パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

マーラーとブルックナー

2008年04月09日 21時01分42秒 | Weblog
朝の通勤時、車のキーを回すと自動的にかかるのが
多くの場合前日に聞いていたNHKFM
今日も例に漏れずそうだったが、聞こえてきたのは
懐かしいマーラーの9番の交響曲

トランペットがやけに明るい感じがしたり
全体的に腰が軽い雰囲気だったが
ブーレーズの演奏らしかった

久しぶりに耳にして、まず思ったのは
この曲は世紀末のヨーロッパの臭いがするなあ!
ということ
もっとも19世紀ヨーロッパの臭いなんて
正確にはどんなものかは知らないが
とにかくそんな気がするのだ

この曲、自分が高校時代は本当によく聞いた
バーンスタインとニューヨークフィルのやつで
特に第1楽章はお気に入りで
絶叫に近いオーケストラの部分は
やれやれ!もっとやれ!
てな感じで勝手に盛り上がっていた

同じ頃に買ったブラームスの4番の交響曲と比べて
マーラーは大声を出すだけ男らしいのに
ブラームスはウジウジと女々しいなあ!
などと的外れな?印象を持ったものだった

それにしてもこの曲
第1楽章は凄くいいけれど
そして第4楽章もまあまあだけれど
2と3楽章が今イチでつまらないというか
退屈してしまう

そういえばバーンスタインがこの曲1曲だけで
イスラエルフィルだったかを振った演奏会に
行ったことがあったが
この時は自分の精神状態が最悪の状況だったので
残念ながら音楽に浸ることができなくて
全然楽しめなくてもったいないことをしてしまった
それでも生は、退屈な第2楽章も
それなりに楽しめたような記憶だけは
何故だか覚えている

マーラーの音楽はひところはよく聞いたのに
今は聞かなくなってしまった
それが何故だかわからないけれど
マーラーの曲は長編小説(物語)を
味わっている様な気がしてならない

同じように長い曲の代表ブルックナーは
小説というよりは詩を聞いているような気がする
いや交響曲と言う名の通り音の交わり、響きを
全身で恍惚と味わう感覚だ
だから不思議なことに、
あまり長いという気がしないときがある
いや、むしろ、もう終わってしまうのかと思う様な
時さえある
8番の第3楽章などはこの楽章だけで
モーッアルトの交響曲が入ってしまうくらいの時間だし
出来事、物語は色々起こって終結まで行くのに充分な時間だが
この3楽章は何事も起きずにただ響きがあるだけ
しかしなんと言う充実した時間の推移だろう
そして心地よい疲れと
フト自分に戻る瞬間をいつも感じる

むかしマーラー派とブルックナー派なんていわれたことがあったが
自分は、まぎれもなく田舎のおっちゃんのブルックナー派だった

レコード1枚を慎重に選んで買っていた頃
マーラーの1番とブルックナーの9番を試聴して
直ぐさまブルックナーの虜になって
それから長い付き合いが続いている

だが最近はブルックナーもCDショップに
あまり置かれなくなっているみたい
応援隊としてみれば残念なことだ
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好ましい音、色

2008年04月07日 22時32分20秒 | Weblog
音の好みは、人それぞれというが
それでも日本人の好きな音というのは
個人のレベルを越えてありそうな気がしてならない

それは色についても同じように言えるかもしれない
日本人の好きな色はフランス人やイタリア人とは
明らかに違うようにみえる
髪の色が黒かったり、肌の色が黄色っぽかったりで
それにあう服の色は、
白髪やブロンドの髪、青い瞳、白い肌の欧米人とは
違っているし、必然的に好ましいと思う色も違ってくる

陶器の色もまた絵画の色も
よく目にする色は違っている
日本のものはくすんだ自然っぽい色なのに対し
欧米はもう少しあでやかな感じがする

それは実は、本当にみえている色が違うせいであったり
毎日接している日中の光の色が違うせいかもしれない
と素人の自分は前々から思っている

この普段見ている景色、色は
原風景として人の心に残されているので
音に対しても好き嫌いの判断の基準になりうる様な気がする

そんな風に思ったのは日本人のつくった
スピーカーやイヤホン、CDプレーヤーは
欧米のそれらの音とはかなり違うように感じられるからだ
そしてそれは個人間の好き嫌いというよりは
民族の(大げさ?)DNAの好みの差の思えて仕方ない

1年程前に購入した日本製のiPodのイヤホン
1ヶ月程前に試聴した日本製のハイエンドのCDプレーヤー
それらはレベルの違いこそあれ、総じて同じ臭いがする
メリハリがしっかりして、くっきりみたいな!

こうした日本人好みの音づくりは
もしかしたら日本語のリズム、音感に起因するかもしれない
割合とはっきり区切られて、バサバサした音は
印象として、日本製のオーディオ機器の好ましい音と
似ている様な気がするのだが、、、




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困った!

2008年04月06日 17時59分36秒 | Weblog
どうにも困った状態が続いている
CDを聞く気分になれないのだ
年末に真空管アンプをWoodham 2.0 WE-300Bに替え
フォノイコライザーもあわせてEAR834P-5替えて
レコードの良さを改めて知ってからは
CDのクリアだけれど、どこか薄っぺらな
それこそ録音でつくった様な音に身体が
拒否反応を起こしているようだ
レコードの録音は元の音を再現しようと感じられるのに
CDでは純粋培養された様な音で
何か違う!と思えて仕方ない

知らなければ、それなりにCDで楽しめていたのに
なまじっかレコードの底力を知ってしまったがために
どうしても比較しての感覚が残って
CDの音源が楽しめないでいる

どうしたらいいのだろう?

もっとグレードの高いCDプレーヤーを手に入れれば
問題は解決するのだろうか?
(そういえばこの間試しに聞いた
 EAR初の真空管式CDプレーヤーAcuteはなかなかの音だった
 というか好みの音に近かった様な、、、)
それとも、CDというメディア自体の問題なのだろうか?

趣味とは言うものの、そんなに費用はかけられないし
今のままでは不満ばかりだし
ホント最近はレコードばっかり聞いている

もっともレコードにしたって上を見ればきりがなくて
もっといい音を!と思うようになるかもしれないけれど
今のところは分相応に満足しているし
多分、このくらいでいいや!と我慢できると思う

しかしなあ、CDは、、、、
これから出てくる音源はCDやMP3で、いわゆる
デジタルしか発売されないだろう

レコードも発売してくれれば
そちらを購入でなんとか対応できるかもしれないのに
そんな事はこれからは期待できないし
ホント困った!

例えばよいCDプレーヤーがつくられたとしても
それがあまりにもハイエンドのものでも
こちらの財布の都合がつかない
ほどほどの金額でもっとレコードに近い音が
出るようにならないのだろうか?

オーディオショップでCDプレーヤーの聴き比べなどをすると
その実力を見るために、よい録音のものをサンプルに出すが
その音は本当にきれいで分離がよいことが多い
しかし、実際に現場で生の演奏の音を聞いたならば
多分あんな風には聞こえない
まるでマクロレンズで拡大写真を現像した様な音は
どこか不自然で無理がある
実際の人間の目では残念ながら見えないものは見えないとして
受け入れるほうが、なんだかいい様な気さえする

CDの猛烈に分離のよい音などは
実際には会場ではそんな風に聞こえることは少ない
席にもよるが、もっとブレンドされた様な
倍音が多い音で、耳がなれるに従って
様々な音を聞き取れるようになる

それにしても楽しむためのものが
不満の種になっているとは!
持っている数もCDの方が多くなっているし
天下国家には関係ないが
ささやかな自分の生活の中では
実際困った問題だ!



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得した気分になれないガソリン価格

2008年04月03日 22時44分46秒 | Weblog
ガソリンの暫定税率が廃止されて3日
各都道府県のガソリン平均価格が発表されたが
その価格で販売されているというより
20数円引いた価格か
前のままかに大別されているのが現状だろう

自分も1日、通勤路に安いセルフのスタンドがあったので
利用させてもらった

しかし、なんだか吹っ切れない気分だ
安くて得した!気分になれないどころか
悪いことをしたような心持だ

つまり自分が安い価格で入れたガソリンは
明らかに店側の犠牲の上で成り立っている
店は損しているのだ
それがわかっていて自分が得するのは
どこか引っかかる

全く同じものを高い価格で買ってもいいというほど
自分はお人よしではないし
相手の事情をおもんぱかって
高い価格で購入するほど人間が出来ていない

またいろいろ考えた
高い価格を維持しているスタンドは
売れ行きがよくないだろう
当然のことながら、前に仕入れた高い税率のガソリンが
いつまでも残ってしまう可能性がある
すると周りでは安い価格が一般化しても
なかなかその価格に移行できないことになってしまう

何かやりきれない気持ちだ
安売りで損している店も
安く出来ないで客を呼び込めない店も
みんなが幸せでない姿は
やはりどこか異常だ

それにしても暫定という断り書きがありながら
恒例化して、早くも予算化した自治体も
道路関係の予算もいい加減なものだ

もちろん現実的な面は分からないではない
しかし、なし崩し的に、仕方ない!で
寄り切られてはそれも困る

道路が必要!と唱える人たちの中でも
道路公団のあまりにもひどい無駄遣いには
腹を立てている人もあるだろう
また道路工事の予算が実際の工事に入ると
大幅に上まってしまったり
開通した道路の利用率などを見るとひどい!
と正直なところ感じる人もいるだろう

昨年来の衆参ねじれ現象
互いに意地を張り合っているだけだったり
政局がらみに持っていこうとしている
様子が見て取れないこともないが
それでも自民党一党支配のときよりは
いろんな膿が出てきた分だけ
政治はブレーキがかかっているが
良いのかもしれない

それにしても、何とかならないかな
いろんな事が
部分的な損得だけで進められていく

棒を振った世代も
乗り遅れた我々の世代も
もう少し世間(政治)に文句を言ったほうがいいのかもしれない
そして若者も、
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無神経な張り紙

2008年04月02日 20時57分39秒 | Weblog
さて花見だ!と気張ってカメラを手に持って
いざ写そうとすると案外多いのが邪魔物

多すぎる人の頭が画面に入るというのではなく
入ってくるのは看板や風景にそぐわない素材の
ガードレールなど

今日も桜のきれいな、城の入り口で
冴えないものを見かけた
そこには風景に馴染むように公衆電話が
木製の常夜灯みたいな形の中に収められていたのだが
興ざめなのはその電話の存在を知らせる
説明の紙が「公衆電話」と無造作に貼られていた

これは全くいただけない
少なくともそこで写真を撮ろうなんて気は絶対に起きない

お役所が親切に張り紙をしてくれたのだろうが
それにしても全くあわない

実際こんな事は多くある
桜のきれいな道も、実用性だけで味気ない
白いガードレールなどで区分けされていたりする

流石に京都の寺での道案内は
木製の杭に縄を張って地面や庭の緑、石に
違和感の少ない心配りがされている
ところが年に一度だけ賑やかくなる様な地区では
そんな風に回りにあう様な素材や色彩選びなどは、なされていない

最近このような事が気になって仕方ない
機能さえ果たしていればそれでよいのか!
果たしてそれは美しいか?等とまではいかなくても
少なくとも調和しているかどうかは気にしてほしいものだ

この姿を見ると最近のこの国の
「とりあえずやっとくだけ」の姿勢や
経費をかけずに、その結果見苦しくても平気な
何か根本の哲学、審美眼が欠けた風潮が見られる様な気がしてならない

ホント、こんな状態で大丈夫なのかな?この国は




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