言葉のやり取りは、それが冷静だったり、言葉の定義がしっかりなされているとしても
不毛に感じることは少なくない
どんな時も「ああ言えばこう言う」的に逃れる方法は見つけ出せると思えてならない
野党は国会を開かないのは憲法違反と訴えている
憲法53条には
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。
いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
野党とすれば、既に数として議院の四分の一以上は確保しているので、開かないのは憲法違反だという理屈だ
ところが、ここからがこうした文章の曖昧なところで、憲法には招集する期間が明記されていない
いつまでに開かなければならないと書いてないので、今は開かないだけでいつか開く予定ということで
済まされてしまう
本来ならば法の意味するところを理解して常識的に速やかに、、と判断すべきを
あくまでも書かれていないので、法に背いているわけでなないとしているのだ
こういう時、そもそも法はどのような人間性を前提として出来上がっているのか
法はどこまで詳しく書き込むのか、、が問題となるようで
確かに個別にあまり詳しく書き込むと煩雑になりそうで、ある程度のところは
運用する人たちの常識等を信じて形にするしかないと思われる
つまりは国会議員のような正しい判断を要求される人々は、
あれこれ書き込まなくても常識的な判断ができるはず、、としているのではないか
ところが、最近は書かれたもののみを過剰に解釈し、その意図するものは蔑ろにされることがい多い
法律ではないが、この時期の会食は5人以内にして欲しい、、と通達が出た時
あるおエライサンたちは4人で会食したから、違反はしていないと開き直ったことがあった
5人なら駄目で4人ならオーケーという理屈だ
だが、本来の会食は自粛して欲しいというのは、数を守って欲しいというものではない
法のバグを利用するような、一見賢そうな理屈は、実は少しも賢いものではなくて
人としての才能の欠如を表すものではないのか、、と心配になってしまう
(この傾向はトランプさん登場以後は加速しているとか)
ところで自民党は以前、憲法改正の案を作成した際(野党時代?)
この53条には期間を盛り込んだらしい(そしてそれは割合短い期間だったような記憶がある)
つまりは常識的には、速やかにと解釈すべきなのはとっくに理解しているのだ
だが、法は解釈が多様な方が使い勝手が良いらしく、多数派を維持した今は
この便利な条文を法の意味するところよりは、書かれたことのみを解釈するようにしている
最近読んでいるこの本
まだ途中なので言い切る事はできないが、国家が衰退するのは
ある人(団体)が自分たちの都合の良いように搾取(収奪)するのが
大きな理由としている
そしてそれ(少数者の支配)を可能としているのが政治システムで
政治システムはよく検証していかないと、危険だと思わせているかのようだ
近いうちに行われる国会議員選挙、市議会議員選挙、市長選挙においては
書かれていないことを守る常識的な、人間性を持った人物と判断するにはどうすれば良いのだろう
(そういう人が立候補すればいいが、しない場合は人はどう対応すればいいのだろう)