――安倍晋三は第2次安倍政権5年でパンドラの箱を開けて希望だけを残し、格差という災いを振り撒いた――
安倍晋三の10月20日(2017年)の神奈川県厚木市の遊説演説を10月20日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。
安倍晋三「2009年、私たちは政権を失った。あの時、私たちは決して看板を掛け替えて誤魔化そうと考えず、深刻に反省し、ひたすら政策を磨いて鍛えてきた。 この選挙は、地域を誰に託すのか、どの候補者が信用できるのかを問う選挙だ。当選するためにかつての責任がなかったかのように看板をかえるような候補者か、どんなに苦しくても自民党で自分の信念と政策を推進してきた候補者か。 本当に厳しい選挙だが、どうか皆さんのお力を賜りたい。子どもたちがみずからの努力で未来をつかみとることができる社会、働きたい人が働くことができる社会こそ、希望ある社会だ。そういう社会を一緒にもっと進めていこう」 |
「決して看板を掛け替えて誤魔化そうと考えず、深刻に反省し、ひたすら政策を磨いて鍛えてきた」その政策の行き着いた先が格差社会とは、余りにも酷いではないか。
格差社会を背負いながら、なお政権を担当しようとしている。余りにも厚顔無恥ではないか。
「NHK NEWS WEB」が「Business特集」の名目で《いざなぎ超え データで探る中間層の実像》なる記事を載せいていた。現在リンク切れとなっていて、閲覧できないが、日本の景気は4年10カ月に亘って拡大し、「いざなぎ景気」を超え、企業の経常利益は2013年度から4年連続で過去最高を更新、企業の貯金である「内部留保」は2012年度から5年連続で過去最高、2016年度の企業の蓄えは400兆円を超え、株価は2倍以上等々、各統計や各指標を見ると、景気は回復しているように見える。
その一方で景気の実感がないという多くの声を解き明かすために各年度の厚生労働省統計「国民生活基礎調査」の「所得金額階級別世帯数の相対度数分布」から所得を低いものから高いものへと順に並べて2等分する境界値である世帯年収の「中央値」の変化を見ることで、日本の「中流世帯」「中間層」が置かれている状況を見てみるという内容になっている。
ご存知のように世帯年収から年金や医療など社会保障の保険料が引かれて、手取りはそれ相応に目減りすることになる。世帯年収=可処分所得とはならない。
各年の世帯年収「中央値」
1987年 435万円 バブル
1988年 453万円 バブル
1989年 471万円
1990年 500万円
1991年 521万円
1992年 549万円
1993年 500万円
1994年 545万円
1995年 550万円 阪神大震災
1996年 540万円
1997年 536万円
1998年 544万円
1999年 506万円
2000年 500万円
2001年 485万円
2002年 476万円
2003年 476万円
2004年 462万円
2005年 458万円
2006年 451万円
2007年 448万円 リーマンショック
2008年 427万円
2009年 438万円
2010年 427万円
2011年 432万円 東日本大震災
2012年 432万円
2013年 415万円
2014年 427万円
2015年 428万円
1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51カ月間のバブル期1987年の世帯年収「中央値」435万円がバブルが弾けたあとの1995年に550万円と最高額を記録した後、年々下がっていき、2001年に500万円を切って485万円、そこから2013年の415万円まで下がって、次の年に12万円上昇して2014年に427万円、2015年に更に1万円プラスされて428万円となっている。
但し12万円上昇と言っても、月に1万ずつで、世帯年収「中央値」以下はその殆どが年収400万円以下の世帯で、2013年58.3%、2014年56.9%、2015年同率の56.9%と全世帯の50%を超えている。
記事は次のように解説している。
〈共働きの世帯は年々増え、1992年に専業主婦世帯を上回り、今は1100万世帯を超えています。専業主婦世帯のおよそ1.7倍です。高齢化が進み、年金生活などで収入が低い「高齢者世帯」が増えているという事情はもちろんありますが、グラフからは、共働きが増えているのに、中間層の世帯年収は下がっている、という姿が浮かび上がってきます。
何人かの経済の専門家に聞きましたが、非正規で働く人が増えていることを理由に挙げる人が何人もいました。年功序列型の賃金カーブに乗れず、年を重ねても、所得が伸びない人が増えてきていることが、データの裏に見えるというのです。夫婦2人で非正規雇用という若い世代が増えていることも指摘しています。
「中間層の年収が下がると、消費は停滞せざるをえない。非正規雇用が増えたことで、将来への不安が高まり、住宅や車など大きな投資もしづらくなっている」と影響を指摘しています。〉――
共働きの世帯の増加は世帯収入を増やし、世帯年収の「中央値」を引き上げて、その分個人消費を活発にしていいはずだが、そういった状況になっていないばかりか、全世帯の半数以上が世帯年収の「中央値」以下で、「中央値」自体の世帯年収が個人消費が盛んだった1995年550万円のピークに比べ122万円も少なくなっているという逆の状況を呈している。
122万円というハンパではない減収との比較を見ただけでも、2013年世帯年収「中央値」415万円+12万円=2014年世帯年収「中央値」427万円+1万円=2015年世帯年収「中央値」428万円のそれぞれの増額は、ここから社会保険料やその他の税金が差し引かれるとなると、到底取り戻したという感覚にはなれない金額に見えてくる。
そしてこの取り戻したという感覚になれない不足感が消費活動を抑制する装置として働くことになる。
一方で株高・円安で高額所得者は元々の高額の所得の上に更に所得を膨らませている。格差の状況が生まれて当然である。低迷していた個人消費がここに来て僅かばかり上向いたのは大多数派の中間層以下の国民ではなく、少数派の高額所得者がその多くを担っているからだろう。
数から言って大多数派の中間層以下の国民が僅かずつでも個人消費を活発化させていたなら、数が多い分、その数値は大きく上向くはずだが、逆に少数派の高額所得者が少しぐらい高額の消費を行っても、数が少ない分、その数値にさしたる影響を与えることはないからだ。
再び言う。安倍晋三は「2009年、私たちは政権を失った。あの時、私たちは決して看板を掛け替えて誤魔化そうと考えず、深刻に反省し、ひたすら政策を磨いて鍛えてきた」とさも有能な政権担当政党であるかのように大言壮語しているが、第2次安倍政権5年でパンドラの箱を開けて希望だけを残し、格差という災いを振り撒いたに過ぎない。