パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

現場が楽しくなければ続かない

2009年07月08日 21時11分14秒 | Weblog
昔、いろんなところで見られた光景
それは各職場で各人が自分の仕事の能率、品質を
工夫して高める努力をしたこと
それを学ぶべき人たちは、技術や知識を教えてもらうのではなく
盗んで覚えたり、自らも独自に工夫するのが当たり前だった

ところが個人個人の資質に任せていては
効率が悪いということで、今で言う「情報の共有化」が
積極的に行われるようなり、ある人が見つけた技術や知識は
マニュアルとして皆が守るべきものとなった

そこで徐々に行われるようになったのは
上からの命令
自ら工夫して編み出して、自分なりに満足していた事柄は
今度は上からの指示で生み出さなくてはならなくなった

そしてそうやって生み出されたものは
皆が等しく行われなければならなくなった
そこで必要なのはその方法なりが
キチンと実行されているかどうか?ということ
つまり管理するシステムが重要視されるようになった

だがそれに反して現場の仕事自体には
面白みがなくなってしまった
自分たちが工夫してきたことを行うのはいいが
命令されたことをするだけではつまらない
工夫する余地があるにもかかわらず
現場の意見は通りにくくなっていく

残念ながら、こんなことは至る所で見られやしないだろうか?
本部主導の営業方針やセール実施
CIを遵守するためにきわめて不合理なシステム
競争相手や地域性を考えず観念的な効率性を求めること

もちろん、それらにはそれなりに理由のあることだろうが
一番問題視しなくてはいけないと思われるのが
少なくとも現場の人間が少しも楽しくないと言うこと

自由度の無い仕事なんかは、人間がやらなくたって!
と、声には出せないが、そんな風に思っている人は多いはず

これは実はサッカーの場合にも当てはまる
各ポジションはそれぞれ職人の集まりなのだが
戦術やシステム論が高度になったため
個人の能力は個性をより発揮する方向ではなく
チームのために犠牲になることを強いられている

職人同士の自分勝手な行動では収集がつかなくて
勝つための方法論にはならないと考えるためだ

しかし、いつまでたっても疑問に残るのは
それでやっている人たちが楽しいか?
ということ

仕事もサッカーの勝負もやっている人たちが楽しくなければ
結局は長く続かない
つまり持続可能ではない

どうも日本人は野球というゲームに慣れ親しんだ所為で(?)
トップダウン的な命令系統の組織運営を好み
個々の判断で行うべきサッカーでさえも
司令塔等という言葉を用いて
社会との関連性(相似性)を無理矢理にも求めてしまう

本当はもっと現場の声、やりがい
そんなものがよりよく反映されるシステムや方法が
一番と思うのだが
それは現実を知らないロマンティストの戯言?
コメント
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