パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「既成事実への屈服」と「権限への逃避」

2024年04月19日 09時43分56秒 | あれこれ考えること

二三日前から読んでいる丸山眞男の「現代政治の思想と行動」
その中に「日本ファシズムの矮小性」という章がある
これを読んで驚きを覚えた
そこで紹介されていることは現代でも悲しいくらいよく見かけることだった
それは「既成事実への屈服」と「権限への逃避」の2つだ

戦争の是非はともかく、始まってしまったら心構えは
現状を肯定しそれに従うしかないということで(これが既成事実への屈服)
それに反対する人は力でもって対処することも正当化される
だがそもそも戦争が始まってしまった大きな理由は、上からの先導もあるが
庶民の盛り上がりも馬鹿にできなかったとしている
ところがこの庶民の盛り上がりというのは全体的な声というより
ヤクザとか極右とかハンナ・アーレントならモッブと呼ぶ連中のことで
この連中は「天皇機関説事件」で大きな声を挙げた一部の声だ
つまりは全体としての声というよりは偏った連中の大声で
世界はまるで彼らの訴えるようになっていると勘違いしたり
そのほうが都合の良い連中がいたりして無鉄砲に進んでしまった

その結果は無惨なものだったが、今度はその責任を問うと
「自分の立場は命令する権限はなく、上からの司令に従っただけだ」
(この弁明が権限への逃避)
とほとんどのかつての支配層は弁解する
これはアイヒマン裁判におけるアイヒマンの弁解に似ている

とても大きな失敗をしたわけだが、一部の偏った思想を信じ込み
それを全体の方向性と見誤り、始まった以上は現状肯定するしかないとし
そこで多様な意見を封じ、最後の段階ではこうした判断を遂行していた人物は
権限もなかったから責任もない、、としている

この姿を最近の光景に落とし込むと、オリンピックも万博も
計画がスタートしてしまったからには現状肯定で進めるしかないと
思い込もうとさせる空気と似ている

そして責任の所在の不明さは例のキックバックの問題やら森友事件の
官僚の曖昧な責任に通じる

そして一部のモッブと呼ばれる連中の大声は、ネトウヨとか
新聞広告に出せるほど儲かっているとは思えない2つの月刊誌
「月刊 HANADA」「WILL」の極端な主張を連想させる

人は過去から学ぶことで、失敗を未然に防ぐことができるとしている
しかし、今のこの国は本当に過去から何かを学んでいるのだろうか
と思わざるを得ない

現実問題として田舎の一庶民が、どうこう言ったところで世の中は
変わるとは思わないが、それでも何らかの警鐘を鳴らし続けることは
無駄ではないと信じたい


※ 偶然に見つけたものに「アレントのモッブと戦前日本のファシズムの近似性」
  があったそれはこちらから↓
アレントの「モッブ」と戦前日本のファシズムの相似性 | 松下政経塾 (mskj.or.jp)

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人気投票と世論調査

2024年04月18日 10時06分11秒 | あれこれ考えること

常々、メディアによる選挙前の世論調査の公表は
勝馬に乗りたがる人の多い日本では投票に良い影響を
与えないと思うし何らかの制限はあったほうが良いと思っている

初めて知ったことだが、世論調査と似たような性質の
人気投票は法律で禁止されているようだ

「公職選挙法(昭和25年法律第百号)
(人気投票の公表の禁止)
第百三十八条の三 何人も、選挙に関し、公職に就くべき者
(衆議院比例代表選出議員の選挙にあっては政党その他の政治団体に
係る公職に就くべき者又はその数、参議院比例代表選出議員にあっては
政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者またはその数若しくは公職に
就くべき順位)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない

カッコの中の文章がわかりにくいが、カッコを省いて読めば
「何人も、選挙に関し、公職に就くべき者を予想する人気投票の経過
又は結果を公表してはならない」
となり、人気投票のようなものは目に触れるようにしてはならないようだ

これはインターネットを用いた人気投票でも同じことで
最近はSNSで安易にできるこうした調査もこれに該当するものがあるようだ
月刊HANADAが東京の補選の人気投票みたいなものをXで行っており
それに対して違法ではないか、、との声が上がっている

この法律文によればかなり違法に近い気がするが、同時に思ったのは
世論調査はなぜこの法律に抵触しないのだろうかという点
人気投票と世論調査
そもそも目的と方法が違うからこの法律には抵触しないとされるようだが
実態としては(素人の)大衆には同じ様な作用を及ぼすのではないか
文言としての違いとか調査方法の違いによって、この2つは法に詳しい人によって
区別されているとしても、その果たす機能(世間に与える影響)は似たようなものだと思う

選挙前の投票先はメディアが調べなくても各党が独自にしているだろうし
その数字の正確さも、メディアが行うよりも正確らしいとの噂もある

もし、選挙前にメディアの世論調査の数字の発表がなかったら
庶民はより自分の意志が反映される人を、不安を覚えながら投票行動に
出るのではないだろうか
普段は結世論調査で結果は見えているので放ったらかしにして
投票に行かない人も、数字が見えないとどこか気持ちの置き場がなくて
とりあえず投票に行ってみるか、、と考えそうな気がする(希望的観測だが)

そして投票結果はより庶民感情に近いものだ出てくるような気がする

やる前から答えがわかっているものには、人はなにかしようとは思わない
わからないからこそ、それにかける行動をする
投票率を下げているのは本来なら結果を見るまではわからないものを
おせっかいどころかある種の意図があるとさえ思えてしまうメディアの
世論調査のような気がするが、考えすぎか

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キャッシュレス支払い

2024年04月17日 09時03分29秒 | ダイアリー

田舎のAコープでもセルフレジが使われるようになった
まだ支払いの部分だけだが、お年寄りの多いこの地区でも
ようやく慣れてきたようだ

それでも支払いは現金を選ぶ人が多い
時にはカード支払いをする人もいるが、端数の支払いで
財布の中の小銭を探している人を見るにつけキャッシュレスは
時間もかからず便利だと実感する

自分がキャッシュレス決済をするきっかけになったのは
岐阜のバスに乗った時のことだった
自分よりも年上のおばあさんが交通系のカードで難なく支払いを済ませていた
正直、これはショックだった(自分は現金で払っていた)
自分は遅れているかもしれない!と焦りを覚えた
比較的ITにも慣れていると自負していたが、実態は全然そうではなかったのだ

そこで直ぐにまずは交通系のICカードを購入した(この地方ではトイカ)
時々チャージをするタイプで、使ってみると本当に便利だった
電車、地下鉄、バス、しかもそれが京都でも使えるし
ドラッグストアでもコメダでも支払いができる
この状態で満足していたのが先日まで

ところが今度もお年寄りが飲食店でスマホのPayPayを使っているのを見て
ちょいと焦りを覚えてしまった
スマホにはクイックペイのアプリで支払うことはできるが
よく耳にするPayPayとは何ぞえ?と不安になった

そこでPayPayの導入と使用法などをネットで調べて
使えるようにした
今回も銀行とは連想せずにセブンイレブンでチャージする方法を選んだ
チャージは交通系のカードの方が簡単だが、そんなに大きな違いはない

使えるようになると、なにかに使いたくなるのが人情
そこで無理やり今までは現金で払っていた店でもPayPayで支払うことにした

やっぱり便利だな!
素直な感想はこの一言
小銭部分の支払いとかお釣りの受取がなくて済む
もう少し早く使えるようにしておけば良かった
と今更ながら思う

キャッシュレスになると使い過ぎの心配の声もあるが
とりあえず家計簿をつけているので、使い過ぎはせずに済んでいる

ということで、やっと若い人と同じような便利な生活になれたということ
(こんなのは話題にすること自体が恥ずかしい?)

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急に頭に浮かんだ「丸山眞男」

2024年04月16日 09時15分51秒 | ダイアリー

天気が良くないと、なんとなくやる気が起きない
言い訳を探してそこから何も進めないのが情けないところだが
それでもまるで必然のように何かとの出会いがある

生活には精神生活、法的生活、経済的生活があるとしたのはシュタイナーさん
流し読みしたので正確な理解はできていないが、そんなものかと納得した

自分の生活は最初の精神生活が大きなウェイトを占めている
現役ならば経済的生活、それに関連する法的生活がほとんどだろうが
現役を終えた今、暇と退屈の誘惑があるが、それでも自分とのおしゃべりは
生産的ではないとしても飽きることはない

最近はフィクションよりは小難しい社会的とか歴史的なものに興味がある
きっかけはNHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」だが
この本を読んでいるうちに、それがおきた時代背景とか
その当時蔓延していた空気とか支配していたイデオロギーなどが気になってきた

そうするうちに頭に浮かんだのが「丸山眞男」という人物のこと
小難しいがマックス・ウェーバーみたいなことを書いている人と思い込んでいるが
急に思い立って図書館から「現代政治の思想と行動」という分厚い本を借りてきた
最初の目次はこんな感じ

ページいっぱいに文字が並んで、読みやすい内容ではない
だがなかなか面白い
この中には今と全く同じようなことを問題視していた人がいたことがわかる
それは田舎と都会との差で、都会集中を危惧して訴えている人の存在
そして読んでいて、興味を覚えたのは
右翼という人たちと左翼と言われる人たちは、どちらかというと反資本主義的であること
そしてある程度は国家主導的に進めるほうが良いとしていること
この国家主導的のトップが天皇制的な(人たちによる)ものにするか
それとも選挙で選ばれた人たちによる人たちに任せるか
の違いだけのように思われたのは少し衝撃的だった

コロナ禍で日本人の多くが実感したのは、ある程度の国家主義的なものは必要だということ
何でもかんでも規制改革をして民営化するのは現実的ではないということ
(最近ではショック・ドクトリンという言葉で新自由主義を警戒する流れがある)
これは左の人たちがコモンとかシン社会主義と称するもののようで
これは日本だけでなくアメリカを含む世界で広がりつつあるような傾向のようだ

人間の行うことはどこか欠点があり完成形ではない
だから試行錯誤でいろんな試みにトライする
社会主義も資本主義も、その選択肢の一つに過ぎないとして
ニュートラルに選ばれるなら良いのだろうが
残念ながらこれらはその属性(共産主義、右翼という言葉)のために
まともに選択のまな板に載ることはない

未来は想像することはできるが、そのとおりにならないことが多く
現実的には正しい選択というのは難しい
それでも、過去から学ぶことは少しでも間違いを少なくするには役立つ
という思想はあっても不思議ではない
それが本来の保守主義と言われるものらしい

このあたりになると、この本だけでなく今までいろいろ読んだものが
邪魔をして頭がまとまらなくなるが、それでも面白いとか参考になる
という気持ちを覚えることがあるので、文字ばっかりでしんどいページを
読み進めることになる

本は消化不良でも、面白いか面白くないかは、わかる気がしている


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道綱母の一首の英語訳

2024年04月15日 09時30分24秒 | 徒然なるままに

大河ドラマ「光る君へ」は権力闘争があっても小競り合い程度
無惨に人が死んでいくシーンはないので安心して見られる
時折挟まれるラブシーンは別の意味で危ない(?)が
昨日の藤原道綱のまひろと間違えてさわを襲った夜這いは
ちょいと笑えるエピソードで長いドラマの中では
時々こういうシーンは必要だのだろう

道綱の母、「蜻蛉日記」を書いた人物と主人公のまひろとの会話のシーンがあった
前回使われた和歌が再び紹介された
「嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものとかは知る」
百人一首を習った頃は何の印象も覚えなかったが今回のドラマで少し気になった

和歌は一音づつのんびりと音を伸ばして歌われるのだろうか
さっと読んだ場合とゆっくり声にされた時と感じるものは少し違う気がする
のんびり声にされた時は、意味のない枕詞も貴重なニュアンスを与えるような気がする

ところで、英語の百人一首がある

結構面白いが、ちなみに上記の作品を見るとこうなっていた

 Mother of Michitsuna

Longing for you
I spend whole nights
Lamenting.But one lilke you
can hardly know
how long a night would be
till it breaks at dawn
if spent alone

DeepL による和訳は
あなたへの憧れ
夜を徹して
嘆いている。
一晩がどれほど長いか
一夜がどれほど長いか
夜が明けるまで
一人で過ごすなら

百人一首をこうして楽しむのも良いものだ

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バロック風のビートルズの音楽

2024年04月14日 17時41分50秒 | 音楽

パッヘルベルのカノンが始まったかと思うと、急に違うメロディが流れる
このメロディは「レット・イット・ビー」だ
このようにクラシック音楽とバロックの音楽を合体したのが
ビートルズ・オン・バロック

このレコードに収録されているビートルズの楽曲は以下の写真の12曲


ビートルズのそれぞれの曲を池辺晋一郎氏が巧みに編曲をして(弦楽合奏の形式で)
違和感のないバロック風にしているが、参考にしたバロックの音楽は以下の通り

「レット・イット・ビー」バッハルベルのカノン
「アンド・アイ・ラブ・ハー」コンチェルト・グロッソ風
「エリナー・リグビー」バッハの管弦楽組曲の中からブーレー
「チケット・トゥ・ライド」ヴィヴァルディ四季の夏の第三楽章
「レディ・マドンナ」ヴィヴァルディ調和の霊感1番 第3楽章
「イエスタデイ」バッハの管弦楽組曲三番からエアー

「ヘルプ」特定の曲ではないがフランス風序曲
「イエローサブマリン」バッハ ブランデンブルク協奏曲4番 一楽章
「ミッシェル」バッハの管弦楽組曲1番の第4楽章
「バック・イン・ザ・USSR」コレルリ コンチェルト・グロッソの第4番
「ヘイ・ジュード」バッハのヴァイオリン協奏曲イ短調 第2楽章
「ロング・アンド・ワインディング・ロード」ヴィヴァルディの四季第2楽章他

これがとても面白い
音楽で遊ぶとか楽しみというのは、こういうことだと思う
昔、クリスマス・イブに桑田佳祐と松任谷由実たちが音楽で遊んだ
クリスマスショーというのがあったが、それもこのノリに近いものだった

音楽はホントすごいな
いろんな楽しみ方があるものだ

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読んで良かった本、聴いてよかった音楽

2024年04月14日 09時43分27秒 | 徒然なるままに

今思い出せる読んで良かったと言える本
ジャンル関係なしに思い出した順番から

「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」山口周
「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」ナンシー・フレイザー
「法学の基礎」団藤 重光 
「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム
「大衆の反逆」オルテガ
「孤独な群衆」リースマン
「ディスタンクシオン」ブルデュー
「全体主義の起源」ハンナ・アーレント
「自然界における左と右」マーティン・ガードナー
「アウトサイダー」コリン・ウィルソン
「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー
「シッダールタ」「デミアン」ヘッセ
「嘔吐」サルトル
「朗読者」ベルンハルト・シュリンク
「雪」オルハン・パムク
「ジャン・クリストフ」ロマン・ロマン
「ルバイヤート」オマル ハイヤーム
「幽霊」「さびしい王様」北杜夫
「夏の砦」「背教者ユリアヌス」辻邦生
「植物は知性をもっている」ステファノ・マンクーゾ, アレッサンドラ・ヴィオラ他

他にもありそうだが、今思いついたもの
なにかのきっかけでもう少し思い出すだろう


ついでに聴いておいて良かった曲
「交響曲3番 エロイカ」「交響曲5番 運命」 「交響曲7番」「交響曲9番 合唱」
ピアノソナタ32番 弦楽四重奏曲12,14,15番
「ミサ・ソレムニス」からアニュス・デイ  ベートーヴェン

「魔笛」「クラリネット五重奏曲」「ディヴェルティメント K136」
モーツァルトはその他いろんなジャンルで

「音楽の贈り物」「シャコンヌ」「パッサカリア」「マタイ受難曲」バッハ

「交響曲2、4,7,8.9番 」
 ピアノ曲「秋の夜の静かな思い」「思い出」ブルックナー

「さすらう若人の歌」「大地の歌」「交響曲5番」 グスタフ・マーラー

「アビーロード」「ホワイトアルバム」ビートルズ
「ラム」「タッグ・オブ・ウォー」「パイプ・オブ・ピース」
「バンド・オン・ザ・ラン」ポール・マッカートニー

「ジョンの魂」ジョン・レノン(イマジンではない)

「エルトン・ジョン」ハイアントンの思い出が収録されているアルバム

「原子心母」「おせっかい」ピンク・フロイド
「タペストリー」キャロル・キング

「ソロ・コンサート ブレーメン・ローザンヌ」「ケルン・コンサート」
キース・ジャレット

「カインド・オブ・ブルー」「スケッチ・オブ・スペイン」マイルス・デイヴィス

「もどり道」井上陽水
「元気です」吉田拓郎

音楽はもう少し出てくるかもしれないが、とりあえずのところ
こうしたものから自分の感情生活はできている


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読書について

2024年04月13日 09時22分40秒 | 

ハリー・ポッターの作者J・Kローリングさんは、地下鉄で自身の作品を読んでいる人を見て
作品が売れていることよりも、ゲームに夢中になっている人が少なくなったことに
喜びを感じたそうだ
ある程度慣れると読書はそれなりの楽しみを得ることができる
だが読書は自家発電の様で、自らが働きかけて単なる文字の羅列から
想像力を駆使しないと何もやって来ない
親切に映像もストーリーもゲームや映画のようにやってこない
ゲームは受動的だが読書は能動的作業を要する

世の中には読書好きな人がいる
どこでも、好きな時間に楽しむことができるので究極のオンデマンドが可能で
便利この上ないが、最近は書店や図書館を利用する人が減っているそうだ
読書するより別のことで時間を費やす人がいたり、電子書籍で紙の本を購入しなくて済んだり
そもそも自家発電のような作業自体が面倒と感じる人も多いようだ

味の素のCMに「人間は食べたものからできている」というのがあった
多分、「人間は読んだものからできている」も言えるのではないか
確かに読書の記憶は断片的であったり、すぐに忘れられてしまうものかもしれない
だが、それでも何かが人生の経験のように残ると思う
それは実感として確信していることだ

先日、読書について面白いものを見つけた
「読書して付箋をつけることが多いが(ここまで読むと自分と同じだと思ったが)
 結局本を最後まで読まなければならない(このオチで笑ってしまった)」
そしてもう一つ
「読書することによって、自分は何も知らなかったと感じることができる」
これもまさに実感することだ

書店に行くと本当にいろんなジャンルの本が並び
「人はなんといろんなことを考えるのだろう」と呆れてしまうが
同時に、自分には知らないことが無限にあると情けなく思うこともある

人が覗いても見たいものの一つは、他人の本棚だそうだ
確かに、少なくとも自分はそうだ
本棚に並んだ本でその人の性格とか傾向は分かる気がする
だからこそ、数年前の市長選の公開討論会では候補者たちに
「今読んでいる本とおすすめの3冊を挙げてください」
との答えを聞きたかったが、それは別の問いがなされることになって実現しなかった

ということで、記憶力の低下を嘆きつつ
まだ本を読む気持ちが失せてないことにホッとしている
(この時間つぶしはお金がかからず良いものだ)

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ひねくれて想像してみると

2024年04月12日 09時43分38秒 | あれこれ考えること

現在、多くの時間を気分的に支配しているのは下山事件で
事件そのものの奇妙さだけでなく、その時代背景とか
現実的であったとしてもそれらは良い選択だったのかが
つい気になっている

「謀殺 下山事件」矢田喜久雄著に続いて読んだのが
「葬られた夏」諸永祐司著

この本は再読になるが、矢田喜久雄氏の本を読んだばかりなので
いろんな事件や登場人物や関連性も頭に入っているので
以前読んだ時よりは楽しめるものになった

下山事件はハマる人が多くて、自殺説、他殺説の両論で昔から論争が続いている
今まで自分が読んだのは他殺説のほうが多いので、今回念の為に自殺説の
「下山事件の事実」事例研究所をAmazonで注文してみた

ところで今日のテーマは下山事件の内容ではなくて
その当時の世の中の流れとか雰囲気が、現在と似ていないかということ

岸田さんがアメリカに国賓待遇で招待され、月面着陸に二人の日本人に
チャンスが与えられたといった一見喜ばしい報道がなされているが
その裏で何が進んでいるか、、を疑いながら見るとそう安易に喜んでいられないようだ

アメリカは大統領選を控えて多数派の共和党がウクライナ支援の更なる支援を否決した
そのままではウクライナが不利になることは自明であり
ロシアの力による支配が現実化されてしまう
アメリカはお金を出せない、、そのかわりに出せるところは、、
そう考えたときにアメリカは良い口実を設けて日本に働きかけた
アメリカと日本の民主主義国家の連帯は、周辺国(中国、北朝鮮、ロシア)
との有事を想定すると一層緊密になることが求められる
緊密な関係とは現実的にはお金の供給のことで
それは直接的な兵器ではないにしても、どこかそれに関連することであったりする
これが可能とするためにアメリカは日本に法的な根拠を変更するようにさえ求めている

こうした強引な手段はストレートに表面化すると大騒ぎになるので
それをカモフラージュするために
手段として口当たりの良い国賓待遇の招待というものを計画した
そしてお土産に日本人に対する「サーカス」と計算したのが月面着陸の二人というアルテミス計画だ
ところがこの招待を批判的に見る人達は、空港で岸田さんを出迎えた人の顔ぶれを見て
政府関係者の重要ポストにいる人がいないことから、口だけの国賓待遇ではないかと見ている

世の中は現実的な国益最優先で動いている!と実感するこれらの事件だが
ここまでひねくれて想像したしまったのは
冒頭に挙げた「下山事件」のアメリカの関与の仕方が
現在のそれに似ていないかということ

戦後の日本は共産党の勢いが強くなった
国会議員も一桁台から40数人まで増えて、GHQが求めた国鉄職員の首切りも
ストという手段で難しい状況になった
中国では毛沢東、北朝鮮は金日成、そしてロシアの共産主義国家の勢いが
日本にも及んで来るのではないかと恐れたのがアメリカと日本の一部だった

そこで現実路線のアメリカはいろんな例外を設けた
最初は自衛権すら認められなかったようだが
軍とは言わないが兵力を所有する警察予備隊(のちの自衛隊)を認めるとか
731部隊のCIAに情報提供することを約束に彼らを罰しないとか
アメリカの北朝鮮との戦いに備えて国鉄による武器輸送を円滑にするための
制度づくりとか、、反共を進めるための現実的な方法とか
(そこには例の統一教会の反共運動がある)

戦後のその時期の雰囲気はよくわからないが
国鉄のストを起こす人たち(共産党員?)は、世界同時革命みたいなものを
現実化できるかと考えていたかどうか、、といえば
どうもそれは無理!と考えていたようだ
ガチガチの共産党員はイケイケの態度だったらしいが、現場の雰囲気を知る連中は
同じ国鉄職員の中には共産党に反対する人のグループもいて
物事はそれほど簡単ではないと思っていたようだ

下山事件は松本清張もアメリカの関与があるとしている
そして、この事件は結局のところ、いろんな理由はあろうが事件後には
一気に共産主義の力が衰弱してしまった
そしてそれはアメリカの望んだことだった
多分、日本人もそれを望んでいたのも事実だ
国鉄職員の中にも共産党の考えに反対する人がいたからだ

だが、下山事件の肝心なところが、アメリカの重要ポストにいた人物の
口を閉ざしている事実を知るにつけ、世の中はわからないままに
なにかに都合よく進められていくものだと思わざるを得ない
その秘密裏に行われることが最終的に良いものであれば良いのだが
どうもそう簡単に性善説で受け入れることはできそうにないのも現実だ

岸田さんの国賓待遇でのアメリカ訪問
そう単純に喜んではならないのが現実のようだ




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役割分担

2024年04月11日 09時15分03秒 | 子どもたちのこと

月木のルーティンは子どもたちとの校門までのウォーキング
日の出が早くなったし、暖かくなっているので一時期のような
遅れてくる子は少なくなった

今年は1年生が3人
一人はHくんの妹のIちゃん、あと二人はブラジルをルーツに持つ子
決まった順番に並んで歩き始める
1年生のIちゃんは列の二番目
見守るように4年になったAちゃんが寄り添う
「えらい!AちゃんはIちゃんの面倒を見てるね」
誰かから言われた訳でもないだろうが、自然と自分の役割を見つけたようだ

「おじさんは、ブラジルの子たち(の担当)」
Aちゃんが仕切るように言う
今まで何かとブラジルの子(Lくん)に寄り添って歩いていたので
それで口に出たのだろう

「あのね、Lくん、ものすごく日本語がうまくなったよ
 昨日、筆箱を忘れたって、、、、、」
どうやら下校時にそんな話をしたようだ
Lくんの日本語のプレ教育の期間は終了したので日本語能力を心配したが
幼いうちの吸収力は大したもののようだ

3年になったLくんは、ポルトガル語を話す二人の男の子が
近所に住むことになって一安心だろう
今朝は彼らとポルトガル語の会話を楽しんでいた

こうした他愛もないことでとても幸せな気分になる
1年の時、不安で一杯でGW明けには小学校に行くのを嫌がったAちゃんが
今はお姉さん役でIちゃんを見守る
こうしてみんな大きくなっていく

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