■89式装甲戦闘車登場
第7師団特集の第11回が第11普通科連隊というのは何か偶然にしてもめでたいものです。機甲師団編成である第7師団唯一の普通科連隊は日本最大規模の普通科部隊だ。
第11普通科連隊の観閲行進が始まりました、本部管理中隊とともに六個普通科中隊と重迫撃砲中隊という、六個普通科中隊を置く為に各戦車連隊へ普通科中隊を派遣し戦車連隊戦闘団を編成した場合でも旅団普通科連隊よりは強力な戦闘部隊が残るという編成です。
東千歳駐屯地には実は戦車連隊は置かれていませんが、この第11普通科連隊と第7特科連隊が、強力な装甲部隊という印象を突き付けます。そしてこの連隊には自衛隊に配備されている89式装甲戦闘車がほぼ全て集約されています、他は教育部隊に配備されるのみ。
89式装甲戦闘車は、35mm機関砲と79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載し90式戦車の機動力に随伴できる防御力と機動力を兼ね備えた新時代の装甲車として開発されたのですが、新時代が冷戦終結後であった為に量産は68両と限られたものとなり数が揃いませんでした。
35mm機関砲は開発当時に装甲戦闘車の代名詞がアメリカのM-2ブラッドレーの25mm機関砲と西側元祖と云われたドイツのマルダー1で20mm機関砲、イギリスのウォリアーが30mmでしたのでかなり強力といわれましたが、その後欧州では40mm時代が到来します。
26tの戦闘重量を有する89式装甲戦闘車は開発当時、抜きんでた重装甲と呼ばれぜいたくすぎるとも称されましたが、その後欧州では、戦車よりも装甲戦闘車の方が全損した場合の人的被害が大き過ぎるとされ重装甲化が進み、今や40t台が普通となったのは驚いた。
共通装軌車両として、89式装甲戦闘車の後継に車体のみを89式装甲戦闘車の延長線上という車輛を開発し73式装甲車と89式装甲戦闘車などを置換える構想があります、砲塔は新造しないという。ならばいっそ91両が量産された87式偵察警戒車砲塔も載せてはと思う。
装甲戦闘車は世代交代している、この視点は重要であるように思う。89式装甲戦闘車などは第7師団にしなかいものですので良いものであるという認識がありますが、比較対象が73式装甲車ならば首肯できるものの、ASCODやCV-90と比較しても言い切れるのかと。
近接戦闘、なにしろ戦車は500m以下の近接戦闘に脆弱性があり90m以下の近接戦闘はきわめて難しい、故に乗車歩兵が銃眼から撃退するという認識があったわけですが、これは恰も第一次大戦後から第二次世界大戦初期に散見された多砲塔戦車の概念に近いといえる。
多砲塔戦車の利点は戦闘における死角の少なさではありますが、同時に中距離目標への戦車長の統率の低さがあり、これは主力戦車に第一世代走行戦闘車は依存しつつ小銃を銃眼から様々な角度に射撃するという概念でしたので、多砲塔戦車の概念と似るよう思う。
ただ、これ陣地攻撃に際して、なにしろ陸上戦闘の根幹は土地の収奪にあり、これは古代から現代まで不変だ、その過程で下車戦闘に移行すると、敵陣地に接近した際こと近接戦闘の蓋然性が高くなるのに対して、その瞬間は歩兵はもう下車している矛盾がありました。
ここが第二世代装甲戦闘車、世界では装甲戦闘車を戦車のように第一世代と第二世代と第三世代で訳ないのがふつうであるため便宜的なものですが、初期のものと現代のものでは、寧ろ装甲戦闘車の根幹は防御力の高さを挙げ、車体は重量化していったと説明できます。
自衛隊はフィンランド製装輪装甲車であるパトリアAMVを三菱重工が16式機動戦闘車の車体を応用した機動装甲車と比較し、次期装輪装甲車を検討していますが、いっそのこと装甲戦闘車もスウェーデン製CV-90C装甲戦闘車あたりを検討しては、とも思うのですね。
一方で、日本の国土を考えれば機甲部隊が運用できる地形は限られ、普通科部隊が主体になるのではないか、という指摘はあるようです。確かに北海道北部を見ますと山間部に隘路と盆地が並ぶ、一見機械化部隊が戦闘を展開するには適していないように錯覚しますが。
フルダギャップと同じではないか、冷戦時代の東西ドイツ国境における東ドイツ国境線が突出部となっている地形と共通点を見い出せるのですね。冷戦時代にはドイツ北部地域が平野部となっていましたので、軍団規模の戦車部隊が戦闘を行う蓋然性が指摘されたもの。
北海道北部とフルダギャップですが、フルダギャップは北部平原と比較し山間部と地形障害となるフルダ川が戦車部隊の前進を阻むものの、山間部とヘッセン東方の高地を抜ける先には平野部が広がり、地形障害無しにそのままドイツ経済の中枢フランクフルトに続く。
音威子府隘路や上川盆地の旭川、その先に滝川岩見沢のラインを超えますと道都札幌まで地形障害がありません、しかし道北に伸びる国道12号線と国道40号線周辺では、戦車部隊の機動、上記フルダギャップの地形よりも容易な特性がありまして、機械化部隊が要る。
泥炭湿地、北海道防衛に機械化部隊が重要であると考える背景にはもう一つ、この泥炭湿地という地質特性がありまして、戦車でも移動が困難な地質です、戦車が動けないならば、と思われるかもしれませんが履帯幅の大きい装軌車両は踏破できます、ここが肝要です。
道北の地形は、言い換えれば路外機動性を成約する地形だからこそ路上の装甲部隊等は航空攻撃や砲兵曳火射撃の格好の標的となりますので、逆に路外を機動しなければなりません、すると徒歩機動で路外を右往左往するには膨大な数の普通科連隊を張り付ける必要が。
ジャベリンのような対戦車ミサイルが有れば大丈夫だ、という視点もあるようですが機動力を持たない普通科部隊だけで守るには座布団部隊を全土に張り付ける必要があり、敵のこない地域の座布団部隊は必然的に遊兵化します、そんなに人的余裕はあるのか、と思う。
集中運用してこその機械化部隊だ、とグデーリアンやマンシュタイン、昔の方はパウルカレルあたりまで引っ張り出して来るかもしれません、最後の人は誇張表現がかなりありまして、引用する人は減っていますが、80年前は戦車の分散運用は悪手であったのは、確か。
C4Iの時代、分散運用が基本となったのは第二次大戦後の核兵器の時代にペントミック師団、つまり五単位師団をアメリカが示したように固まっていると戦術核で一挙に焼却されるという危惧から分散運用が模索されるようになります、そしてその後C4Iの時代が到来する。
RMA軍事における技術革命と2000年ごろには盛んに喧伝されましたが、C4Iにより分散した部隊が孤立せず電子空間で秒単位の相互支援が可能となり確実な兵站と火力支援を受けられる時代となりますと、機械化部隊の分散運用が極めて有力な勝ち目、となってゆく。
90式戦車や89式装甲戦闘車、いまは10式戦車の時代ですが中隊単位で分散しつつ電子の空間で確実に相互支援し必要ならば集結し危険ならば分散、この機動力、歩兵も未来にモビルスーツでも量産される時代が到来すれば別ですが、今はヘリボーンのほかありません。
人員の方が予算よりも喫緊で、日本は人口から数万十数万を有事の際に遊兵化させる余裕も数万の人的損耗にも耐えられません、予算も人口も無いと財務省が反論しそうですがならば戦術核でも使うかと代案を出しつつ、基本的に機械化を進める必要が、あるでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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第7師団特集の第11回が第11普通科連隊というのは何か偶然にしてもめでたいものです。機甲師団編成である第7師団唯一の普通科連隊は日本最大規模の普通科部隊だ。
第11普通科連隊の観閲行進が始まりました、本部管理中隊とともに六個普通科中隊と重迫撃砲中隊という、六個普通科中隊を置く為に各戦車連隊へ普通科中隊を派遣し戦車連隊戦闘団を編成した場合でも旅団普通科連隊よりは強力な戦闘部隊が残るという編成です。
東千歳駐屯地には実は戦車連隊は置かれていませんが、この第11普通科連隊と第7特科連隊が、強力な装甲部隊という印象を突き付けます。そしてこの連隊には自衛隊に配備されている89式装甲戦闘車がほぼ全て集約されています、他は教育部隊に配備されるのみ。
89式装甲戦闘車は、35mm機関砲と79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載し90式戦車の機動力に随伴できる防御力と機動力を兼ね備えた新時代の装甲車として開発されたのですが、新時代が冷戦終結後であった為に量産は68両と限られたものとなり数が揃いませんでした。
35mm機関砲は開発当時に装甲戦闘車の代名詞がアメリカのM-2ブラッドレーの25mm機関砲と西側元祖と云われたドイツのマルダー1で20mm機関砲、イギリスのウォリアーが30mmでしたのでかなり強力といわれましたが、その後欧州では40mm時代が到来します。
26tの戦闘重量を有する89式装甲戦闘車は開発当時、抜きんでた重装甲と呼ばれぜいたくすぎるとも称されましたが、その後欧州では、戦車よりも装甲戦闘車の方が全損した場合の人的被害が大き過ぎるとされ重装甲化が進み、今や40t台が普通となったのは驚いた。
共通装軌車両として、89式装甲戦闘車の後継に車体のみを89式装甲戦闘車の延長線上という車輛を開発し73式装甲車と89式装甲戦闘車などを置換える構想があります、砲塔は新造しないという。ならばいっそ91両が量産された87式偵察警戒車砲塔も載せてはと思う。
装甲戦闘車は世代交代している、この視点は重要であるように思う。89式装甲戦闘車などは第7師団にしなかいものですので良いものであるという認識がありますが、比較対象が73式装甲車ならば首肯できるものの、ASCODやCV-90と比較しても言い切れるのかと。
近接戦闘、なにしろ戦車は500m以下の近接戦闘に脆弱性があり90m以下の近接戦闘はきわめて難しい、故に乗車歩兵が銃眼から撃退するという認識があったわけですが、これは恰も第一次大戦後から第二次世界大戦初期に散見された多砲塔戦車の概念に近いといえる。
多砲塔戦車の利点は戦闘における死角の少なさではありますが、同時に中距離目標への戦車長の統率の低さがあり、これは主力戦車に第一世代走行戦闘車は依存しつつ小銃を銃眼から様々な角度に射撃するという概念でしたので、多砲塔戦車の概念と似るよう思う。
ただ、これ陣地攻撃に際して、なにしろ陸上戦闘の根幹は土地の収奪にあり、これは古代から現代まで不変だ、その過程で下車戦闘に移行すると、敵陣地に接近した際こと近接戦闘の蓋然性が高くなるのに対して、その瞬間は歩兵はもう下車している矛盾がありました。
ここが第二世代装甲戦闘車、世界では装甲戦闘車を戦車のように第一世代と第二世代と第三世代で訳ないのがふつうであるため便宜的なものですが、初期のものと現代のものでは、寧ろ装甲戦闘車の根幹は防御力の高さを挙げ、車体は重量化していったと説明できます。
自衛隊はフィンランド製装輪装甲車であるパトリアAMVを三菱重工が16式機動戦闘車の車体を応用した機動装甲車と比較し、次期装輪装甲車を検討していますが、いっそのこと装甲戦闘車もスウェーデン製CV-90C装甲戦闘車あたりを検討しては、とも思うのですね。
一方で、日本の国土を考えれば機甲部隊が運用できる地形は限られ、普通科部隊が主体になるのではないか、という指摘はあるようです。確かに北海道北部を見ますと山間部に隘路と盆地が並ぶ、一見機械化部隊が戦闘を展開するには適していないように錯覚しますが。
フルダギャップと同じではないか、冷戦時代の東西ドイツ国境における東ドイツ国境線が突出部となっている地形と共通点を見い出せるのですね。冷戦時代にはドイツ北部地域が平野部となっていましたので、軍団規模の戦車部隊が戦闘を行う蓋然性が指摘されたもの。
北海道北部とフルダギャップですが、フルダギャップは北部平原と比較し山間部と地形障害となるフルダ川が戦車部隊の前進を阻むものの、山間部とヘッセン東方の高地を抜ける先には平野部が広がり、地形障害無しにそのままドイツ経済の中枢フランクフルトに続く。
音威子府隘路や上川盆地の旭川、その先に滝川岩見沢のラインを超えますと道都札幌まで地形障害がありません、しかし道北に伸びる国道12号線と国道40号線周辺では、戦車部隊の機動、上記フルダギャップの地形よりも容易な特性がありまして、機械化部隊が要る。
泥炭湿地、北海道防衛に機械化部隊が重要であると考える背景にはもう一つ、この泥炭湿地という地質特性がありまして、戦車でも移動が困難な地質です、戦車が動けないならば、と思われるかもしれませんが履帯幅の大きい装軌車両は踏破できます、ここが肝要です。
道北の地形は、言い換えれば路外機動性を成約する地形だからこそ路上の装甲部隊等は航空攻撃や砲兵曳火射撃の格好の標的となりますので、逆に路外を機動しなければなりません、すると徒歩機動で路外を右往左往するには膨大な数の普通科連隊を張り付ける必要が。
ジャベリンのような対戦車ミサイルが有れば大丈夫だ、という視点もあるようですが機動力を持たない普通科部隊だけで守るには座布団部隊を全土に張り付ける必要があり、敵のこない地域の座布団部隊は必然的に遊兵化します、そんなに人的余裕はあるのか、と思う。
集中運用してこその機械化部隊だ、とグデーリアンやマンシュタイン、昔の方はパウルカレルあたりまで引っ張り出して来るかもしれません、最後の人は誇張表現がかなりありまして、引用する人は減っていますが、80年前は戦車の分散運用は悪手であったのは、確か。
C4Iの時代、分散運用が基本となったのは第二次大戦後の核兵器の時代にペントミック師団、つまり五単位師団をアメリカが示したように固まっていると戦術核で一挙に焼却されるという危惧から分散運用が模索されるようになります、そしてその後C4Iの時代が到来する。
RMA軍事における技術革命と2000年ごろには盛んに喧伝されましたが、C4Iにより分散した部隊が孤立せず電子空間で秒単位の相互支援が可能となり確実な兵站と火力支援を受けられる時代となりますと、機械化部隊の分散運用が極めて有力な勝ち目、となってゆく。
90式戦車や89式装甲戦闘車、いまは10式戦車の時代ですが中隊単位で分散しつつ電子の空間で確実に相互支援し必要ならば集結し危険ならば分散、この機動力、歩兵も未来にモビルスーツでも量産される時代が到来すれば別ですが、今はヘリボーンのほかありません。
人員の方が予算よりも喫緊で、日本は人口から数万十数万を有事の際に遊兵化させる余裕も数万の人的損耗にも耐えられません、予算も人口も無いと財務省が反論しそうですがならば戦術核でも使うかと代案を出しつつ、基本的に機械化を進める必要が、あるでしょう。
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