昨日の中日新聞に各分野の著名人たちの「今年の3冊」が掲載されていた
その本が新刊に限ったものか、それとも古典まで含まれているのか注意して見なかったが
この手の情報は次に読む本の参考になったり、この人の好みは自分と似ているとか
選者にも関心が行くようになる
10月までは順調に進んでいた読書は、11月になって思いっきりブレーキが掛かってしまったが
例年に比べると、たくさん読んだ方の年に入る
そのリストは
丸がついているのが図書館から借りてきた本で、今年は図書館からもよく借りてきた
この中で読んで良かったと思うのが、瀬戸内寂聴さんの現代語訳の「源氏物語」
名前だけは有名なこの物語
読み終えることができたなら、少しは人にええカッコシイもできると、良からぬ思いも頭に浮かんだが
そうした邪念はそのうち忘れて、次に次にと物語を追っかけることになった
クライマックスは光源氏がしっぺ返しを食う「若菜」の上下
それから宇治十帖も個人的には面白かった
だが不思議なのは読み終えた頃はストーリーに関心がいったのだが、今はそれ以外の部分も面白く感じる
例えばその時代の風習とか衣装だとか光源氏のそもそものセンスとか
そういったものを読み直して実体験として味わってみようというような気持ちになる
今年の京都への日帰りの旅は源氏物語絡みが多かった
「宇治十帖」の舞台の宇治、葵祭の御所、六条院跡、夕顔の跡、野宮神社、それらはそれぞれのシーンを
思い出しながら、見るというより体験することになった
源氏物語を読んだことは今年のホームランだったと今でも思う
12月の100分de名著は「カラマーゾフの兄弟」だが、これは再読になるが以前とは全く違った楽しみ方ができた
以前は真正面な哲学論争的な部分、イワンの大審問官が説得力があるのか、
それともゾシマ長老やアリョーシャの哀れみを心に持つ姿勢が正しいのか、
あるいは行動とか直感によって判断を下していく生命力に富んだミーチャが正しいのか
といった部分が気になったが、今回読み直してみるとドストエフスキーの小説の作り方、仕掛けに驚きを覚えた
それとなく表現されていたミーチャの胸のポケットのことは、あとになるとその意味が解ってくる
おしゃべりの多い登場人物の、それゆえにこういう人はどこにでも居そうと感じさせるリアリティ
そして裁判場面のスリリングなことと世間の空気に左右されてしまう判決
こうした小説世界を作り上げる上でのテクニックが今回は興味深かった
今年は政治がらみの本も多く読んだかもしれない
今の日本の政治や市政にも疑問を感じているので、ついついそのとき時の話題になった本を
アマゾンの推奨リストの誘惑に負けて購入してしまった
その中では、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」を読み直すことが多くて
この本は今年の一冊から外すことはできない
ということで、今年の三冊は
「源氏物語」「カラマーゾフの兄弟」「職業としての政治」が第一候補
古典ばかりでなく今を考える意味では
明石順平の「データが語る日本財政の未来」「国家の統計破壊」
NHKの番組絡みで丸山俊一氏の「欲望の資本主義1」「欲望の資本主義2」
慰安婦問題絡みで「帝国の慰安婦」「パンタレオン大尉と女たち」
戦争絡みで山崎雅弘氏の「天皇機関説事件」「戦前回帰 大日本病の再発」
加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」「戦争の論理」「「昭和天皇と戦争の世紀」
それから世論に関することとか民主主義に関することでリップマンの「世論」
ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」
ヤン・ヴェルナー・ミュラーの「試される民主主義」
などが、切実感をもって迫っていた
しかし上記の政治とか社会学の本は、大事な本かもしれないが本質的には自分の好みと違う
こうした本ばかり読んでいると心が荒んでいきそうな気がしている
そこでヘッセの「ガラス玉演技」とかリルケの「ドゥイノの悲歌」とか夏目漱石の「草枕」といった本や
適当なところを抜き出して読める「万葉集」とか「新古今和歌集」みたいなものを求めるようになってしまう
去年は三冊は確か「失われた時を求めて」プルースト(縮小版)
「朗読者」ベルンハルト・シュリンク
「法学の基礎」団藤重光
だった記憶がある
好みではないが、年々政治的とか社会学的な要素の本が増えていきそうなのは
今の時代仕方ないのかもしれない