安倍政権は今年一月から相次いで統合幕僚長や陸海空幕僚長など最上級指揮官のアジア諸国への派遣を行っている、と6月5日付NHK報道にて紹介されました。








(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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◆自衛隊関連行事
正午から雨天と聞き、晴れ間が1203時にゲリラ豪雨に換わり、天気予報当たるなあ、と思いつつ洗濯物が乾かしにくい梅雨の日々ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
今週末は師団行事として旭川駐屯地の第2師団創設記念行事。学校行事として化学学校が置かれている大宮駐屯地祭、特科部隊行事では第1特科隊の北富士駐屯地祭と第2地対艦ミサイル連隊の美唄駐屯地祭、普通科部隊関連では第10普通科連隊の滝川駐屯地祭など、おこなわれるもよう。
第2師団は、旭川駐屯地に司令部を置き道北の防衛警備及び災害派遣を担当する師団です。写真で第1師団と第3師団しかないのですが、隷下に戦車連隊を含む強力な火力を有し、基幹連隊指揮統制システムを装備した陸上自衛隊のデジタル化実験部隊を担いつつ、冷戦時代には最北の師団としてソ連の脅威の矢面に立っていた師団です。
普通科部隊行事では、北海道の滝川駐屯地祭で、第11旅団隷下の連隊、第三中隊を装甲化した機械化部隊です。滝川は札幌と旭川の中間にあり、冷戦時代は南下する脅威から道都札幌の防衛を担った連隊、駐屯地祭は日曜日ですが明日8日土曜日、午前中1000時から市街パレードを行うとのこと。
大宮駐屯地祭、中央特殊武器防護隊と化学学校が駐屯し、NBC脅威からの我が国防衛に当たる機関、地下鉄サリン事件や福島第一原発事故で日本を護った部隊です。市ヶ谷駐屯地から移駐した第32普通科連隊も駐屯しており、かつての駐車場で行われた細やかな行事から、グラウンドを用いた訓練展示を含む大規模な行事となっています。NBC偵察車等、新装備や稀有な装備もたくさん。
北富士駐屯地祭、山梨県の駐屯地で、第1師団隷下の第一特科隊や評価支援を行う演習場での陸上自衛隊最強部隊FTCが駐屯しています。第1特科隊のFH-70榴弾砲を中心とした訓練展示の迫力はなかなか、昨年は仮設敵が礼砲用の105mmM-1榴弾砲を以て参加し、会場を盛り上げました。
美唄駐屯地祭、88式地北海道の炭坑町美唄市の駐屯地で、対艦誘導弾を運用する第2地対艦ミサイル連隊が駐屯、六連装発射器16両により96発のミサイルを同時発射し、ミサイル搭載のデジタルデータマップに従い低空地形追随飛行を実施、洋上の敵艦を攻撃します。相手が大混乱のさなかに弾薬車から次弾を装填し、再度96発を斉射、その威力は日本を侵略する勢力が気の毒なほど。
横浜開港祭、土曜日と日曜日に行われ、護衛艦やまぎり、がこの行事にて一般公開されます。一般公開の場所は横浜港新港埠頭、あぶない刑事でタカとユージが銃撃戦をやっていたところですね。じかっは土曜日が1000から1600まで、日曜日は0900から1600時まで、このほか、9日には官公庁艇パレードが行われ、海上自衛隊からは海賊対処任務に当たる特別機動艇が参加するとのことです。
◆駐屯地祭・基地祭・航空祭
◆注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
◆沖縄へ津波被害と中国へ長周期振動被害
南西諸島、北大路機関で連載する南西諸島の防衛に関する特集でも、我が国安全保障上特に関心を向けなければならない地域の筆頭にあります。
この海の向こうには巨大な怪物が潜んでいる、そしてやがてこの海岸へ殺到するだろう、その時には最初の24時間が全てを決めるだろう、いちばん長い日になる。ロンメル将軍がドーバー海峡を睨むノルマンディ海岸要塞を前にイギリスを元帥杖で指示し、部下に訓示、映画“史上最大の作戦”の一幕です。本日は6月6日、ノルマンディ上陸記念日です。ただ、この一言を我が国が海を眺めつつ考えた場合、どうしても考えるのは周期的に発生し、人命と財産を奪う大津波、津波という怪物を想定せざるを得ないでしょう。
この南西諸島、沖縄県は大きな地震が無い、という印象があるようですが、実は我が国最大規模の津波記録が残されているのは、1771年4月24日の八重山地震で、推定マグニチュード7.4、琉球大学理学部や公益法人地震調査研究センターの研究ではマグニチュード最大8.5という規模の地震が大津波を引き起こし、明和大津波と呼ばれるこの津波は85mという東日本大震災の際に比較される貞観三陸地震の津波よりも高い海抜までの遡上が記録されました。
実は八重山地震が再来しますと、南西諸島の軍事的緊張が高まる大きな要素となる可能性があります、津波で沖縄が、長周期振動で中国沿岸部が大被害を受けるため、この地域に日米中の部隊が集中し、緊張へ繋がるためです。このあたり、黒石耀先生や横山信義先生、大石英司先生かラリーボンド先生がシュミュレーション小説化するのではないか、と考えつつ、先を打とうと資料を集めて北大路機関でブログ小説にでも、と思っていたところ、3.11で中断し、今に至る、というもの。
地震は沖縄でも比較的高い頻度で発生しています。沖縄では2010年2月27日にマグニチュード7.7の沖縄本島近海地震が発生し、糸満市で震度五弱、負傷者2名と若干の津波を観測し、1998年5月4日にも石垣島南方沖地震としてマグニチュード7.7の地震が発生、太平洋側の沖合にて発生したため最大震度3でしたが、こちらも僅かではあるものの津波が観測されており、南西諸島は地震が来ない、という認識は、将来的に、神戸は地震が少ない、という常識が破綻したあの1995年1月17日以前の認識のように振り返る事の無いようにしたいもの。
津波、八重山地震の津波は下地島では、島の最高標高に帯岩という高さ12.5mの津波岩、津波岩とは海底の変動により剥ぎ取られた地形の一部が津波により押し上げられる岩石のことですが、打ち上げられています。下地島の最高標高は21.6m、現在の研究では85mという数字はやや行き過ぎでゃな以下、という疑問うも付けられているようで、30m程度、という説も出されている一方、下地島で最も海抜の高い場所に津波岩が到達した、という事は全島津波に呑みこまれたことを意味します。
ただ、地震津波ではなく、海底地滑りによる局地的な大波であると考えられ、所謂山体崩壊に伴う大波と考えられています。これは1792年5月21日の雲仙普賢岳山体崩壊により有明海げ流れ込んだ際の大波、島原大変肥後迷惑として知られる事象と共通点があり、熊本市で22.5mの海抜まで遡上した津波は、地震津波以外の津波事例でした。山体崩壊による津波は563年に山岳国スイスでジュネーヴが津波に襲われましたが、これも山体崩壊の岩屑雪崩がレマン湖に押し入ったためでした。これらは被害が局地化する性質のもの。
しかし、八重山地震の津波被害は半端な規模ではありません、防災システム研究所資料では、石垣市宮良村で85.4m、石垣市白保村で60.0m、石垣市大浜村で44.2m、という記録です。一方で、多々良島で18m、宮古島では10mと同じ八重山諸島でも開きがある一方、死者12000名、このうち直撃を受けた八重山での死者は9400名、生存者は18607名で、住民の三割が死亡したことになります。そして、その後、疫病や飢饉を防げず、八重山諸島は明治初期に地震発生以前雄三分の一の人口まで衰退していた、とのこと。
地震の揺れは、石垣島で震度4前後、宮古島では震度3前後、沖縄本島でも震度3前後とされており、被害の大半は津波によるものです。そして、津波被害は局地的なもの、とされているのですが、江戸に近い房総半島でも津波による被害が同時期に報告されており、遠隔地津波となったことを考えさせられます。加えて、遠距離を経ても震度が減退しないことは、東日本大震災で経験されたような長周期振動が考えられ、この点もこの歴史地震が再来した際の被害を考えなければならない一要素と言えるでしょう。
南西諸島ではほかにも津波を伴う地震が報告されており、地層や珊瑚礁の破損などを調べる限り、数百年周期ではあるのですが、確実に発生しており、1911年6月15日には喜界島地震が鹿児島県島嶼部を襲い、マグニチュード8.0の地震は最大5mの津波を喜界島や奄美大島など近隣の島嶼部へ到達させ、12名が犠牲となっています。名瀬測候所の計測では震度6、那覇測候所の計測で震度5、震源が浅い割には広域に大きな揺れが伝播しました。
この地震は沖縄トラフとの関連性が考えられ、周期性のある海溝型地震とされています。これを示すように、珊瑚礁などの調査では過去も周期的に発生しているものの、一定以上の地震よりは中規模な津波を伴うものが連続する中で、八重山地震や喜界島地震などが発生しており、特に八重山地震では被害の記録は多く残っている己の、海底地滑りが起きた明確な海域が今なお調査中であり、もう一つの視点に海溝地震の可能性も指摘される中、周期性に関する研究は今日でも専門家の間で続いています。
対策について、具体的には、長周期振動に強い中層建築物を一定規模で建築し、加えて津波避難施設を高台に設定、海底地震への緊急地震速報システムの充実と共に、この地域でも大津波が生じた事例がある、という防災教育の徹底、台風に備えた防風用の石垣に対しての耐震診断を行う、そして離島であるため、ヘリコプターと艦船による救援体制の構築を行うこととともに、防災施設や防災訓練への関心度が非常に低く、防災を生活文化まで根付かせるという取組が対策として考えられるところでしょう。
さて、八重山地震型の海溝型地震が発生した場合、まず、沖縄本島の防衛に当たる那覇基地は滑走路が海抜4mの場所にあります。参考までに米軍の嘉手納基地は海抜44m、普天間基地は海抜75mです。海底地滑りによる津波の場合、指向性があることが八重山地震の被害記録より読み取れますが、場合によっては那覇基地を含めた防衛上の施設や台湾北部、中国沿岸部にも津波が到達することは想定できるもの。このほか、湾口が狭い場所を選び、津波にも比較的強い佐世保基地や呉基地を別として、中国沿岸部の海軍基地で外洋に面している施設は被害を受ける可能性がある。
この点について、南西方面航空混成団司令部は12m高台にあり、しかも主要施設は航空攻撃を想定し、人工山へ地下化されています。問題となるのは航空機が置かれているエプロン地区で、可能であれば強化シェルター、航空攻撃や弾道ミサイル攻撃からも防護できるシェルターへ第83航空隊のF-15を格納し、津波からの維持を考えねばなりません。また、司令部の置かれている丘陵地帯下へ、防水隔壁とともに地下ハンガーを構築することも津波対策の一手段といえるかもしれません。
ただ、看過できないのは、中国大陸への地震被害です。前述の通り、八重山地震は長周期振動を伴う可能性が高いことが、上記被害から推測されます。この場合、中国沿岸部の人口676万が暮らす福州市や人口2433万の上海市へ、長周期振動が震度3から震度4で到達する事となり、高層建築物で長周期振動への耐震構造での対策を行っていない建物は倒壊する可能性があり、高層建築物が殆ど無かった18世紀の八重山地震は別として、近年の中国には、特に沿岸部に超高層建築物が多い。
長周期振動は、ゆっくりとした揺れ。東日本大震災はマグニチュード9という巨大地震であったため、遠距離を隔てた首都東京へかなり強い揺れが到達しましたが、震源から距離があったため、ゆっくりとした揺れとなり、超高層ビルが撓るように揺れ、その様子は映像でも記録されています。知人友人の話で名古屋や豊橋に浜松周辺でも、船酔いのような気持ち悪い揺れを感じさせた、とのことですが、八重山地震の再来で想定される中国沿岸部での揺れは震度3から震度4の長周期振動は、このあたりのもの。
イージス艦と東京スカイツリー。長周期振動はゆっくりと揺れるため、高層建築物が建物地震に揺れを蓄積してしまい、撓るように揺れ、建物地震の自重で左右に捻じれます。そして弾性限界を超える場合、自重で横に応力が働き、倒壊してしまうのです。我が国ではスカイツリーをはじめ長周期振動を念頭に東海地震や首都直下地震への対策が建築物へ施され、法令もあるためこの地域では大きな倒壊などの被害はありませんでしたが、果たして中国ではどうなのでしょうか。
大阪港と護衛艦いせ、日本は過去の地震から建物と市街地そのものの防災を想定して建築してきました。一棟が倒壊すれば隣のビルに押しかかります。幸い、超高層ビルが地震で倒壊した事例は世界でも今のところありませんが、超高層ビルが密集し過ぎている場合、耐震強度が長周期振動に耐える水準のものであっても、ビル同士が捻じれて接触する可能性があり、建物内の備品や機材の固定が充分でない場合には、建築物自体の重量が設計重量以上となってしまうこともあり、これも危険を高めます。
中国では、長沙市で建設が開始される世界最高の838mというスカイシティビルが、マグニチュード9での倒壊を免れる耐震構造を期しての設計を掲げ、地震への関心が高まりつつあるようですが、長周期振動へ対応する高層ビルの建築がどの程度念頭に置かれているかは未知数です。また、2011年3月11日の東日本大震災の長周期振動は2500km離れた上海まで到達したという記録もあるため、震源から400kmから500km程度と遙かに近い八重山諸島での地震は実際の被害に直結することが想定せざるを得ません。
この点で、安全保障上圧力がかかる南西諸島地域を震源とする地震が発生し、我が国には津波被害が、そして圧力をかける中国では、我が国が行っている耐震建築物という対策の欠如により大きな被害が生じるもので、当然、この地域へ自己完結能力と動員力を有する政府機構、つまり自衛隊や人民解放軍が大部隊を救援へ展開させることとなり、これにより意図せざる状況が発生することを如何に回避するか、という視点からも、即ち防災と防衛を併せて、考えなければならない、ということ。
加えて、地質調査を名目に八重山諸島近海へ中国側が対潜情報の捜索にも用いる海洋観測艦を多数派遣する口実や、準備期間を設けられるのであれば軍事的混乱に乗じた台湾海峡有事へ発展することも一応、想定しなければなりません。防災と防衛の一本化、とは、こうした可能性を排除し、特に防災へ、人命救難へ特化できる防衛体制も構築することにもなります。歴史地震とは、近年の万全な観測体制が構築される以前の地震であり、昨今に発生したもので貼りません。しかし、地層や植物層、堆積物や地形に、更に近世のものでは伝承や古書にその手がかりを多く残しているものであり、決してフィクションではありません。こうしたうえで、八重山地震のリスクをどう考えるか、一つの課題ではあるといえるでしょう。
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◆南九州第8師団を三個海兵遠征隊型部隊基幹へ
実はこの話題、昨年の一月半ばにも扱った話題ではありますが、今回の連載に合わせて。今回のお題は、仮に第8師団を海兵隊編制とする場合、どうすればよいのか、というものです。
陸上自衛隊の一部部隊を海兵隊化するという与党内での検討、まだまだ検討段階で、どこまで具体的化しているかと問われれば困るのですが、特に西部方面隊隷下にあり、南西諸島に距離的に近く、長い海岸線と演習場環境を有する南九州の第8師団の改編の際に、との模索が行われている、とのこと。
装備の面ですが、北海道を除く本土の師団や旅団は、牽引式のFH-70榴弾砲を運用し、装甲車よりも装輪車両による緊急展開を念頭に置いた地形防御を想定していますので、元々軽量で、米海兵隊と比較しますと、装甲車の数では実のところ劣っています。この点も含め、考えてゆくこととしましょう。
それでは陸上自衛隊の海兵隊化について、具体尾的にどういったことを行うべきなのか、という当然の疑問符が湧きます。しかし、陸上自衛隊の基本戦闘部隊である連隊戦闘団、そして海兵遠征隊、この編成の共通点が比較的或ることに着目してみますと、実はある程度装備の改編で実現するのではないか、と見えてくるところ。
海兵隊、といいますと軽装備の切り込み部隊が上陸用舟艇で上がってくる、という軽い認識で我が国は七十年前に第七師団一木支隊がガダルカナルに切り込み、戦車を含む海兵隊の重火力と複合防衛網の前に全滅しました。実は今日でもかなりの戦力を有し、陸上自衛隊に上陸用舟艇と水陸両用車両を装備するだけでは実現できません。
米海兵隊ですが、最小の海兵遠征隊、充実した航空戦力に支援された海兵遠征旅団、最大規模の海兵遠征軍と分かれています。対して陸上自衛隊ですが、師団普通科連隊を中心とした2000名規模の普通科連隊戦闘団、旅団普通科連隊を中心とした800名規模の普通科連隊戦闘団があります。
海兵遠征隊は人員2200名規模、一個海兵大隊が隷下に両用強襲中隊、軽海兵中隊、空中機動中隊、火器中隊を以て編成し、支援に砲兵中隊の155mm榴弾砲6門、戦車小隊、軽装甲偵察中隊、水陸両用車小隊、工兵小隊、特殊戦小隊、以上1100名を以て編成され、航空部隊の各種航空機31機と兵站部隊を併せ2200名規模になる。
主要装備は、M-1A1主力戦車4両、AAV-7水陸両用強襲装甲車15両、LAV-25軽装甲車16両、M-198/M-777榴弾砲6門、81mm/60mm迫撃砲16門、TOW対戦車ミサイル発射器8基、ハンヴィー高機動車68両、AH-1W/Z攻撃ヘリコプター4機、UH-1N/Y多用途ヘリコプター3機、CH-46中型輸送ヘリコプター/MV-22可動翼機12機、CH-53D\E重輸送ヘリコプター6機、AV-8B攻撃機6機、となっています。
陸上自衛隊の連隊戦闘団は、一個普通科連隊が本部中隊と四個普通科中隊に対戦車中隊と重迫撃砲中隊か、五個普通科中隊と重迫撃砲中隊を基幹とし、これに戦車中隊、特科大隊か特科中隊、施設中隊、高射特科小隊、衛生小隊、通信小隊を以て編成されます。これは常設ではなく、必要に応じ普通科連隊へ師団から配属されるもの。
装備定数は、74式/90式・10式戦車14両、軽装甲機動車20両(北海道の師団では一部代えて96式装輪装甲車20両)、FH-70榴弾砲/99式自走榴弾砲4門乃至8門、93式近距離地対空誘導弾4両、87式対戦車誘導弾16基乃至20基、81mm迫撃砲16門乃至20門、79式対舟艇対戦車誘導弾12基(対戦車中隊)、120mm重迫撃砲RT12門、高機動車、1t半、3t半トラック多数、91式携帯地対空誘導弾10基乃至12基、一部推測が入りますが以上の通りです。
海兵遠征隊と連隊戦闘団を比較しますと、まず歩兵中隊にあたる海兵中隊と普通科中隊の規模がほぼ同程度であることに気づかされます。戦車中隊と戦車小隊で三倍の違いがありますが、双方とも少数ながら戦車を有している点で共通です。また、迫撃砲火力では陸上自衛隊が優勢、特科火砲火力では特科連隊を持つ師団と特科隊の師団からの特科支援の中間に海兵遠征隊の火力があります。
日米の部隊間で、圧倒的な差異は航空部隊で、AV-8Bやこのほか海兵航空団はF/A-18戦闘攻撃機も保有しています。ただ、海兵遠征隊は空母の支援を受けないため、強襲揚陸艦より運用可能なAV-8B攻撃機を運用しており、この種の航空機を有していない陸上自衛隊とは、そもそも航空部隊への発想の重大な差、というものが見えてくるでしょう。
空中機動部隊ですが、海兵隊の航空部隊に対し、陸上自衛隊では空中機動重視の第12旅団でも第12ヘリコプター隊がOH-6D観測ヘリコプター4機、UH-60JA多用途ヘリコプター8機、CH-47J/JA輸送ヘリコプター8機で、同時空輸能力は560名、海兵遠征隊の同時空輸能力が627名ですので、漸くほぼ拮抗する、というもの、対して空中打撃力では劣り、連隊ごとへの航空支援能力では全くかないません。
陸上自衛隊の海兵隊化に際して、海兵隊の陸上自衛隊の最大の相違点は、海兵隊が砲兵火力と機甲打撃力を航空打撃力に置き換えている点で、これは師団飛行隊にF-2支援戦闘機でも配備するか、相当数の対戦車ヘリコプターを配置するか、火砲で補うか、この点を考える必要があるでしょう。
ただ、日本の場合、専守防衛を前提とした海兵隊編制ですので、強襲揚陸艦や航空母艦に搭載できるか、という視点はそこまで重要ではなく、海兵隊が航空打撃力に依存している部分の一部は、戦車と火砲の運用継続で補うことが出来るかもしれません。また、これは当然ですが、F-2支援戦闘機にしろ、AV-8Bは生産終了していますのでF/A-18E戦闘攻撃機にしろ、陸上自衛隊の手に余るものです。
すると、陸上自衛隊の海兵隊化を考える場合、常識的に支援を受けられる航空打撃力は対戦車ヘリコプターや戦闘ヘリコプター程度でありますので、この支援、これは特科火砲と異なり瞬発打撃力と進出能力が高い一方、持続能力と地域占有能力に欠けるものですから、航空打撃力と機動打撃力を如何に均衡点を導き出すかが重要でしょう。
こういうのも、戦闘ヘリコプターは取得費用を見た場合でAH-64Dで10式戦車の7倍から10倍するものですので、戦車の予算を削って戦闘ヘリコプターを導入しても、精々1機から2機が調達できるのみ、駐屯地祭の模擬戦ならば1~2機で迫力の展示が見られますが、稼働率を考えれば焼け石に水というもの。
他方で、空中機動力は海兵隊運用の根本ともいうべきものですので、連隊戦闘団と同程度の数のヘリコプター隊、そこに2~3機で良いので戦闘ヘリコプターを有する部隊を配置する必要、財政的には覚悟、というべきでしょうか、考えなければなりません。第12ヘリコプター隊の定数を新規導入する場合の取得費用は700億円程度、第8師団を改編する場合は四個普通科連隊所要ですので2800億円、財務省が悲鳴を上げそうで怖いのですが、なんとか確保しなければなりません。
ただ、第8師団隷下の普通科連隊には即応予備自衛官主体のいわゆるコア化普通科連隊が一個あり、全国のコア化普通科連隊の方面混成団への管理替えという趨勢に鑑みれば、三個普通科連隊所要の航空機と装甲車で対応できますので、この場合整備するのは60機の2100億円と水陸両用強襲装甲車45両、LAV-25軽装甲車48両、となります。
機動打撃力と全般支援火力は、航空機に置き換える場合、24機のF/A-18E飛行隊、F-35A戦闘機でもよいのですが、これで特科連隊を特科隊へ、戦車大隊を戦車小隊基幹の増強戦車中隊へ縮小できます、が、これをやると更に2000億円から2400億円の積み増しに、新しい航空教育体系が必要になり、財務省から病人が出てしまいますので、戦車大隊と特科連隊を維持する方向で航空打撃力は断念すべきでしょう。
さきほど、AH-64Dを10式戦車一個中隊分の予算で導入したとしても僅かしか導入できない、と指摘しましたが、F/A-18Eなども同様です。ただ、空中打撃力を確保しなければヘリボーンが行えなくなるため、F/A-18Eの導入は非現実的ですが、せめて一個連隊戦闘団あたり、2~3機程度のAH-64Dを配置しなければなりません。海兵隊がAV-8Bを6機とAH-1Zを4機で対応している部分を、火砲と戦車で補うのですが、航空打撃力をすべて省くことはできない、ということです。
ヘリコプター隊三個分、ヘリコプター隊は、第81ヘリコプター隊、第82ヘリコプター隊、第83ヘリコプター隊、と仮称します。第7師団が第7戦車大隊から第1戦車団の戦車を受け入れて機甲師団化した際に、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、としましたので、この応用として仮称としました。
蛇足ながら、東部方面隊隷下にある第12旅団の第12ヘリコプター隊を管理替えし、その分第8戦車大隊の四個中隊より一個中隊を抽出して第12戦車中隊を編成、第8特科連隊の第四大隊と第五大隊の六個中隊を第12特科隊か同じ東部方面隊の第1特科隊に編入し特科連隊化、相互の装備を融通し合う、ということも、選択肢となるのでしょうか、そうすると第12ヘリコプター隊の駐屯地が空き、沿岸部で津波へ危険のある木更津駐屯地の第1ヘリコプター団を内陸へ転進させることもできます。
装甲車ですが、陸上自衛隊では一個普通科中隊と本部管理中隊に軽装甲機動車が配備されています。これは小型装甲車として軽機関銃や対戦車ミサイルを運用するものですが、対して海兵隊は火器管制装置と安定化された25mm機関砲を搭載するLAV-25軽装甲車、それにAAV-7水陸両用強襲装甲車を装備しています。
この点で、陸上自衛隊は水に浮く、というものも含め、もう少し装甲車を強化しなければなりません、LAV-25で62両、AAV-7で60両、LAV-25はピラニア1装甲車の派生型で車幅が日本の道交法上の車両限界の範疇ですので、設計は古いですが、ライセンス生産を考えてもよいかもしれません。そして、普通科連隊へ装備すれば、軽装甲偵察中隊としての運用が可能と言えるもの。
AAV-7ですが、参考品として陸上自衛隊への導入が始まります。かなり大きな車両であり、師団隷下に水陸両用装甲大隊を編成し、戦車大隊のように必要に応じて連隊戦闘団へ配属する方式が理想でしょう。そういうのも、水陸両用装甲車は上陸訓練を行う必要があり、内陸部の普通科部隊駐屯地などに分散配置する場合、その訓練が難しくなるためです。
大隊隷下の軽海兵中隊ですが、これは複合ボートによる機動運用を行う部隊です。基本的に沿岸部の確保に向かう第一波となる部隊で、西部方面普通科連隊などでは既に研究を進めていますが、上記の訓練という面では、内陸部の普通科連隊駐屯地から訓練へ向かうことは難しく、こちらも師団直轄部隊、とする必要があるやもしれません。
他方、高射特科ですが、海兵隊では海兵遠征隊は海軍イージス艦の防空支援を受ける前提で行動するため、スティンガー携帯地対空誘導弾しか装備していません。他方、これを海上自衛隊の運用にも併せ、陸上自衛隊への防空部隊としてイージス艦などを展開させることが現実的に可能か、それとも高射特科部隊を維持するかで、考えておく必要があるでしょう。
第8師団を改編する前提で考えますと、第12普通科連隊、第24普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8戦車大隊、第8特科連隊、第8高射特科大隊、第8施設大隊、第8飛行隊、第8通信大隊、第8後方支援連隊、第8化学防護隊が現編成となっています。
これを、第24普通科連隊を管理替えし、三個普通科連隊編成としたうえで、第8飛行隊を拡大改編し、第81ヘリコプター隊、第82ヘリコプター隊、第83ヘリコプター隊、第8戦闘ヘリコプター隊へ拡大改編、ヘリコプター隊は第12ヘリコプター隊に範を採るものとし、戦闘ヘリコプター隊は9機のAH-64D戦闘ヘリコプターを、必要に応じ分散運用、師団全体で69機のヘリコプターを運用するものとします。
特科連隊は、維持の方向ですが、全般支援火力を供する第五大隊は師団運用上支援できる範囲外での任務となるため廃止し、三個特科大隊24門を基幹とし、火力戦闘車の装備を将来考えず、機動力が高いFH-70榴弾砲の維持を行い、特科隊と特科連隊の中間程度の火力を有するものとし、高射特科大隊は現状を維持します。師団の策源地防衛へ、81式地対空短距離誘導弾は維持し、大隊編制を採る。
戦車大隊は、三個中隊編制とする。このほかの編成は現行の通りとする。若干、火砲と戦車が縮小されるのですが、その分多数のヘリコプターと装甲車と水陸両用車を揃える事となりますので、これは非常に大きな予算措置が必要になります。海兵隊化するならば、予算面で財務省へ政治主導を通し、これによりほかの陸上自衛隊への影響が局限化されるようせねばなりません。
第8師団両用任務編制案、司令部付隊、第12普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8戦車大隊、第8水陸両用強襲大隊、第8特科連隊、第8高射特科大隊、第8施設大隊、第81ヘリコプター隊、第82ヘリコプター隊、第83ヘリコプター隊、第8戦闘ヘリコプター隊、第8通信大隊、第8後方支援連隊、第8化学防護隊、以上の通り。
問題は多いです。特科の対砲兵戦能力をどうするのか、特科連隊の情報中隊が運用する対砲レーダ装置を同運用するのか、やはり全般支援大隊を置くのか、それとも小型の対砲レーダ装置を導入して無人機とともに情報中隊を小隊単位で運用できるようにするのか、という点が一つ。
そして、これは第15旅団と警備隊に関する記事にて自ら指摘したのですが、対空レーダ装置など、基本一つしか無い装備を、分散運用を行う前提でどう支援するのか、師団対空戦闘情報システムに当たる簡易型のものを開発し、全ての連隊戦闘団へ配置するのか、護衛艦頼みとするのか、これも考える必要のある一つのもの。
以上の通りと書いたのですが、そこまでヘリコプターを集める予算がどこにあるのか、単なる“ぼくのかんがえたさいきょうのじえいたい”、という印象になってしまいましたが、本気で海兵隊型の編成にするならば、余程の予算的な覚悟を行わなければならない、という一つの事例になってしまいます。
ただ、米軍の海兵隊編制を見ますと、この程度がどうしても必要で、やはり米軍は凄い、というべきか、それとも覚悟を決めるべきか。しかし、実現すれば北方の今なお残る脅威へ実力で備える機動打撃中枢である第7師団とともに西方の第8師団、と陸上自衛隊を代表する抑止力の中枢となることは確かでしょう。
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◆技術革新を取り入れる手法の模索
国際共同開発、防衛産業を考える上で内需に上限がある以上、開発費をどう考えるか、という視点から過去二回に渡り掲載していますが、技術革新という前回の視点からもう少し掘り下げてみましょう。
火炎放射器、迫力のある装備であり、第二次大戦中より火力拠点への強襲に大きな威力を発揮してきました。ある程度遮蔽物から運用でき、文字通面制圧が可能な装備であるため、大きな威力を有するのですが、1982年のフォークランド紛争では火力拠点制圧への対戦車ミサイルの有用性が確認されています、もちろん、我が国では火炎放射器、つまり携帯放射器はほぼ維持装備扱いで、火力拠点強襲には無反動砲などが多用されているのですが。
さて、自衛隊の防衛装備品ですが、王道を進むものであれば、例えば多機能レーダと火器管制装置や、防空能力に優れた誘導弾に射程と命中精度に優れた誘導弾など、いわば目的が明確になっているものの水準は何処までえも完璧と言えるものに向かってゆく技術力はあり、この点は前回も触れています。
ただ、新しい概念、というと少々不安なものが生まれます、特定分野を伸ばしてゆくことは我が国の技術上得意なものが多く、これは民生品分野でも端的に表れているのですが、新しい概念を構築し、、マネジメントし、一つの新しい技術革新を起こすという分野では、やはり我が国はアメリカに及ばないのではないか、とも。
幾つか考えますと、9mm機関拳銃について、例えばそのホルスターを初めて見た際、余りもの大柄に、開発時期が重なるMP-7個人防護火器を導入していれば、最近は特殊作戦群用に4.6mm短機関銃(B)として少数調達を開始したようですが、伸縮式銃床と小型高速弾による近接能力の高さ、それに専用ホルスターのコンパクトさとともに、幹部要員の自衛用として、もう少し役立ったのではないか、と思ったりしました。
喩えを挙げればきりがないのですが、特定分野の能力を積み重ねることでその分あの能力が高まる半面、世界の潮流に注意していなければ置いて行かれる事例として、湾岸戦争終戦後のペルシャ湾多国間掃海任務へ、海上自衛隊の、第二次大戦中に敷設された機雷の処理において世界でも有数の経験と能力を持つと思われた海上自衛隊掃海部隊が、新型機雷に対する十分な納会能力を持たなかったため、おお急ぎでフランス製掃海器具を導入した、という事例もあります。
航空自衛隊は、防空自衛隊と呼ばれても仕方ないほどに航空優勢確保への注力に一本化し、空軍機構が航空阻止の一環として航空打撃と戦力投射への前提として航空優勢確保を行うという視野から進まず、90年代に北朝鮮の弾道ミサイル脅威が高まるに及んで漸く、策源地攻撃、分かりやすく言えば北朝鮮ミサイル施設を航空攻撃で叩き潰す必要性に見舞われ、その能力整備と装備研究に大わらわとなったのは御承知の通り。
この点で、戦力投射の重要性は憲法問題とも絡む一方、日本本土での米軍機低空飛行訓練が実施され、騒音問題などが取り上げられると共に、想定脅威地域と類似した地形を選んでの橋梁や地上施設などへの航空攻撃訓練の実施は、その目的が航空打撃戦を想定していたものという事は当然分かっていたのですから、為政者と防衛当局者共にこの問題を放置したことの怠慢を指摘されても仕方ないでしょう。
防衛省自衛隊は、90年代末を転換点として、海外での装備展示行事等に一定規模の要員を継続して参加させることで情報収集を継続しています。それまでは情報を商社からの提示に頼るところが大きく、並んで米軍との共同訓練などを通じて得るものが多かったのですが、米軍の装備が世界標準化と言いますと、米軍は世界での運用を念頭に置いているため汎用性の重点は置かれているものの、それ以外の面では限定された性能を有しています。
根本的に遅れているのは無人機が代表とされるものでしょう。実は日本と無人機の関係を考えますと、自衛隊の無人機運用は世界的に見て非常に早い時期から開始されていました。これは海上自衛隊の無人標的機としての運用で、海上自衛隊が発足した1950年代には既に対空戦闘の訓練用無人標的機が導入開始となっており、無人ヘリコプターDASHでは実任務での無人機運用基盤が構築されていました。
海上自衛隊では、多数の無人機を同時管制し、より実戦状況での脅威とされる多目標飽和攻撃を想定する運用環境を訓練に供する専用の訓練支援艦が建造されています。この訓練支援艦で運用される無人標的機チャカシリーズは、無人標的機ファイヤービーと共に湾岸戦争において米軍がイラク軍レーダーサイト攪乱に囮の編隊を編成し運用した事例がありますので、標的機ながら、それを越えた運用も可能である、という事がわかるでしょう。
ただ、米軍のRQ-1を筆頭に2001年のテロとの戦いより導入した一連の滞空型無人機群は、航空基地からの離発着を可能とし、RQ-4無人機の長時間連続監視任務能力付与に伴う戦域情報優位への発想の転換、RQ-1へのGPS誘導爆弾JDAMやAGM-114対戦車ミサイル搭載によりMQ-1無人攻撃機としての運用能力が付与され、MQ-9などはJDAMやAAMを搭載し、独立した無人機装備体系が打撃力を有するに至っています。
即ち日本は無人機の転換点に対応することに後れを取った、という事で、このMQ-9はあくまで高度な防空能力や空軍力をもたない、所謂低烈度紛争に威力を発揮するもので、我が国周辺の従来型脅威には対応しきれるものではありません。こうした認識はありましたが、今年に入りステルス艦上攻撃機X-47の空母からの発進が実験に成功し、技術的に可能となり、従来型脅威に際してもステルスによる秘匿性を以て打撃力の一端を担えるようになったということ。
新しい無人機という装備体系を前に開発が進むF-35戦闘機は、これら無人機の管制と中継を任務としており、単に航空優勢確保へ特化した航空装備ならば我が国での開発は予算と長期計画さえ財政上認められるという条件付きで為し得ないものではありませんが、世代交代を世界の航空装備体系に強いるようなシステムとしての航空機、もしくは航空機を新しいシステムに組み込む形での全体の計画画定と推進は中々出来るものではありません。
以上を踏まえれば、この防衛産業を考える一連の特集記事での保護主義的な防衛装備体系の国産能力維持と技術革新への追随や開発という難題は、双方ともに安全保障政策上必要な分野を多く含んでいることから矛盾こそしないものの、慎重に均衡点を見出さなければならない、という事がわかるでしょう。
他方、海外装備との運用特性に関する相補不一致は当然あり、その点を充分に早期に関与し、情報収取を行わなければ、我が国での運用に適さない装備品を導入する可能性があり、重ねて技術革新と意気込んだモノが実は見当はずれの産物である可能性も捨てきれず、民主国家である以上事業評価からは逃げることが出来ない実情に鑑み、どれも慎重に考えてゆかねばなりません。すると、どんどんと物事は複雑化し、安易に国産か輸入か、独自開発か共同開発か、という結論が出せない、という結論に至る、これが現段階での最適解かのかも、しれませんね。
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◆今月はドーンブリッツ演習へも派遣
朝雲新聞によれば、陸上自衛隊は5月29日より7月8日まで、水陸両用訓練研修へ隊員の派遣を開始した、とのこと。
今回派遣されているのは国分駐屯地に駐屯する第8師団隷下の第12普通科連隊より30名の隊員で、沖縄駐留の米海兵隊第3海兵機動展開部隊3MEFへ要員を派遣しています。主たる目的は上記の通り水陸両用訓練研修ですが、併せて第一線レベルでの日米隊員間の関係強化も目的である、とされています。
第8師団は、南九州に駐屯し、過去の報道では、この第8師団を海兵隊型の両用任務部隊へ改編する検討が為されていた、というものがありました。また、与党自民党では防衛力再建の一手段として、陸上自衛隊へ両用戦部隊の創設を念頭に考えている、というものもあり、このあたりとの関係が非常に興味深いといえるでしょう。
特に今年度予算にて、海兵隊が使用するAAV-7水陸両用装甲車と同型と思われる装甲車の試験調達が決定しており、これまでの陸上自衛隊装甲車両と根本的に異なる装備へ、導入後の運用体系構築を無駄なく行うためにも、この種の研究と交流の需要性はいうまでもありません。
また、水陸両用部隊の運用の際に、陸上自衛隊が長く戦術を研究し強化してきた空中機動部隊との連携要領の在り方など、机上研究には限界があり、さりとて実動研究を行おうにも担当部隊がありません。こうした意味からも、今回行う研究は規模こそ小さいものの、重要な積み重ねの一つというところ。
併せて陸上自衛隊は西部方面普通科連隊などを中心に派米訓練を繰り返しており、米国派遣訓練ドーンブリッツ2013演習では、西部方面隊を中心とした部隊をヘリコプター搭載護衛艦からの運用を行う実動訓練を実施します。様々な蓄積が着実な防衛力の維持につながる、今回の研修もその一つと言えるでしょう。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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◆電灯艦飾、それは海に浮かぶ光の城塞
舞鶴展示訓練、日本海を舞台とした我が国洋上の護りについての一端の展示を終え、前回舞鶴基地へ帰港しました。
電灯艦飾、2000時に停泊する護衛艦が一斉に電燈を点灯し、舞鶴展示訓練夜の展示が開始されました。点灯前に長時間露光で撮影していましたところ、その撮影中に点灯しましたため、少し電燈の光が仄かに映っている。展示訓練は七月下旬で2000時とはいえ、やや空はまだ明るい。
写真は西舞鶴港、点灯直前の様子で、十分常夜灯でも艦の様子は分かるという一枚です。舞鶴市は旧海軍が主導として田辺城の城下町西舞鶴と鎮守府の街東舞鶴を合併し、誕生した街、西舞鶴と東舞鶴は駅で6km離れています。そして西舞鶴は商港として発達しました。
長時間露光での撮影には、レリーズかリモートシャッターに三脚が必要となります。このため、小型三脚とレリーズはカメラバッグの片隅に常備しているのですが、緊急時には、つまり何もないときにはセルフタイマー機能とカメラを台や箱上に落ちないように置いて撮影することも出来る。
この西舞鶴は、商港として発達したこともあり、東舞鶴と比べて商店街や繁華街が発展しており、西舞鶴駅から徒歩で少しのところにあり、海産物観光市場である舞鶴とれとれセンターでは手頃に様々な海の幸を楽しめるため、実は点灯までの時間をそこで夕食と軽い晩酌で楽しんでいました。
この西舞鶴港は繰り返すように商港ですので、護衛艦は普段、東舞鶴の舞鶴基地へ停泊しています、が、舞鶴展示訓練期間中は西舞鶴港からの乗艦へ、こちらへ前方展開しています。そして、警備上艦艇には近づけない舞鶴基地と違い、西舞鶴港では護衛艦が比較的近いところに停泊しているため、撮影条件が良い。
この西舞鶴港は、撮影した土曜日の翌日、日曜日にも舞鶴展示訓練を観る機会に恵まれ、日曜日は舞鶴基地ではなく、此処西舞鶴港から乗艦することとなっていたため、どの当たりに停泊しているのかを見てゆくという意味もあり、撮影に展開したところ。
舞鶴基地へ転進、文庫山より北吸桟橋の様子を撮影しました。手前にはイージス艦あたご、奥にはヘリコプター搭載護衛艦しらね、が停泊しているのが見えます。あたご、はイージス艦の直線を基調とした艦容が際立っています。しらね、は定期整備中となっており、電燈艦飾は行われていません。
イージス艦ちょうかい、北大路機関のトップページ写真に君臨し、舞鶴展示訓練詳報に掲載した写真はこのイージス艦ちょうかい、より撮影、この日お世話になったイージス艦ですね。前に停泊しているのは少々見えにくいですが多用途支援艦ひうち、です。
ヘリコプター搭載護衛艦しらね、舞鶴を母港とする第三護衛隊群の護衛艦で、横須賀での火災事故の後、自衛艦旗を返納したヘリコプター搭載護衛艦はるな、より電子装備の移植を受け修理を完了しました。この前年に行われた横須賀地方隊伊勢湾展示訓練には、しらね、も参加していました。
護衛艦すずなみ、定期整備中の様子です。就役以来永くここ舞鶴を母港としていましたが、この定期整備完了後に新しい母港、大湊基地へ旅立って行っています。こちらも定期整備中で、電燈艦飾は施されていませんが、陸上の常夜灯で艦容が浮き上がっていますね。
イージス艦ちょうかい、イージス艦あたご。撮影位置は再度転換しまして前島埠頭、釣り人で賑わうフェリーターミナルの埠頭で、新日本海フェリーが毎日、ここ舞鶴と北海道の小樽を結んでいます。北海道というと名古屋を出港する太平洋フェリーも有名ですが、日本海経由の方が距離をい節約でき、その分早く北海道へ移動できます。
ちょうかい、しかし、この舞鶴展示訓練2011は、2011年7月、つまりあの東日本大震災から半年後に行われました。文字通り有事というべき大災害ではありましたが、こういう時こそ日常を取り戻すために確たる行動を採ろう、と舞鶴地方総監の英断から実施されたもの。
こちらはイージス艦あたご、そしてよく見ますと艦尾より少し後ろに潜水艦うんりゅう、が停泊しているのが見えます。こうした情景を撮りつつ、気軽に防衛装備について考えられるひとときの日常というのは、当たり前なのだけれども、何時破綻するか気を付けて防がねばならない、大切なものなのだなあ、と考えさせられます。
護衛艦あけぼの、三脚に長時間露光撮影を行っているのですが、やはり沖留で撮影位置から距離があり、そして桟橋の光が無いと、どうしてもこういうくらい情景になってしまいますね。このすぐ後ろには海上自衛隊舞鶴航空基地があり、平日には夜間の発着飛行訓練を行ったりもしています。
最後に広角で、ひうち、ちょうかい、あたご、うんりゅう。こうして、十二回の舞鶴展示訓練詳報を掲載してまいりましたが、この特集は今回が最終回となります。この総集編を掲載したのち、次回からは海上自衛隊行事詳報に新しい詳報の連載を開始します。お楽しみに、今後ともよろしくお願いいたします。
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