◆雷鳥からサンダーバードへ!
1964年に東海道本線大阪駅と北陸本線金沢駅を結ぶL特急として誕生したL特急雷鳥は、来る三月ダイヤ改正を以て営業運転を終了します。
485系雷鳥は、旧国鉄色の代名詞、こだま色特急として長らくその姿を沿線に示し、大阪と金沢を結ぶ特急として君臨してきましたが、485系の旧式化により681系と683系に置き換わる形で3月11日を以て運転終了となります。現在は雷鳥とサンダーバードが混成運用されているのですが、遂に完全にサンダーバードへ置き換わる訳です。
大阪金沢間267.6km、立山連峰の特別天然記念物“雷鳥”という名を冠した特急雷鳥はこの距離を2時間50分、表定速度94km/hで結ぶ特急です。1964年の運行開始以来、ともに並走した青森行き特急白鳥の廃止等を目の当たりにしつつ運行を続け、1997年にはサンダーバードの運行が開始、世代交代の時期を迎えました。
特急雷鳥、北大路機関の記事をご覧いただければどちらかというと485系よりも、その派生型か改造型の183系を用いる特急まいづる号の方が御世話になっているのですが、京都駅で様々な列車を撮影していて、必ず目にしていたのが雷鳥、雷鳥が消えてしまうのはさびしいの一言ですが、しかし北陸本線が金沢から大阪まで全線開業した暁には、サンダーバードは廃止されても新幹線らいちょう号が復活するのでは、そういう期待は残ります。
京都駅0番線に到着した特急雷鳥ですが、廃止間近とあって所謂葬式鉄が群がっていまして、フラッシュを焚いているのは俄鉄の方でしょうか、停車中は人が多すぎるため端の方で発車した様子を流し撮りしました。少々薄暮の時間ですがEOS-50Dはその時間帯に充分その性能で応えてくれました。薄らと映る近鉄新京都駅ビル、移り行く情景とともにこの雷鳥がこの月日に撮影した事を示す生き証人となるのですね。
先に引退した山陽新幹線の0系新幹線は、この485系雷鳥とともに誕生した車両で、その事を考えれば本車も本当に頑張ったのだなあ、と。目にする事が一番多かったのがこの京都駅ですので、気取った撮影ポイントを右往左往するのではなく慣れ親しんだ京都駅を撮影場所に選んだのですが、正解でした。
こだま色、こだま号というと新幹線の各駅停車を連想する方も多いようですが元々は新幹線以前の在来線、東海道本線電車特急の愛称でした。こだま色とはその電車に施された塗装で、当時の東海道本線にはまだ蒸気機関車やディーゼル機関車が運行されていた時代、煤や煙で曇る部分が目立ちにくく、他方で一番一目を惹く塗装として選択されました。新幹線が白いのはこうした心配が無いからこその勝利の証しだった利するのですがね。なお、蛇足ながら、ひかり号は満鉄特急計画が由来。
大阪行きの雷鳥94号、到着は京都駅七番線です。雷鳥はいよいよダイヤ改正で廃止されるのですが、京都駅最後のブルートレインとなった寝台特急日本海、寝台車から自由席まで備えた583系で運行する夜行急行きたぐに号は次のダイヤ改正でも維持されるようで、意外と言えば意外でしたね、嬉しい誤算です。
雷鳥大阪行き。パノラマグリーン車を先頭にしての京都駅到着です。雷鳥も、ボンネットの489系や、一時は一部の編成ですが寝台座席混成の583系で運行された時代もあったのですし、スーパー雷鳥として塗装が代えられた時代持ったのですが、こだま色に、しかしパノラマグリーン車を先頭にして金沢から京都に到着、大阪はもうすぐ。
京都駅ビルと雷鳥。時間は夜の帳が下りた後、流し撮りになったのですが京都駅ビルと雷鳥が一枚に収まりました、この情景が好き。湖西線の強風により数分遅れての到着なのですが、この雷鳥94号は、先程の雷鳥33号が物凄い人出とカメラに迎えられた事を思い出すと非常に少ない、写真の端に一名だけ女性がいただけでした。夜には迷惑を考えず三脚を持ち出す人がいますが、ズームレンズさえあれば流し撮りが可能です。
大阪行き雷鳥。雷鳥はサンダーバードへ置き換わるのですから、寂しさは廃止程ではないのですけれども、ヘッドマークもL特急の方向幕も無い681系や683系と比べると、485系は絵になる電車でした。183等に乗ってみた後で683系に乗れば座席や車窓、車内設備に世代差は感じるのですが、慣れると旅情を楽しめる、そんな電車特急、いよいよ11日の終了、名残惜しいですが良い車両、次の特急とともに記憶にとどめたいものです。
HARUNA
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