パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

総選挙、今度はみんな投票に出かけよう

2009年07月13日 21時02分32秒 | Weblog
都議選は予想通りの結果
国政とは関係ない!
としか自民党は言いようが無いだろうけれど
この態度こそが「自民党NO!」の声を大きくしているのでは

政治家という職業には、
水清ければ魚住まずに見られるように
残念ながら聖人君主ではなれないのも事実
そしてあの世界で生きているうちに
大半の人が染まってしまって知らず知らずのうちに
考え方が麻痺してしまう

政治家と金の問題はこの国だけでなく、どの国でも
どの時代にも見られることで、これだけを見ると
政治家に潔癖さを求めること自体が無理があるように思われてならない

であるならどうするか?

どうすればいいんでしょうね!

ところでまずはマニフェスト、政策から判断をというものの
いままでで人がそんなに理性的であった試しがあっただろうか

感覚的、感情的にまずは判断してから
マニフェストを納得する理由付けをする
普通の人はこんなものではないのかな

いずれにせよ今度の選挙は
参加する価値が充分ありすぎるほどの選挙になる
果たして国民はどんな判断を下すのか?

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「1Q84」読書中

2009年07月09日 21時31分13秒 | 
まだ読み終わってもいないし(今のところ上だけ)
おまけに分析するだけの力量もない
しかし、素人の無責任な感想からすれば
村上春樹の「1Q84」はちょっと疑問(不満?)あり

この人の熱心な読者ではないので、この作品が
出来がいい方か悪い方か等の判断はできないが
少なくとも最近読んだばかりの所謂純文学の「雪」
オルハン・パムクに比べると密度とか
細部の見事さ、イメージの豊かさに於いて
少しばかり印象が薄い
(その分、抵抗感無くすらすら読んでしまえるのだが)

こうした本の評価とは話の展開の面白さ
それとも表現?あるいは社会を映し出す洞察力?
それとも、、、
正直なところこの本はなんなんだろう?
ミステリー? SF? 
これから先どんな展開になるのか分からないので
今の時点であれこれ言うのは公平ではないかもしれないが
それでも?と思う箇所がいくつかある

青豆の性描写 それらは全て必要なのかな?
人をあちらに送った行為の反動として衝動的に
突き動かされるのはいいとしても
それ以外のところは、読者に対する単に
エンタメ(?)以外の何者でもないような
気がしてならない
必然性があるのだろうか?
よくわからない
これなら山田詠美だったかが、
言葉でエロティックな気分にさせる表現力を持ちたい
(表現したい)
と言ってたことの方が説得力があるような気がしてならない

結局は自分はこの人と相性が良くないだけなのだろうか?

それとも後半(の下)で、それまでの印象を覆らせるような
ことになってくれるのだろうか


とにかく下も買ったことだし
とりあえず楽しむことにしよう!
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現場が楽しくなければ続かない

2009年07月08日 21時11分14秒 | Weblog
昔、いろんなところで見られた光景
それは各職場で各人が自分の仕事の能率、品質を
工夫して高める努力をしたこと
それを学ぶべき人たちは、技術や知識を教えてもらうのではなく
盗んで覚えたり、自らも独自に工夫するのが当たり前だった

ところが個人個人の資質に任せていては
効率が悪いということで、今で言う「情報の共有化」が
積極的に行われるようなり、ある人が見つけた技術や知識は
マニュアルとして皆が守るべきものとなった

そこで徐々に行われるようになったのは
上からの命令
自ら工夫して編み出して、自分なりに満足していた事柄は
今度は上からの指示で生み出さなくてはならなくなった

そしてそうやって生み出されたものは
皆が等しく行われなければならなくなった
そこで必要なのはその方法なりが
キチンと実行されているかどうか?ということ
つまり管理するシステムが重要視されるようになった

だがそれに反して現場の仕事自体には
面白みがなくなってしまった
自分たちが工夫してきたことを行うのはいいが
命令されたことをするだけではつまらない
工夫する余地があるにもかかわらず
現場の意見は通りにくくなっていく

残念ながら、こんなことは至る所で見られやしないだろうか?
本部主導の営業方針やセール実施
CIを遵守するためにきわめて不合理なシステム
競争相手や地域性を考えず観念的な効率性を求めること

もちろん、それらにはそれなりに理由のあることだろうが
一番問題視しなくてはいけないと思われるのが
少なくとも現場の人間が少しも楽しくないと言うこと

自由度の無い仕事なんかは、人間がやらなくたって!
と、声には出せないが、そんな風に思っている人は多いはず

これは実はサッカーの場合にも当てはまる
各ポジションはそれぞれ職人の集まりなのだが
戦術やシステム論が高度になったため
個人の能力は個性をより発揮する方向ではなく
チームのために犠牲になることを強いられている

職人同士の自分勝手な行動では収集がつかなくて
勝つための方法論にはならないと考えるためだ

しかし、いつまでたっても疑問に残るのは
それでやっている人たちが楽しいか?
ということ

仕事もサッカーの勝負もやっている人たちが楽しくなければ
結局は長く続かない
つまり持続可能ではない

どうも日本人は野球というゲームに慣れ親しんだ所為で(?)
トップダウン的な命令系統の組織運営を好み
個々の判断で行うべきサッカーでさえも
司令塔等という言葉を用いて
社会との関連性(相似性)を無理矢理にも求めてしまう

本当はもっと現場の声、やりがい
そんなものがよりよく反映されるシステムや方法が
一番と思うのだが
それは現実を知らないロマンティストの戯言?
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「お金持ちになりますように」

2009年07月07日 20時25分12秒 | Weblog
鉛筆で、明らかに子供の字で短冊に書かれていた
スポーツジムの一角に、少し前から七夕の竹の飾りがおいてあったが
そこで目に入って、強烈な、そしてなんとなく
滅入る気分にさせたのがこのメッセージ

別の日に短冊を見ると
「~~先生のようになれますように」
とか
「~~ちゃんとずっと友達でいられますように」
など普通の子供らしい言葉が目について
ホッとしたけれど、
「お金持ちになれますように」には正直
現代は子供たちに子供らしい生活や
感情を持たせることができない時代なのだと
情けなくなった

きれいごとは言ってられない
しかし
子供の欲求がいきなりお金に向かってしまったのは
その子の家庭の雰囲気や、重要視するものの優先順位が
おせっかいながら、どこか違ってやしないか?
と思わざるを得ない

なんだかな
七夕さんがのんびりした話ではなく
お金に関することの方向に行ってしまうのは
本当に今は豊かな社会なのだろうか


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なぜ子供達は虫が好きなのだろう?

2009年07月06日 21時58分01秒 | Weblog
毎週の子供のサッカー練習
時々不思議に思うようなことに出会う

この間は久しぶりに草のグランドで練習が出来たのだけれど
そこでもやはり数週間前に草のグランドで行われた練習と
同じような光景が見られた

それはサッカーの練習のことではない
小学1.2年生にとって2時間ちょっとの練習は
緊張が続かないのは仕方ないにしても
彼らは草の中に虫を見つけるとほとんどが
異様に関心を持って気持ちがそちらに行ってしまう

その様子は大人が理性的に虫を眺めたり
好きだと言った感じではなく
もっと虫自体に共感しているような
一体化するような親近感を覚えているのではないか
とさえ思わせる

そう、まるで虫たちのほうが我々大人よりも
子供の世界に近いような、、、

彼らは人間の格好をしているけれど
まだ人間じゃないかもしれない
一応言葉も分かっているようだけれど
本当に分かっているかは疑わしい
(自分にしてもこの頃の記憶は全くない)

そういえば何かのテレビ番組で
虫の真上から撮った(精密な)写真と本物の虫を並べ
どちらが本物かを問うと
大人は結構間違えるが子供は一切間違えない
とか放送していた

実際、そうかもしれないと
彼らの虫に関する反応を見ると思う
子供達には仲間が(?)分かるのだ

子供には大人の理性はない代わりに
それを補う何か特別な能力が与えられているのかもしれない

もっとも大人には4頭身の動物を見ると(つまり赤ちゃん)
可愛くて守ってやらなければと
自然に思うようになっているとか

それら全てがDNAのなせる業かもしれないが
やはり不思議と言うしかない
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夜店

2009年07月04日 20時31分08秒 | Weblog
毎年、7月第1週の土曜日
国道を約500メートル止めて
7時から9時まで夜店が開かれる
商工会や商店街が中心になって行われるのだけれど
この地区でも例外に漏れず商店の数は減っていくばかり
そして地方にありがちなもうひとつの傾向
若者数の減少も明らかで、普段見かけるのは老人ばかり

ところがこの日は全く違う
いったいどこからこれだけの人が来たのかと思うくらいで
道の混雑はまるで東京駅並み
そしてそこにいる人々の平均年齢は
もしかして20代?と思わせるくらい若い子たちが多い

特に女の子は浴衣を来て、友達同士で連れ添って
訳もなく笑ったり、大声で話したり、いわゆる青春している
しかし、浴衣を着るのは中学生くらいまでで
高校生くらいになるとむしろ普段着の方が多いかもしれない
しかも、女同士ではなくカップルで

それにしてもトータルで考えれば商工会や商店街の人たちは
儲かるなんてことは無いだろう
それを思うとまったく「ご苦労様!」だ

あそこに来た子供たちは、きっとワクワクした気持ち
楽しい気分を味わっているに違いない
その気持ちになってもらうためにだけ
主催者の人々は頑張っているのかもしれない

むかし、自分たちが楽しかったことを
今は子供たちに味わってもらいたくて、、

伝統とは実はそんなものかもしれない
ねばならない等と言う堅苦しいものではなく
単純に自分たちが楽しかったことを
次の世代にも味わせてあげたいと言ったような

それにしても、僅か2時間というのも無理が無くていい
それなら大きな負担にはならなくて
勢いだけで乗り切ってしまえるかもしれない
持続可能なイベント 
それはこのように皆に犠牲を強いるようなことではなくて
自分たちも楽しめて無理が無いこと

だがそれでもやっぱり商工会と商店街の人たちには
ご苦労さん!と言うべきかも
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成る程、漢字は洒落に富んでいる

2009年07月03日 20時56分06秒 | Weblog
昨日、蚊と文字を変換していた時のこと
「蚊」は虫に文と書くのか!
ブンブンうるさい虫=蚊
成る程、うまいこと文字になっているもんだ
と再認識

ついでに連想した漢字は
「痔」
寺まで持っていく(つまり死ぬまで治らない)病だから
その病気にこの字を当てているとか

残念ながら自分も地主?(痔主)だったことがある
そして今も、、
やっぱり文字通り?

漢字はこんな風に見ていくと結構面白い
99歳を白寿というのは
百の字から一を取ると白になるからとか

確か古文の時間に習ったことに
十六と書いて獅子と読むとか
4×4(しし)16だから

昔の人たちは案外洒落っ気があって面白い
もしかしたら突っ込みばかりのキツいシャレの
今よりも面白いかもしれない

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2009年07月02日 21時36分32秒 | Weblog
「しまった」と思った時には、
そいつは車の中に無邪気に侵入していた
急いで窓を開けたりドアを開けたりしたが
近くまで行くものの勿体ぶって室内の方にUターン

面倒になって、手で掴んでつぶしてやろうとしても
奴の方がずっと上手
イライラするだけでふわふわと姿を現したり消したり

そのうち面倒になって、
そんなにやられっぱなしになることはなかろう
と諦めて運転することにした

それが昨日夕方のこと
「蚊」はいったい何も食べないで(?)どのくらい生きているのだろう
明日まで食われなければ、奴はくたばっているかな
そんな期待を込めてやり過ごしたが
今朝、奴はまだ室内にいて何か狙っている様子(?)

流石に今日の雨では窓を開けて追い出すわけにも行かず
通勤は奴と一緒に音楽を聴いて仕事に向かった
幸い昨日も今朝も被害は無かった

で「蚊」が室内にいること等、忘れてしまっていたが
帰りの運転中、急に左足の足首の上辺りがかゆくなってきたみたい

やられたかな!と思うと益々かゆくなってきた
運転中だから掻くわけにもいかず
ただやり過ごして運転するのみ
しかし、奴の気配はない
錯覚?
どうやらかゆみもたいしたことは無いみたいに思えてきた

結局、今回は幸い被害者にならずに済んだ
だがこれからは気をつけねば!

ドアの開閉は素早く速やかに!
奴に隙を与えてはダメだ
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秘密基地

2009年07月01日 21時30分11秒 | Weblog
3年前、家を建て直すと同時に
空きスペースの雑木林らしきものをつくった
常緑樹が4本くらい、後は落葉樹で
冬場は見るも無惨なくらい寂しい限り

それが4月20日頃になると一気に新緑が芽吹き
それこそ生き物というか生命というか
とにかくそんなものの輝きがまぶしくて
とても愛おしい気分になってくる

柔らかな緑、幼いような若い疲れを知らない葉っぱは
まるで動物の赤ちゃんを愛おしく思う感覚と同じものを
心に中に呼び起こす

ところで、新緑も過ぎて今くらいになると
今度は枝が伸び放題になってきている
葉っぱも濃くなり、数もグンと増えて
ちょっと目にはうるさく感じられるくらいだ

そこで昨年同居人は、昔から別の場所にある庭の剪定に
来てもらった職人さんについでに
うるさく感じられる枝や葉っぱを切ってもらってしまった

その姿を見たとき、正直がっかりした
確かにスッキリした
まるで床屋に行ったようで
だがそれまであった、なにか自然ぽいものが消えてしまったような
気がして残念で仕方なかった

流石に今年は職人さんに剪定してもらわなくてもいい
と同居人には告げておいたので
(剪定はこの雑木林をデザインした方に頼むから)
相変わらずの無秩序の伸び放題みたいな状態になっている

特に道路際のススキ、クロモジ、トサミズキ、エゴノキ、アズキナシ
が植わっている辺りは下草もしっかり生えて
小さいながらも日陰ができてどこか秘密めいた雰囲気だ

同居人からすれば暑苦しい!
と評判の悪い場所だが、自分にとっては
この雑然と伸び放題になっている木々の下、葉っぱの下には
おそらく数多くの生命が(虫や雑草や微生物)
人知れず暮らしているに違いないと思うと
とても神秘的な感じさえする

それはまるで子供の頃のお気に入りの場所
秘密基地がとても心地よかったのと似ている

整然としているのもいい
しかし、あまり勝手ばかりはいけないが
ある程度の自然の姿は好きだな!
雑草も、日陰ができたおかげで広がり始めたコケも土も
本当に「らしく」なってきた

木々が涼しげだったり、きれいだったりするだけでなく
小鳥たちを呼び込むような餌の供給場所になったりして
生き物の存在を感じられることは、とても気持ちがいいことだ

人は生命のあるものに囲まれないと疲れてしまう
フトそんな気がした

この秘密基地
朝のぞいたりするとクモの巣がしっかり張って
キチンと様々な活動をしているようだ
蚊も短パン姿の自分に近寄ってくるが
ある面それもよし?

自然はつくづくいいものだ

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