パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

毎日行うこと、作り続けることは難しい

2025年01月11日 09時19分33秒 | あれこれ考えること

バッハもモーツァルトも多作だった
創作意欲に富んでいたというよりは依頼されて作ったものが多い
バッハは教会から、モーツァルトは貴族などから
それぞれジャンルを指定されて職人として音楽を生み出した

多作ということは一つの才能だと思うが
これが自発的に可能かと言えばそれはなかなか難しい
このボケ防止の日課も、あっという間にネタが尽きる
そしてネタ探しに四苦八苦する

だから週ごとのテーマを決めて実行するとか、
新聞記事からの寸評とか読書の感想を定期的にするとか
つまりは機械的に行う方法も一つの手段だ

毎日の献立に困る女性は、機械的にローテーションする
メニューを決めておくのも賢い方法とされているが
その日になって、そのメニューでは気分が乗らない
ということもあるので、考えておいたほど実践的ではないようだ

多作を可能にするにはテクニックが必要だと思う
バッハは無尽蔵に音楽を作り出したというよりは
一種の作曲のパターンを身に着けていたようだ
作曲のパターンと言うよりはメロディの作り方の方法が
技術論で処理されているような気がする

バッハの音楽(メロディとかモチーフ)の変形の仕方は
ジャズのそれに似ているといつも思う
それと比べるとモーツァルトは、多少パターン化された癖があるかもしれないが
気の向くまま感情の赴くまま生まれている気がする

クラシック音楽のもう一人の大物ベートーヴェンは
本質的には思索をイメージさせる音楽だが
ときに意外とメロディメーカーを思わせることがある
(これはジョン・レノンの音楽を連想する)

ということでベートーヴェンを除いて、多作の要因は
他人からの依頼が必要ということだ
尤も、現代社会でも出版社から依頼があった故に多作だった人もいた
松本清張は一時期いくつもの作品を同時進行して
書き続けていたらしい(話が混乱してしまわないのは凄い)

そしていつもそうした人の行動で驚きを覚えるのは
一発で完成原稿に近いものを作成する能力で
三島由紀夫などの原稿用紙はすごく綺麗だったのを
見た記憶がある

ベートーヴェンみたいに一つ一つ手直ししていたら多作は不可能だ
ただし、ベートーヴェンの手直しは完成品の完成度からすれば
そういう過程が必要不可欠だったといえる

つまりは個人の性格とか特徴によって音楽も小説も完成していく
ということなのだが、それでも適度な創作のきっかけは
誰にでも必要なんだろうなとは思う

自発的にとか内的ななにかに動かされて創作するというのは
実はなかなか難しいと思えるこの頃

いつものまとまらない話

コメント
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