、、と何回かつぶやいて、そのうちにとうとう草刈りに出かける
道沿いなので交通事故に遭わないか心配だが、暇を見つけてコツコツと行う
〇〇さんの家の雑草もきれいになっていた
と知り合いの家のことを話しかけて来る
〇〇さんも見苦しい雑草状態を我慢できない人だから本当によく働く
そして自分の守備範囲以外も、、、
我慢できなくなってよその場所も手をいれるのはご苦労さんと思うし
それが自然にできる人たちはエライな、、と思う
だがこれは公共心というより、彼女らの美意識のなせる技のように思える
大上段に構えた公共心より、周りに見えるものはスッキリしている方が良い
ただそれだけのような気がする
世の中には同居人と同じようなことをする人が多くいる
結果的に公共的な行為になっているが、その人達もだらしない環境は
我慢出来ないのだろう、、と想像してしまう
ということで、きれいに感じるという感覚は公共的な行為に繋がりそう
と思うこの頃