リヒャルト・ワーグナーの楽劇の中に、上演が4日間にわたる作品がある
「ニーベルンクの指輪」と呼ばれる連作「ラインの黄金」「ワルキューレ」
「ジークフリート」「神々の黄昏」がそれで、それぞれが結構な時間を要する
物語は小人や巨人がでてきたり、ライン河に住む乙女がでてきたり
欠点の多い神様がでてきたり、人間がでてきたりする
映画になった「指輪物語」と同じように(愛を諦めたものが作った)指輪は
世界を支配する力を持つとされ、それを巡っての権力闘争とか
その過程で迷うことの多い人間同士の愛とか嫉妬とかが
物語をより深い作品たらしめている
これらは、いかようにも解釈可能な原型(プロトタイプ)で
ワーグナー自作の脚本には、想像上の生き物としての小人、神々、人間が現れる
この解釈の幅が大きい作品を、思いっきり現代劇のように読み替えた演出があった
ライン河に住み、時々河の近くにくる生き物をからかったり誘惑したりする乙女が
居酒屋の女性となり、神の中で一番の力を持つとされるヴォータンはタキシードを
着た人間として登場するものだ
自分は見ていないのでこれ以上のことは紹介できないが
1976年にドイツのバイロイトに訪れた時
そこで行われたバイロイト音楽祭で一番の問題となったのはこの画期的な演出だった
思いっきり現代の世相の反映とした演出はフランス人のシェローという人のアイデアだった
この年はバイロイト音楽祭100周年ということで、指揮者にフランス人のブーレーズ
演出にシェローを抜擢したのだが、バイロイトにいることができた自分は
その時、街にあふれるブーイングを肌で感じることができた
実はその前の数年の演出は、これと全く正反対の独特な演出で舞台は、ほぼ真っ暗
家も木も岩も具体的なものはなし、動きもそんなに多くない
つまりは日本の能のような世界だったらしい
(リヒャルト・ワーグナー孫のヴィーラントワーグナー演出)
そして勝手に想像することの方が好きな自分は、それを見たいと思ったものだった
世界でチケットを取りにくいとされていたバイロイト音楽祭が
最近はどうもそうでななさそうとのことだ
原因は過度の読み替えによる演出が評判が良くないせいらしい
つまり神様がタキシードを着たり、酒場で女性と戯れたりする
一見わかりやすい演出は、それ故につまらないと思う人が出てきている
ということではないだろうか
先日とりあげたハン・ガンの「すべての、白いものたちの」は
具体的な事件というより、想像の羽を広げるきっかけづくりの描写が多い
そしてそれは自分にとっては心地よいものだった
自分としてはプロトタイプはプロトタイプとして提供してほしい
そこから現代社会を想像するかどうかなどは、こちらに任せてほしい
と思うのだった
世の中のことは具体的ではなくても、想像することで
いろんなことに当てはめることができる
それは過去の出来事を現在の教訓として捉えることもできるはずだ
大事なのは、そうした一見関係なさそうなことも
今と関連づけることのできる想像力と思ったりする
相変わらず、まとまらない話
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