■わんだふるはいかん!
妙心寺へお盆のおしょらいさんお迎えの灯篭を見上げるべく拝観へ向かったのですが、わんだふるな一日になると思いきやこれ暑すぎてヤバい。
京都散歩、当たり前と言われればその通りなのですが真夏の写真は少ない、紅葉の季節やさくらの季節の写真、そうかあと梅花の季節と比べても。そういうのは、このところの熱さです、真夏の情景はもう五月あたりにとるほかないのか。
熱さです、妙心寺はおしょらいさんの季節と言うことで拝観にむかったのですけれども、花園駅から妙心寺まで、これといって遠い距離ではないのでそれほど熱さ対策もせずにカメラ片手に拝観へと歩み勧めまして、時間帯もお昼頃であったのが。
妙心寺まで地図でみればもう花園駅から指呼の距離なのですけれども、頭痛にめまいまできまして、妙心寺にきた、目眩も来た。これ、百里基地で経験しましたけれども熱中症の前兆だ、昔ふうにいいますとこの症状は日射病ともいう。
おしょらいさん、16日に執り行われますので、その夕方や前日あたりは盛り上がるのですけれども、そのさらにもう少し前から提灯はともされていると言いますので、それならば混雑があまりないころあいに情景を撮影しよう、とね。
妙心寺は混雑はなかった、というよりも、これほんとに2024年の写真ですか、2020年のお盆ではありませんか、といわれてしまったような人のいない京都、という情景に仕上がりまして、それはもちろん、熱すぎて人出が限られていた構図なのかなあ。
真夏の京都、熱い京都、という表現は幾度も紹介しているところですけれども、この熱さは庭園を直撃していて、何より情景を構成する上で重要なスギゴケが熱さで壊滅状態になっているという、気温も湿度もスギゴケにはもう無理らしい。
スギゴケ、苔類は気候的適応力が高く、ほかの惑星へのテラフォーミングに使えるのではないかと言われた時代があり、火星や金星のテラフォーミングへの応用が期待されたと言うけれども、火星や金星はなんとかなっても、京都はだめなのか。
日本庭園の起伏に富んだ造形、このなかでも必然の窪地状の地形にたまった水が、おそらく直射日光で熱湯になってしまって、スギゴケは茹でられている構図なのだろうなあ。実際、拙宅の水盆にわいていたボウフラは熱くて白くなっていた。
衛生環境を考えればボウフラが水盆で熱せられて全滅していたのはさいわいのことなのかもしれないけれども、地球環境を考えるとこれは大変なことになっているのだ、と思う。これを避けるにはソーラー噴水というものを拙宅では活用しています。
ソーラー噴水の気化熱、飛沫がそれなりに一定以上の温度上昇を避けるようでして、これが動いている水盆は、なぞの生き物たちも生き残っていました、けれども安物のソーラー噴水は数日間故障することもあり、そういう水盆の生き物は残念なことに。
庭園のスギゴケの場合は、まさかソーラー噴水で全部防護するわけにもいかず、それでは水盆だらけになって水芸のようになってしまうしで、日本庭園、コケならばなんでも情景のために、と選ぶことができないようになっているという話を聞く。
妙心寺にもいくつも庭園があるのですが、この熱中症手前の頭痛がある中ではなかなか退蔵院庭園を散策しようと言う余裕が生まれてこなかったのが正直なところです。もうすこし、盆をすぎれば涼しくなるのかもしれないと期待しつつ、この日の散策でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
妙心寺へお盆のおしょらいさんお迎えの灯篭を見上げるべく拝観へ向かったのですが、わんだふるな一日になると思いきやこれ暑すぎてヤバい。
京都散歩、当たり前と言われればその通りなのですが真夏の写真は少ない、紅葉の季節やさくらの季節の写真、そうかあと梅花の季節と比べても。そういうのは、このところの熱さです、真夏の情景はもう五月あたりにとるほかないのか。
熱さです、妙心寺はおしょらいさんの季節と言うことで拝観にむかったのですけれども、花園駅から妙心寺まで、これといって遠い距離ではないのでそれほど熱さ対策もせずにカメラ片手に拝観へと歩み勧めまして、時間帯もお昼頃であったのが。
妙心寺まで地図でみればもう花園駅から指呼の距離なのですけれども、頭痛にめまいまできまして、妙心寺にきた、目眩も来た。これ、百里基地で経験しましたけれども熱中症の前兆だ、昔ふうにいいますとこの症状は日射病ともいう。
おしょらいさん、16日に執り行われますので、その夕方や前日あたりは盛り上がるのですけれども、そのさらにもう少し前から提灯はともされていると言いますので、それならば混雑があまりないころあいに情景を撮影しよう、とね。
妙心寺は混雑はなかった、というよりも、これほんとに2024年の写真ですか、2020年のお盆ではありませんか、といわれてしまったような人のいない京都、という情景に仕上がりまして、それはもちろん、熱すぎて人出が限られていた構図なのかなあ。
真夏の京都、熱い京都、という表現は幾度も紹介しているところですけれども、この熱さは庭園を直撃していて、何より情景を構成する上で重要なスギゴケが熱さで壊滅状態になっているという、気温も湿度もスギゴケにはもう無理らしい。
スギゴケ、苔類は気候的適応力が高く、ほかの惑星へのテラフォーミングに使えるのではないかと言われた時代があり、火星や金星のテラフォーミングへの応用が期待されたと言うけれども、火星や金星はなんとかなっても、京都はだめなのか。
日本庭園の起伏に富んだ造形、このなかでも必然の窪地状の地形にたまった水が、おそらく直射日光で熱湯になってしまって、スギゴケは茹でられている構図なのだろうなあ。実際、拙宅の水盆にわいていたボウフラは熱くて白くなっていた。
衛生環境を考えればボウフラが水盆で熱せられて全滅していたのはさいわいのことなのかもしれないけれども、地球環境を考えるとこれは大変なことになっているのだ、と思う。これを避けるにはソーラー噴水というものを拙宅では活用しています。
ソーラー噴水の気化熱、飛沫がそれなりに一定以上の温度上昇を避けるようでして、これが動いている水盆は、なぞの生き物たちも生き残っていました、けれども安物のソーラー噴水は数日間故障することもあり、そういう水盆の生き物は残念なことに。
庭園のスギゴケの場合は、まさかソーラー噴水で全部防護するわけにもいかず、それでは水盆だらけになって水芸のようになってしまうしで、日本庭園、コケならばなんでも情景のために、と選ぶことができないようになっているという話を聞く。
妙心寺にもいくつも庭園があるのですが、この熱中症手前の頭痛がある中ではなかなか退蔵院庭園を散策しようと言う余裕が生まれてこなかったのが正直なところです。もうすこし、盆をすぎれば涼しくなるのかもしれないと期待しつつ、この日の散策でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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