新緑のGWを挟んだこの時期、コロナウィルスの心配もなく
毎年やってくる健気なお客さんがいる
帰省というより仕舞われていた納戸から表舞台への登場だ
展示する場所がない当事者の代わりに我が家で飾ることになって何十年
毎年、4月の良い日を選んで2階の納戸からの引っ越しだ
毎年やっていてもその都度どうやって飾るのか(土台を含めて)悩んでしまうのは
少しも覚えていないことに家族はショックを覚えるときもある
今年はちょうちんの電球が切れていて、飾ってる最中に電気屋に買いに出かけた
土台は家にあるいろんな箱や板などを利用しているが
その利用の仕方とか位置関係は写真を撮ってそれを参考にしている
連休中に顔を見せに来たちびっ子は、去年は人形を「怖い」と言っていたが
今年は飾られていたお菓子を見つけ
「これ欲しい、、」とねだるようになっていた
成長とはこういうものだと思ったりする(優先するのは食いものか!)
昨日のこどもの日まで存在感たっぷりに飾って、次は片付け
飾る時より片付けは楽なはずだが、天気が悪いと気分がのらないので
雨模様でない今日のうちに片付けることにした
幾つかの箱に一つ一つのパーツを紙にくるんでしまう
時々、仕舞い忘れたり、箱の詰め方に迷うところがあるのはご愛嬌
記憶はいつも思うが変なもので、飾られたものより
飾っている記憶の方が印象に残っている
子供の頃の雛人形は、やはり家にある裁ち台とかいろんなものを使って
ひな壇を作っていたのが、知ってはいけない秘密を知ったようで
なんだかワクワクした気持ちを覚えている
毎年同じことを繰り返す
それが面倒でもとても貴重なこと(時間)と思うようになっている
また来年、、、
そう言って彼らと別れる
腰が痛くてこれらの飾り・片付けの作業は楽ではないが
それでもずっと続けることができたら、、願うばかりだ