右にあったものを左に移して、何か書かれているがもう見ることはなさそうな紙類を
思い切ってゴミ箱に移動させて、積読状態の本を本棚に押し込んで
こうして自分の部屋から大掃除は始まっていく
流石に始まる前は自分の部屋ながらきれいとは言えず、ゴミ屋敷まではいかないとしても
褒められたものではない
だが、本のありかは無秩序状態でもどこにあるかは頭に中に入っているので
その位置を変えることには少し不安を覚える
毎年の行事、大掃除
毎日少しづつやっておけば、まとめて大掃除などすることはない
と今年も思い知る(少しも反省していないのは今の政権のよう?)
集中力が続くのはわずか二時間
それをすぎると飽きてくるが
部屋はゴミや本が片付いて前より広くなっている
やっぱりやった甲斐はあるものだ
日常業務の得意な命令を下すお方は、相変わらず黙々と仕事を探して体や手を動かす
毎年の同じ光景(昨日のこと)
だがフト、幸せというものはこうした当たり前の日常にあるのではないかと思ったりする
昨日あったことが今日もある
去年したことを今年もする
限られた時間の中では、時間を味わうこと自体に意味があるのかもしれない