パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

他人の経験を自分のものにはできない

2015年03月10日 19時56分09秒 | あれこれ考えること

つい少し前、中国人の爆買いが話題になっていた
今一つの日本の景気を支えるものだとか
購買客を外国人に求めるのは新しいビジネスチャンスだとか
言われていたが、そのトーンの中にどこか素直に捉えていない
気配を感じたのは自分だけだろうか

お金に任せて買いまくるのは品がないとか、、

しかし、これはかつて日本人もやっていた
ヨーロッパのブランド店へ大挙して押しかけ
嵐のように買い上げていって
その為にブランドを育ててきた人々のひんしゅくをかった
それどころか、あまりにも一般化したブランドは客離れまでしたとか

中国人の食品偽装
これだって日本人は昔やっていた
いや昔どころか今もやっている

観光地での大騒ぎ、落書き
これも悲しいかな日本人も実績がある
ハイデルベルクの学生牢だったかに日本人の観光客が
落書きをして、そのせいで同じ日本人ということで
自分が冷たい目でみられた事もあった

電車に乗るのに列を作らない中国人と言われるが
昔の日本人も似たようなもの
名鉄電車に乗る時にまだ冷暖房がなくて窓が開いていた車両
その窓から荷物を投げ込んで場所取りをしていた事もあった

結局悲しいかなどこの国も人も同じようなことをして
時間をかけて訂正していく

他の国、他人が行った行為を自分の事として真に参考にすれば
起きなかったことはたくさんある
中国のPM2.5は四日市ぜんそくを参考にすれば
もう少し考えようがあったはず

他人の経験を自らの体験と見なし
悪いことはしないようにする
これが効率的で言葉の上では当たり前のことに思えるが
現実はそういう訳にはいかない

結局他人の体験は他人の体験
自分が痛い目をするしか本当の体験にならないのが現実

時に想像力豊で他人の経験を、歴史を参考にして
自分をつくり上げることができる人が生まれるが
その人数は圧倒的に少ない
そしてその人たちの予言のような言葉は
多くの人に届かない

そこで一番心配するのが最近の社会、政治の行われ方
これはまるっきり昔の痛い経験を自分のものとしていないのではないか
そんな風に思えてならない

ドイツのワイツゼッカーの言葉
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」

日本は過去とか他人の経験を
自らのものにしていないのではないのか 
こうしたものを考慮しないポジティブな考え方と言うのは
ちょっと軽すぎるし、理性を感じない

危険な方向に舵取る世の中(と思えて仕方ない)
少しでもブレーキをかけさせなければ

 

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