文春砲が炸裂して、国会がその問題にかかりっきりになって
肝心な問題を話し合う時間がない!と、一部の人は批判的に物申すが
もし文春砲が無くて、みんなが知らないままでいたならばと考えると
それはそれで恐ろしいことのように思われる
文春砲のキッカケとなった情報は、どこから出たのかは知る由もないが
想像するに内部告発的なものが存在したのではないか
事情を知っている人が、正義感あるいは何か別の意図をもって
そっと外部に情報を暗示するというのは、どこにでもいつでもありそうなことだ
このような事柄は国レベルだけでなく、地方でも存在するようだ
最近、ちょっとした内部告発のような情報を目にした
それは2013年の出来事、ある地方自治体の応援する事業がうまく行かなくなって
事業者が撤退することになった
困るのはその事業用地の今後の活用だが、同じタイプの事業をしたほうが良いだろう
との判断で、その土地の活用に公募をかけた
エントリーしたのは29社だったが、17社に絞られ、その後5社まで更に絞り込まれた
最後の5社に絞り込んだ中心人物は県会議員と知り合いの方で
現在はその事業の代表のような立場にある
残った5社はプレゼンで、どこが一番ふさわしいかを競うことになったが
そこでは当然のことながら財務情報も重要なポイントとなる(のちのちこれが問題となる)
ところが、この財務内容を示す書類がプレゼンで出されたときは手書きの雑なもので
会計印や社印がないものだったそうだ(情報開示請求で確かめたらしい)
実はこのプレゼン合戦の前に、関係者同士での会合があったようで
そこで大枠が決められた可能性が高い、、と内部告発の文章に書かれている
公募から外されプレゼンに至らなかった事業者には電話で、その結果が
伝えられたということだ
億単位の案件であるのに電話一本で済ませてしまうというのは
少しばかり違和感を感じさせるものだ
この手続きは公式には、きちんとしたステップを踏んで行われたと説明され
議会も承認したようだが、こういう時の説明は肝心なところを省いたり
ぼかしたりして、一見正当に行なわれたかのような印象を与えるものなっている
最近は、言葉というのは都合の良いもので、なんとでも言い訳できると感じることが多い
実態を良く知ってみないとその言葉を信じてはならない!と学習するわけだが
その実態の情報を掴むのが難しい
この内部告発は、たしかに関係している人しか知り得ない情報に満ちている
この不思議な一社が受けつことになった事業は、現在、芳しくない経営状況を招くことになり
それに関しては、近いうちに何らかの発表がありそうな情報も流れている
情報に対して、最初から疑ってかかるのは少しばかり人間性を疑われるようなところもあるが
時と場合によっては、疑ってかからないと本質にたどり着けないこともある
内部告発は重要な情報源で、結果的に正常化を促す役割もあるので
内部告発をした人物は守られる制度が存在するようだ
(制度はあってもその組織内での人間関係がうまくいくかはわからないが)
だが、こうして生々しい情報を目にすると、言葉の上の説明とか手続きの正当性とは
なんだろうと考えざるを得ない
この問題は新城市の人間なら、あのことか!と想像つくと思うけれど
わからない人も相当数存在すると思われる
実は、それが、一番の問題かもしれない