パンセ(みたいなものを目指して)

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新城市議会傍聴

2015年03月09日 20時07分46秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

初めて市議会の傍聴を経験した
恥ずかしながら新城市の市議会所が何処にあるのかも知らなかった
そして議会運営のシステムが国会と同じようなものだとも知らなかった
(もっとも国会のシステムを知っているわけでもないが〉

傍聴席に出かけた理由は例の新市庁舎の再考を
求める住民投票について署名の結果を踏まえての
推移を知りたかったから

それで、予定された二人の質問の前の人の時間から
聴くことにした

なるほど、いろんな問題を話あっているものだ
と今更ながら実感
そして質問をする方の文章力、答える側の要点を把握する力
それらがよくわかった

答える方は予め質問がわかっているから答えやすいだろうが
今日の時点でも質問に短く適切に答える市の職員もいれば
聴いていてもイライラするような要点を把握していない状態での
答弁の人もいた
ぼんやりとぼかすのが技術なのか、本当に質問の意味を分かっていないのか
少し心配な面もある

さて住民投票についての署名が5日間で9000以上集まったが
それに対する意見は〈感想は?)
9000以上と行っても正式なカウントではない
選管の人がきちんとチェックした上で数を数え
議会で審議にあがった時点での意見は言えるが
いまは何かを言える状況ではない

前回の選挙で薄氷とは言え自分〈市長)が選ばれたということは
新市庁舎の問題も信託されたと考えている
しかし、9000程の数字の重さは感じているが
同時に9000人の人にも責任を持ってもらわねばならない
住民が関心を持ってもらうにはいい機会と考える

次の議員も住民投票の署名活動に走り回った人
住民投票の持って行き方として最初は常設型住民投票を選んだが
実際にそれで進めようとすると現実的な障害が多すぎる
この常設型住民投票のシステムは1昨年、時間をかけて作り上げた
新城市独自の方法だが、制度的に治すべきところはあるのではないか

この常設型住民投票のシステムは時間をかけていろんな可能性を考えて
作り上げたのだろうが、一つ考えていないことがあった
それが住民投票の実行の判断すべき市長の行動を問題として
住民投票にかけようとする場合のこと

それ以外は、なるほどと言えるシステムかもしれない
ところが当事者が問題となれば、
当事者は、分かった住民投票をしましょう
とは余程の人でない限り言わない

つまり当事者が係る問題はこのシステムではダメということ

常設型の住民投票の市システムは
市長が判断する前に市民自治会で討論され、
そこで住民投票は多くの人の意見になっていない
とか、騒いでいるのは一部の人みたいな解釈で
〈どちらもそんな解釈は無理がある)
そんな意見を踏まえて市長は参考にするのかと問えば
そもそも市民自治会は市長の諮問機関
つまり市長の意向を受けた討論をする場所
ここでも当事者に関する話以外なら良いが
当事者が絡んでは公平とはいえない

いろんな場合も考えただろうがシステムとして不備が見つかったということ
自分たちが最近つくったばかりだとしても
不備は不備、これをまともに機能させようとするなら
訂正すべき

国会も市議会も、知の戦い、バトルの面がある
冷静に筋道よく説明する能力は簡単には身につかず
優秀と感じさせる人でも長い時間をかけて身につけたものだろう
しかし人間は不思議なもので、流れすぎる言葉、美しすぎることば
きれい過ぎる言葉はどこか信じられないと思ってしまう

巧言令色鮮し仁

昔の人もそう思ったようだ

いずれにしても、この問題は
もう少し全市民的な納得が必要な案件のような気がする

ところで、市議会の傍聴は思いの外興味深かった
市の職員も議会に出る立場となるとそれなりの実力が必要で
こうした人の専門的な力は毎日の業務の蓄積とはいえ
少し感動するところがあったのも事実

次は水曜日にまた住民投票の実施についての質疑が行われる
時間を見つけて知の戦いを見に行くとしよう


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