パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

論語は一般化できない

2014年05月26日 14時13分14秒 | あれこれ考えること
有名な不惑のある論語の一節


子曰、
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。

これは孔子の回想というなら、そんなものか
と納得できても、これを一般化したり目標とするのは
かなり難しい
(いや、多分できない)

自分などはとっくに不惑を越えているが
相変わらず迷ってばかり
まして天命を知るなどとだいそれた事は
とんと思いつかない

もっとも、できないことだから目標として掲げる
というのはありかもしれない

多くの人は子供の頃思い描いていた大人とか老人のイメージと
実際自分がその年令になって感じることのギャップに驚く
人間として少しも進歩していないとか
大人ってこんなものだったのか、、、と

もちろん計画通りの人生を送っているようにみえる人もいる
しかし、この歳になるとあまり真正面から
人生をより良くするためにはかくあるべしみたいな
トーンで話されると、どうも胡散臭く感じてしまう

人間は誰もがその歳を初めて体験する
と言ったのはラ・ロシュフコーだったかな
いずれにせよ、人間そんなに大したもんじゃない
というのが実感
だからこそ、深遠な高尚な言葉、目標を掲げるものなのだろうが


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