大阪でよく使われる「しらんけど!を、前もって宣言しておくが
なんだか変だなと感じることが昨日あった
それは地区の公民館で行われた市議会議員と国会議員との
「共産党と政治を語る会」を見聞きしたあとに湧き出た思いだ
自分は共産党員ではない、実際に滅多なことでは共産党に投票しない
だが市議会議員A氏の活動にはいつも驚きと一種の感謝を覚える
弱者とか運悪く恵まれない人たちに対する思いとか
行政の理不尽な判断とか行為に対して丁寧な調査による批判とか
こうあって欲しいという未来への提案は納得できるものだ
市議会議員だけでなく国会の中継を見れば共産党の議員の質問は
その質の高さは際立っていて、今の日本の問題点がわかってくる
そしてその印象は昨日の会合でも同じような印象をもてた
国会議員も市議会議員もまずは人間として、自然と湧き上がる
同情とか怒りに対して政治的な解決法とか問題指摘が行われた
(そして会合に来ていた一般社会人の党員の方々も真面目な質問を行った)
会が終わって全体を通しての印象は「真面目な人達だなあ」ということ
だがそこで不思議に思ったのは
何故この人たちが多くの支持を得られないのだろうか?
という疑問だった(前回の選挙は芳しい結果とは言えなかった)
それは別の党の人間だが小川淳也氏を映画監督の大島新氏が見続けていて
「クソ真面目なこの人が何故こんなに苦労しなければならないのか?
何故、報われないのか?」という疑問を覚えたのと同じだ
(「なぜ君は総理大臣になれないのか」という映画のきっかけは
この思いだったそうだ)
しらんけど!と自信をもって表にするが、マルクスの「資本論」は
その内容の多くは有名な剰余価値とか搾取の記述ではなく
貧困に悩む人々への共感とそれを許している社会への怒りだそうだ
そこにはジャーナリストとしてのマルクスの面目躍如らしい
(読んでないので、らしいとしか表現できない)
なぜか報われない人々
そういう人たちが世の中には存在する
そして悲しいことにそれは真面目故に報われないのかもしれない
とさえ思えてきた
今の世の中は権威主義が、つまりは強いものが弱いものを支配し
それが持続している世の中に思えるし、そこには真面目さとか人間的要素より
立場をわきまえた処世術に長けることと、その場しのぎの弁舌の巧みさが
必要とされているような気がしてならない
多分、共産党にも広がりを実現出来ない致命的な何かがあると思われる
それが何か?を考えるのは当事者たちとなるが
それでも彼らの真面目さ人間ぽいところを見ると
もう少し報われても良いような気がしてならない
人間、歳を重ねると保守的になると言われ
自分にも確かにその傾向はあるかもしれないが
それでも変だなと思えることには正直に向かい合いたい
まとまらない話