◆その脅威は本当に使いこなせているのか?
故江畑氏の名著とよく似たタイトルですが、少し離れた内容を目指しています。日本が防衛力を構築する場合、隣国の一点豪華主義装備に個々の対抗手段を講じるのではなく、体系として防衛力を構築するべきだろう、何故ならばその脅威は使えていない可能性があるのだから、と。
日本が防衛を考える上で、いちばん重要なのはどういう装備を整備するのかという事では無く、どういう脅威に対応する防衛力を整備するか、という事になるのでしょうけれども、防衛力は脅威を念頭に整備するべきもの、という一方でその驚異の見極めというのが非常に難しいものです。周辺国がステルス機の開発を進めている、隣国が空母の建造を開始した、新型戦車が凄いらしい、やたら近代的な戦闘ヘリっぽいのが出てきた、そういう装備に反射神経的に対抗できる装備体系を揃えようとしてしまうのですけれども、重要な論点が一つ。つまり、諸外国はその装備と完全に使いきれているのか、という一点。
日本ほどしっかりと諸外国は新しい装備をちゃんと使いこなしているのか、使いこなせない装備については対策が講じられているのか、ライセンス生産のような運用基盤を構築しているだろうか、導入国の運用体系に統合化されて有機的な運用が可能なのか、カタログスペックをどの程度発揮できているのか。ステルス戦闘機を隣国が開発している、と聞くと日本もF-22やF-35,いっそF-23でもいいや、という声が出てくるのですが周辺国のステルス機はステルス性があったとしても第五世代戦闘機としての性能を持っているのか、という事があり得ます。他には隣国が航空自衛隊の主力戦闘機の発展型を導入したとしても、それを聞けば充分な戦闘機数を確保しなければ、と慌ててしまうかもしれないのですがちゃんと稼働率を維持して有事の際に使用できるような運用体系になっているのか、という事が重要でしょう。
使えていない兵器、これを日本が脅威として認識している事は無いのかな、と。日本が導入する装備は基本的に完全に運用できる体制を確保することが前提です、無理に導入した大型ヘリコプターや機関不具合に悩まされた某水上戦闘艦、なかなかデータリンクに対応できなかった某航空機や最後まで電子戦装備を搭載してもらえなかった航空機、稼働率維持に物凄い苦労を強いられている某装甲車や手に余ってしまった某回転翼機等、聞く話は多いのですけれども日本に装備される航空機や車両、火器などは基本的に完全に稼働する体系が構築され、運用体系が維持されています。逆にいえば諸外国では、もちろん、全てがそうとは言わないのですが、見栄といっては語弊があるかもしれませんけれど、導入することが目的の装備、というものがあるようなのですよね、それで導入したものの手に余ってしまっているものがあったり、整備能力を大幅に超えているため稼働率が維持できない装備、それがその国の看板兵器となってしまっているものがある、看板兵器となっているため、その装備が完全に使える兵器であるという認識の下で周辺国は対抗手段を講じようとする、使える兵器と使えていない兵器の見分けは非常に難しく、特に導入することが目的の兵器であると、導入した国は大きく宣伝しますので、過剰評価を敢えて行わせている、というものがある、という訳。
最新の装備を完全に稼働させるには純正部品や近代化改修など物凄い維持費が必要になるのですが、これが行えていないと使えていない可能性が生じる。有事の際にはそうした運用上の問題を飛び越えて投入されることは間違いないのですけれども、人が命を託している道具というべき兵器の中で、稼働率維持の面で問題のある装備や使いこなせていない装備は人が命を託しているか怪しい道具になり果てているものがある。もちろん、これは、どうせどこそこの国が導入した何某の新装備は運用できていないだろう、という事で油断を推奨するものでは決してないのですけれども、脅威の過大評価に繋がってしまう、という問題点を抱えているという事。過大評価、ということは言い換えれば余裕ある防衛力整備に繋がる訳ですから全て俳する、という訳ではないのですけれども、しかし相手が看板にするだけの目的で導入し、維持費を充分に捻出出来ていないものに対してまで、こちらが稼働率や維持、近代化まで加えた対抗措置を採るという事は、逆に多くの資材や予算をそうしたものに撮られてしまう、という事にも繋がり、総合的にはマイナスにもなりかねないでしょう。
これを分かりやすくいいかえると、単体ごとに脅威脅威と考えるのではなく、粛々と淡々と防衛力、総合力としての防衛力を整備することが必要なのではないか、と言える訳です。端的な事例は米軍のF-16が何故性能的に秀でたMiG-29を確実に圧倒できるか、という事です、総合力で勝っているからこその結果なのですよね。また、一点豪華主義の装備に一つづつ向かい合ってゆく事は、単種で戦略的な変化を可能とする装備は中々存在しない、という一言が全てを説明できるかもしれません。一騎打ちするわけではないのですからね。
いや、この考え方、次期戦闘機選定の話題や無人機装備体系のお話、新戦車に関する部隊編成の話題や水上戦闘艦の将来道能に関する話等をみてゆきますと、ちょっと巣交代系の片隅に置いておくべきなのだろう、そう考えてしまいます。一点豪華主義に対してこちらも後先考えずに導入して隣国と同程度に維持費を抑えられればそれはそれで抑止力になるのかもしれませんが、日本の場合は本当に運用できる体系を構築してしまいますからね、その分費用が大きい。それよりも導入した装備や防衛計画の大綱に明記された防衛力を完全に運用できる教育訓練体系と稼働率の維持をどう行うか、そういう点の方が、正面装備の充実よりも実は重要な事なのでしょうね。即ち諸外国のカタログスペックの身充実した装備は使えているのか使えていないのかを見極め、使える兵器を最大限充足させることによる総合力で防衛力を構築するのが第一であるべきだろう、と。
HARUNA
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