岐阜市の人口が約40万、それを上回る46万人が
木村拓哉さんが扮する信長を見るために集まったと報道されている
岐阜信長祭り本番前から木村拓哉さんが見られる場所の抽選が
とんでもない倍率だとか大騒ぎだった
韓国であのような惨事があっただけに、群衆の事故は心配されるところだが
とりあえずは、何事もなかったようだ
ところで人は何故あんなに集まるのだろう
少なくとも自分は人の多いところへ行きたいタイプではない
昨日は地元の鳳来ふれあいパークでグランドマルシェという催しがあったが
でかけたものの駐車場に向かう車の渋滞を見て、すぐさまUターンしてしまった
人とか生物は、他の生物との距離はあまり短すぎるとストレスを感じてしまうようだ
電車でもエレベーターでも混み合うのは嫌だし、普段でも近すぎるのは少し気になる
ところが赤ちゃとかや恋しい人とはベタベタに触れ合っていたいとも思う
昔ラジオで聞いたある空間に生き物をオス・メスの正常な数ではなく
余分な数で閉じ込めておくとどうなるか?という実験の話を覚えている
するとその空間に適切な数で収まることはなく
結局はその集団の生き物は全滅してしまったというのだ
狭い空間で他者との距離が短すぎるとストレスが溜まって
子孫を残すという本能的な能力さえ奪ってしまった
と学者さんは解説していた
(つまりは他の生物との適切な間隔は必要ということ)
岐阜祭りもハロウィンも、人出が少なかったら(予めそう想像できたら)人は集まっただろうか
人が多いから集まるのではないだろうか
観光地に行っても人出が少ないところは、しっかり観光できるからラッキーと思うより
どこか不安になったり物足りなく感じることはありそうだ
どうも生物に必要な距離を超えて密集するのは、暴力的とも言える無意識の力のようで
分析的な思考を超えている気がする
集まるから集まるのだ、、それが単純な事実でしか無いような、、
木村拓哉さんは実物を見たことが無いが、自分は近くで見たいとは思わない
実物はなんらかのオーラを感じさせるかもしれないが
わざわざ苦労してそのために足を運ぶことは絶対ない
ならば、自分にとって誰だったら足を運ぶか?
好奇心も行動力も低下しているので、すぐに思いつかない
あえて言えば名古屋くらいに来たポール・マッカトニーの演奏会とか
やはり近くに来たクソ真面目な小川淳司氏の青空集会くらいかな
新城市にこんなに人はいたのか?
と感じるのが夏の夜店
これも人が集まるから集まるという典型の様に思われる
みんなが集まるから集まる場所・イベント
みんなが読むから手にするベストセラー本
みんなが応援するから応援するタレントさん
みんなが美味しいと言うから写真にあげる飲食店
世の中は個の意識の集合体として群衆とか大衆とかが存在するのではなく
群衆とか大衆はその規模で、それぞれ独自の存在特性を持ちそうだと思えてならない
ところで急に思い出したが、若い時、人気者だった風吹ジュンが
ある場所にくることがあって自分も好奇心に駆られて出かけたことがあった
ところが、あまりの人の多さに嫌気がさして、少しの間待つころもなく
そこから離れてしまった
昔から、多すぎる人出は苦手だったと実感する
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