北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】広島電鉄5200系電車APEX-路面電車に見る都市交通の未来像

2024-03-24 07:01:40 | コラム
■路面電車に乗って
 新型車両というか久々に遠出してみると見た事も無い電車が走っているということは数多あるでしょう、新幹線に限らず。

 広島電鉄5200系電車、通称APEXと呼ばれまして近畿車両と三菱重工が開発した五両編成の国産超低床車、2019年より運用が開始されたもの。直後にCOVID-19新型コロナウィルス感染症の世界的流行禍が始まった関係で、いわゆる“久々に言ったら増えてた”系の。

 路面電車、法的には軌道線か、この種の交通手段は、古臭い交通手段という印象で物事を考える方が居るようですが、実際には古臭い電車というのは昭和初期に設計されたものを示すものが多く、平成と云いますか令和と云いますか、現在製造されるものはこんな感じ。

 広島電鉄などは、かつて京都にも市内線が在ったのですが全廃してバス路線に切替えてしまい、慢性的な渋滞に見舞われるとともに輸送力不足から、観光業の街なのにオーバーツーリズムという声が上がっているほど。市電全廃は早過ぎた決断では無かったか、とも。

 地下鉄路線は全く足りず、ようやく太秦天神川開業で京福電鉄とは結ばれましたが叡電や、あと北野線との連節性を考慮し北大路通りや西大路通りなど交通量のおおいバス路線については市電の再整備を真剣に考えてはどうか、とも。こう思う程に広島市電は便利なのだ。

 市電は併用軌道であるために、例えば市道の一環として上下分離式で路線を整備する事が出来れば、赤字路線の軌道転換を行う事で全国の鉄道ローカル線の赤字負担をかなり軽減できるのではないかとも思うのですが、そこまで踏み込んだことはなかなか議論されない。

 広電、広島駅に次々と発着する様子は、京都駅前バスターミナルのような便利さを感じさせつつ、バス停と違い軌道線は道に迷った場合でも線路さえ見つければ線路沿いに電停にたどり着けるという安心感と大きな駆動音による列車位置の存在感という利点があります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【M-5撮影速報】練習艦隊-令和6年近海練習航海部隊&外洋練習航海部隊江田島出航-続報(2024-03-16)

2024-03-23 20:24:58 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■M-5撮影速報
 最近速報という割には半年前の話題を延々とと言われてしまうのですが仕事の合間に写真を加工して文章を作成して添削して校閲して掲載するのだから遅くなるのは致し方ない、けれども先週の話題ならばまだ速報と云い得る。

 練習艦隊江田島出航、わたしは本格的に撮影をはじめたのは2012年ですので長いこの当たりからの撮影の歴史を振り返りますとまだまだ新参者なのですが、艦隊入港は2006年以来毎年撮影しています、いやそれにしてもまだ新参者なのか、デジタル黎明期ではあったが。

 津久茂瀬戸、というのでしょうかこの高台から俯瞰風景を撮影する様になりましたのは2016年から、ですね。古鷹山はじめ江田島の美しい地形を背景に撮影できる、という利点があるのですが、実際問題この撮影場所にたどり着くまではまさに試行錯誤の連続でした。

 高田港付近で、撮影していましたのははじめのころですが、江田島の風景とはいえ牡蠣筏の存在感が凄かったものですから、単縦陣の艦艇がどの位置ならば真正面にみられるのか、というところで苦労したのです。民間撮影船の航路妨害などでけっこう単縦陣はまがった。

 江田島基地付近で、という事も考えたのです。実際、高田で撮るよりも間近の構図になるのですが、それでも艦隊を真後ろから撮影する、というのではなんのために陸上から撮っているのか、となるのですよね。観艦式や展示訓練、昔はよく後ろから撮っていましたし。

 津久茂瀬戸側から撮影、そんな選択肢ももちろん検討したのですが、逆光になってしまうので、それでは勿体ない。雨天の時なら逆光は関係ないといわれるかもしれませんが、ぎゃくにいえば雨降る最中にあの場所まで移動するのはちょっと考えたくないようにおもう。

 雨降る中と云えば過去、もう土砂降りだったので高田港の屋根の下から撮影しまして、構図的にはちょっと厳しかったのですが、艦隊出航の直後の広島行高速船に乗る事が出来ました、すると、あきづき型護衛艦とかを高速船で追い抜きながら撮影出来たのはさいわい。

 岩風呂山、今回の撮影位置にたどり着いたのはそうした試行錯誤の先です。しかし、此処で撮影していますと地元の色々な方とお話しできまして、なんと若い頃、呉空襲を実際に見ていたという方のお話を聞く事も出来ました。まさに海軍とともに歩んだ江田島、と。

 撮影位置に墓地がある高台を選ばれる方はいるのですが、あれ、了承とったのでしょうかという事で気になるのですよね。いや、法的な事を除いて、誘われた事もあるのですが、なにしろ前述の通り地元の方と交流もありまして、中にはいま墓地にいるかたも、多少は。

 わたしがもし、この地に縁を持っていずれその墓地に迎え入れられるようなことが有るならば、そういう場所から眺めるということも良いかなあ、と思った事もあるのですが、それはまだまだ先の話、すると、地元のお散歩の方々と雑談とあいさつを交わし、撮りたい。

 M-5撮影特報、という事でしょうかいしていますこの写真ですが、撮影はEOS-M5,先日CANONが形式消滅を発表したEOS-Mシリーズです。ミラーレス時代ということで販売員の太鼓判で買ったカメラですが、レンズの揃いにCANONのやる気を感じなかった。

 EOS-Mの中望遠は細長過ぎて使いづらく、結局今回は15-45mmSTMという短いレンズで撮影したのですが、45mmでもトリミングしますと何とか使えるのだなあ、と。もっとEFレンズを携行しコンバータを使えば望遠も可能なのですが、荷物が多くなり過ぎるのだ。

 M-5,しかしEOS-7Dmark2やG3Xとの片手間に撮影したにしてはスナップ写真としては広角を活かした面白い構図にはなっているのかな、ともおもうのです。こんな感じで撮影を完了し、バスが有れば小用経由で呉へ、高速船ならばそのまま広島へと戻る事にしました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-呉地方総監部前,牡蠣と賀茂鶴は"せんすいかん"で"かが"に乾杯

2024-03-23 14:41:15 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 呉地方総監部前から少しいったさき。総監部グルメ日誌という割には江田島とか総監部から遠すぎやしませんかと云われてしまったので今回は徒歩で行ける場所です。

 呉基地、基地を探訪しました際にはどうしても気になるお店というものが色々とあるのですが、例年練習艦隊江田島出航の際には広島に宿泊していましていい機会に恵まれなかった、けれども今年は諸般事情で呉に宿泊することとなりましたので、そう行ってみよう。

 生ビールをジョッキで。ここは潜水艦桟橋にほど近く潜水艦部隊施設に隣接しています、せんすいかん、という名前の、非常にヒジョーに前から気になっていたところでしたので、まず暖簾を潜って最初に、生ビールを中ジョッキで、と注文した後にせきにつきました。

 モツ煮込み。こういろいろ注文した後でメニューを開きますと、なんか一日異界注文できるという1000円で生ビール二杯といろいろ小鉢とか焼き鳥さんとかがつくという、せんべろセットというものが目に付きまして。みんな、注文する前に先ずメニューをみようね。

 メニューを先に見て注文しようね、まやさんとの約束だよ。それにしても良く煮込まれていて、更に歯応えが良い、のだけれども先ず、煮込みと云えば赤みそかしろ味噌か、という地域によって個性が有るのが面白いもので、確かめる為に注文してみても、いいかも。

 核に、ではなく角煮です。もつ煮かどちらか迷ったのですが、いい感じに大将さんに伝わったようで両方ともきた。そして角煮といいますと何が合うか、大急ぎで生ビールをのみ干し、なにか強いパンチの利くものを、と考えて、角煮だとそうだなあ泡盛だよなあ。

 焼き鳥とともに、もうこういう風に並べますと居酒屋らしくなってきた。角煮は旨味がしっかり沁みこんで肉を食べているのだなあという満足感とともに来るのですが、甘みというかなんというか、ここに仄かな甘みを、独特の香りが呑む人を選ぶ泡盛とともに頂く。

 四点盛りの焼き鳥、四という数字は避ける方が多いようですが、なにをいってやがるんでい、ここは第四護衛隊群の呉基地であるぞ、ひかえいひかえおろう。焼き立ての、カワとミとツクネに。カワカワカワは第二次攻撃の必要有、というミッドウェーの略号だったか。

 賀茂鶴をここで焼き鳥に合せる。面白いのはこのお店は日本酒が二種類のみで、広島の賀茂鶴と神戸の剣菱だけ、というね。そしてこの呉基地のといいますか日本の潜水艦は全て神戸で建造されています、三菱か川崎、ここまで考えて剣菱と賀茂鶴という品揃えだろう。

 牡蠣の瀬戸焼、清酒をひやで杯に満たすならば、今度はもうここ呉名物の牡蠣を頂こうではないか、と。瀬戸焼というのがどういう焼き型なのかはちょっとわからなかったのですが、こういうときには聞かずに注文してびっくりしたいところですが、こんなかんじ。

 レモンをね、こう、しぼって、ね。熱々の段階のまま食べ始めないと急速に冷めるのですからふうふうして、かっと、こう頂く。不思議なのは牡蠣出汁ってどれだけやいても身の中に残っていますから、美味しさは焼き立てのとき熱いのを無視して頂くのが良い。

 せんすいかん。この当たりは路線バスも10分おきにやってくるほどに便利で、先ず宵の口にこんな感じで、呉の美味しいものを、前から気になっていたお店で頂きました。大将さんと女将さんの手際の良さとともに、意外に広い店の中で酒杯を重ねたのは良い思いで。

 呉基地の方から見てお店はどのあたり、とおもわれたかたへ。この光景が見えるところの最寄りのコンビニと駐車場が繋がっている方で、いけばわかる、というところでしょうか。駅前や中心部からは離れているのですけれども、護衛艦かが目の前で乾杯、ができるのだ。

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【京都発幕間旅情】広島電鉄1000系電車LEX,建て替え進み消える国鉄山陽新幹線開通時代駅ビルの広島駅前

2024-03-23 07:01:43 | コラム
■広島電鉄-広電
 広島と云えば広島電鉄、というのは好事家の撮影被写体という狭義の意味ではなく市内交通の根幹をなしており路線も本数も多く便利なのだ。

 広島電鉄1000系電車、2013年から導入された国産の超低床車でLEXの愛称で知られます。超低床車といいますと、その昔ドイツ製の路面電車がウクライナのアントノフ輸送機で日本に搬入された事を思い出しますが、本型は近畿車両と三菱重工の共同開発車両です。

 1000系は三両編成となっていまして、いわゆる路面電車と比較した場合は大きな輸送力を有するのですが編成重りょうは24tと鉄道車両としては抑えられており、一方で車体も3両編成ながら18.6mと実は電車一両分程度、路面電車のコンパクトさがわかりますね。

 広島電鉄700系電車。700系といえば全然関係ないけれども昨日書店を散策した際に児童向けDVDブックが売られていて、表紙に懐かしい新幹線700系の写真が掲げられ、へえ東海道新幹線時代の700かあ、とよく見てみるとN700と。表紙で誤植かい、と思いました。

 こちらの700系はアルナ工機製で1982年より運用が開始され、もう40年以上運用されています。一両編成で巨大に見えるパンタグラフは最近シングルアームパンタに切替えられましたが箱型車体と方向幕表示、これぞ路面電車、というイメージを実感させてくれる。

 3900系電車、広島駅と宮島口を結ぶ路線に集中投入されているといい、ぐりーんらいなー、という愛称で知られます。ぐりーんらいなー、誤植では無く公式愛称が平仮名だ。二両の車体を連接部で結んだ形状は先進的な、といいたいところですが運用開始は1990年という。

 広島駅前は、広島駅ビル建て替え、これももともとは国鉄時代に山陽新幹線広島延伸を記念して建設された素晴らしいビルだったのだが、そうした雑然とした工事中の気配がする中ではありますが、広島駅前を広島電鉄通称広電の車両が次々と出入りしていました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和五年度三月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2024.03.23-2024.03.24)

2024-03-22 20:03:05 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 桜が昨年は満開の時節であったのに今年は蕾のままいや、紅梅などは未だ頑張っている寒い今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の自衛隊行事紹介です。

 熊谷基地さくら祭、今週末下も注目の行事は例年四月上旬に行われていました熊谷基地祭でしょう。例年ではブルーインパルスを年度最初の飛行展示行事として知られていました熊谷基地祭ですが、今年度はブルーインパルスの参加は無く、代わってブルーインパルスジュニア展示を行うとのこと。このほかCH-47J輸送ヘリコプター地上展示が行われる。

 熊谷基地さくら祭、ただ、開花していないのでしょうね。この数年は気候変動による温暖化を受け観桜は三月中に全て終わっていたような印象もありましたが、今年は蕾さえ、というところ。ただ、熊谷基地さくら祭では野外売店での飲食物販売や資料館一般開放、またF-1支援戦闘機、F-1戦闘機と未だ言い慣れない、保存展示機などもあり、興味深い。

 今週末、この寒さは何なのだ、というところでしょうか。暖冬だったはずなのですが、この寒波といいますか異常低温と云いますか、いやいや三月は例年を観れば気候変動の前にはこの位だった、と反論があるのかもしれませんが、寒さにより今週末の自衛隊行事に影響が出ています、具体的にいますと、自衛隊駐屯地の桜並一般公開が中止されている。

 目達原駐屯地桜並木一般開放が今週末と来週の行事に合わせて週末に行われる予定でしたが、目達原駐屯地広報によれば桜の未開花により今週末の一般公開を中止したとのこと。久留米駐屯地桜並木一般開放は実施される予定とのことですが、駐屯地広報が本日1500時に撮影した写真を公開していますが、つぼみだけといいますかまだ開花に至っていません。

 観桜、としての駐屯地ですが、もちろんこれは駐屯地にもよるのですが保存展示装備の区画が一般開放される事が有りまして、61式戦車や全廃の74式戦車、75式自走榴弾砲や珍しい所ではL-90高射機関砲にM-42自走高射機関砲等が置かれているところもありまして、このあたりを桜並木と構図に収めるのもよいでしょう。そのためにはまず開花が必要だが。

 桜の開花に伴う桜並木一般開放は複数の駐屯地で行われていますが、なにしろこの寒さ、割いているのは昨年からの平野神社の十月桜くらいのものでして、観桜に駐屯地などを探訪される方は充分な防寒を、というよりも予定通り一般公開されるのかは充分ご確認ください。昨年の事例をみますと開花云々に関係なく一般公開は行事として行われる事もある。

 練習艦隊近海練習航海部隊について。昨日21日まで練習艦隊は神戸港に入港していまして、ポートライナーなどで撮影に赴かれた方も多いと思いますが、練習艦隊近海練習航海部隊は神戸港を出航し、現在は沖縄の那覇に向けて航行中、那覇への入港は29日金曜日となるもよう。練習艦に護衛艦と掃海母艦という不思議な編成の艦隊入港となっています。

 練習艦隊撮影に際しては、有効した後に歓迎式典の様子などを眺めるというのも一つの選択肢ですが、水路や湾口などの地形から艦艇が一列となる場所を大むね予測しますと、洋上を航行する艦艇、という様子を撮影できるのかもしれません。また夜間撮影、電燈艦飾の予定が無い場合でも艦艇の常夜灯だけで長時間露光撮影しますと幻想的な情景を撮れる。

 年度末ということで、戦車が空包射撃をおこなったりヘリボーンが展示される様子、というのは新年度まで少々お預け、というところではありますが、こういう季節だからこそ例えば艦艇基地の近くの公園を散策するとか、遊覧船煮の手もう少し間近に眺めるなど、こういうきせつならではの基地の日常風景をさんさくしてみるのも、いいかもしれませんね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・3月24日:熊谷基地さくら祭

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ウクライナ情勢-アウディイフカ周辺ロシア軍師団規模の攻撃,イランロシア弾道ミサイル供与

2024-03-22 07:01:25 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 自衛隊の機械化装備についての予備備蓄を考えるべきとおもうのはこうした情報が毎日のようにでているためで。

 ロシア軍は人海戦術から装甲車両を用いた組織的攻撃へ転換している、ISWアメリカ戦争研究所ウクライナ戦況報告3月16日版の戦況報告です。この分析ではウクライナ軍アウディイフカ方面において防衛に当るウクライナ軍大隊長の発言を元としていて、ロシア軍は戦力が減少した師団を複数集中して攻撃しているとのこと。軍団規模の攻撃ということか。

 アウディイフカ周辺での戦闘ではロシア軍はウクライナ軍の正面に対して十倍の兵力を確保し攻撃を継続しているという。なお、ロシア軍は3月16日までにアウディイフカ西方のトーネンケ、アウディイフカ南西のネヴェルスケを占領しており、またドネツク州とザポリージャ州の境界線付近ではノヴォシルカ西方、プリユトネ西方まで前進しているもよう。
■新しい経済制裁
 自爆用無人機と異なりこちらは迎撃は難しい。

 イランによるロシアへの弾道ミサイル供与へ新しい経済制裁が検討されているとのこと、ISWアメリカ戦争研究所3月16日付戦況報告によればロイター通信の報道を引用する形でイランは2024年2月下旬から既にロシアへの弾道ミサイル供給を開始しており、400発の短距離弾道弾を受領しているとしています。ミサイル供与へG7は経済制裁を予告してきた。

 G7先進七か国を中心とした各国がイランに対して行う経済制裁はISWによればイラン航空の欧州へのフライト禁止を検討の一つにあげているとのこと。弾道ミサイルはウクライナ軍が保有する防空装備の中でも迎撃できるものが限られ、またイランはイエメンのフーシ派にも弾道ミサイルを供与しているため、ミサイル迎撃装備は世界的に不足しています。
■ロシア国内男性障碍者数
 こういう概況を見ていますと地上戦闘よりも射程の長いミサイルで相手本土を攻撃する方が理に叶うという現在の岸田政権の防衛政策に少々納得してしまう。

 ロシア国内の男性障碍者数が劇的に増加している、イギリス国防省ウクライナ戦況報告が3月16日に発表したところによれば、Volstkaロシア年金社会保険基金のデータとして過去8年間のデータを比較したうえで2022年のロシア男性障碍者数は167万人であったのが2023年には211万人、実に一年間で50万7000名が増加したとのこと。

 ロシアウクライナ戦争においてロシア軍死傷者は37万5000名とされていますが、これでは増加した障碍者数とは計算が合いません。しかし増加した障碍者数は31歳から59歳の労働人口であり、ロシアの医療及び社会保障サービスに長期的な影響を及ぼす事が予想され、また2024年にはアウディイフカを巡る戦闘などでも毎日983名が死傷しています。

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【G3X撮影速報】小牧基地航空祭2024【1】オープンベース開幕の編隊飛行(2024-03-03)

2024-03-21 20:24:20 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■オープニングフライト
 この青空この大空はどこまでも晴れ渡りいよいよ始まります小牧基地航空祭開幕の様子をお伝えしましょう。

 小牧基地オープンベース、KC-767空中給油輸送機を先頭にC-130H輸送機3機が随伴する二機種編隊飛行がこちらへ向かってまいりました。最高の天候と昨今暖冬は立春までで立春の後は雪舞う春がやってきた今日この頃、快晴でほの暖かい航空祭の始まりはじまり。

 KC-767空中給油輸送機を先頭にC-130H輸送機3機が随伴する二機種編隊飛行、この数年のオープニングフライトは伊吹山を背景に名古屋空港側から会場上空へ飛来する経路が採用されていましたが、そうか今年は飛行展示らしく名古屋市街方面から滑走路上へと飛ぶ。

 最高の位置で撮影しよう、こう考えましたので迷わず撮影位置に陣取りましたのはC-1輸送機の目の前、そう、長らく航空自衛隊の主力輸送機として活躍して参りましたC-1輸送機が、いよいよ来年度を最後に完全退役する事となっていまして、これを思い出に残そう。

 C-1輸送機とC-130H輸送機、これを順光の青空と共に撮影する、これこそC-1輸送機ファイナルイヤーがはじまりました2024年初の航空祭を撮影する開幕に相応しい、そしてなにより、今年はブルーインパルスが参加しない事で小牧基地航空祭は混雑していないのだ。

 KC-767空中給油輸送機を先頭にC-130H輸送機3機が随伴する二機種編隊飛行、これを見上げるC-1輸送機、いいじゃあないですかこういうこういう構図、後人へみちを譲る先輩、その先輩は半世紀に渡る現役期間中戦争を経験しなかった、抑止力だけで日本を守った。

 第402飛行隊のマークと編隊飛行をなんとか構図に収められないものかと頑張ったのですが、ちょっとだけ写真に仕上げられたのかな。なお、第402飛行隊はC-1輸送機からC-2輸送機に切り替わった後も、このマークは維持されるということですので、安心ですよね。

 政府専用機、そしてKC-767空中給油輸送機を先頭にC-130H輸送機3機が随伴する二機種編隊飛行、ボーイング777政府専用機は昨年の小牧基地航空祭にも参加しましたので最早常連という印象のある航空機なのですが、前は中々見れず千歳基地まで行ったもの。

 KC-767空中給油機、小牧が第401飛行隊のC-130と第404飛行隊のKC-767,美保基地がC-2輸送機の第403飛行隊とKC-46空中給油機の第405飛行隊とともに、共に長距離を飛行出来て相互補完できる機種で航空隊を編成していますので、いずれ入間基地にも。

 C-130H輸送機の編隊飛行、再度飛来しました、今回は地上のC-130Hと編隊飛行を絡めて見ました構図です。この輸送機は、C-2輸送機が配備開始されるまでは沖縄以遠まで、つまり海外派遣や邦人救出に対応できる唯一の戦術輸送機、何度も海外へ飛んでいます。

 C-1輸送機とC-130H輸送機、C-1も優れた輸送機で、特に機動性と速度が凄い、新幹線のような輸送機と理解しています。搭載量が限られるものの、24時間に何往復できるかで輸送力を確保する、まさに東海道本線特急と東海道新幹線の違い、発想は正しいとおもう。

 C-2輸送機が高速巡航性能を重視して国際航空路線をそのまま利用できる点は、C-1輸送機の性能を継承した為で、世界でもこの発想に基づいた輸送機はブラジルのKC-390輸送機くらいではないか、C-17輸送機やA-400M輸送機よりも早く、展開速度を考えている。

 小牧基地航空祭は、こんな感じの緒方飢餓編隊飛行や機動飛行を展開する航空祭です。戦闘機が速度と刀のような鋭利な機動飛行や素早い編隊飛行を誇示する航空祭も迫力が好きなのですが、輸送機と救難航空機と空中給油機中心の航空祭がこうして開幕しました。

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【京都幕間旅情】勧修寺-観梅,三月は卒業の季節-今春卒業の大学生はCOVID-19世界感染拡大の2020年入学

2024-03-21 07:00:45 | 写真
■COVID-19をこえて
 卒業の季節というこの時期は多少羽目を外す様子をみても寛容な気持ちとなってしまうのはわたしだけではないでしょう。

 梅花と云えば、卒業の季節の花という。または高校生には受験戦争に勝利した記念日というところでしょうか。さあ新しい年度へ、といざないたいところですが、特に四回生として卒業を迎える大学生の方々、本当に大変な四年間で在ったと思う、卒業おめでとう。

 2024年卒業、つまり2020年大学入学、COVID-19新型コロナウィルス感染症のパンデミーという影響を真正面から受けた大学生が2020年入学の方々という事は間違いないでしょう。いや、既に2020年4月には日本国内にも徐々にその感染の影響が顕在化していました。

 この季節には既に一月の春節の時節にWHO世界保健機関公衆衛生緊急事態宣言PHEIC発動が間に合わず、結果的に観光客やなにより世界経済への影響力増す商用の往来が拡大し、結果的に欧州では膨大な死者を前に戒厳令に近いロックダウン都市封鎖が実施されていた。

 致死率2%、重症化した場合は死亡率は15%に達していて感染力は麻疹以上、次亜塩素水ではウィルスが死滅せずとの研究結果や既存薬品の薬効が確認され病床での投与の結果は真逆であり、ワクチン開発を大車輪で進めるも再感染の事例など抗体が形成されにくい。

 ロングコビットという、コロナ生還者、コロナサバイバーと当時の造語の完治後にあっても脱毛や嗅覚障害と味覚障害、ブレインフォグといううつ病に似ているとも脳機能要害ともとれる症例が続発し、運動や思考を阻害すると共に就業に影響する事例さえ報告される。

 サイトカインシンドロームという突然死、当初は新型肺炎と云われていた為に酸素投与などの措置が行われ救命を図っていて初期には医療用酸素ボンベ不足などが問題視されるも、脳血栓が突如ショック死のような症状で劇症化する事例、中国では歩行中の突然死なども。

 日本は、自粛主体の感染対策と、何より戦後の公衆衛生対策により整備された保健所制度による感染追跡などの施策が功を奏し感染者数を抑えられたのですが、感染対策を誤った諸国、アメリカやイギリスなどG7先進国さえ、爆発的な感染者数と死者数を生みました。

 感染対策に感染対策、しかし、このなかで教育というものがどこまで顧みられていただろうか。緊急事態宣言の最中、外出を最小限としてリモートワークに励む一方で、久々にいくつかの大学キャンパスの前を通りますと、閑散と、というような状況でさえ無かった。

 キャンパスは、無人でした。大学は図書館封鎖、リモートにより、いやリモートを行う側も急な方針変更に位置からのインフラ整備とセキュリティ両立を図って、先ず機材をそろえる為に必要なものを列挙する段階から始まったのですが、学生にどう向き合えていたか。

 BCP事業継続計画として世界規模の感染症拡大を想定していた大学は皆無だった、仕方ないように思われるかもしれませんが、この危機管理の不備、危機管理の限界とも思うのだけれども、この割を正面から喰ったのがいま卒業式を迎えているがくせいたちなのですね。

 2022年からはある程度対面が軌道に乗り始めた、けれども2021年の段階ではワクチン接種さえ始まったばかりであり再開された対面講義には大きな制約が在った、そして2020年と2021年は本来、基礎科目を履修したうえで専門研究専門演習へ臨む基盤固めだった。

 2011年の東日本大震災の頃でさえ、直撃を受けた教育施設を例外として原発事故の影響が在っても東京も仙台も福島さえ浜通りを除けばここまで影響はありませんでした。この苦労を乗り越えて専門演習を経て卒業論文を作成し卒業、みなさま、おめでとうございます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】勧修寺-観梅,観音堂と梅花の幻想的な情景とともに考える次の季節

2024-03-20 20:24:45 | 写真
■梅花そして桜花
 京都市でも山科区は梅花の開花が遅い方なのですが今年は異常な早咲きと云えました、けれどもそれに続く桜花の開花はまだ先か。

 勧修寺、梅花の名所、と明記されているわけではなくこのあたりでは隨心院の梅林が有名となっています。梅林を眺めるならば隨心院、なのかもしれませんが、隨心院さんの梅林は三月中旬まで非公開となっていて、しかし梅花開花は待ってくれません。

 隨心院で梅林を昨年は眺められたものの、今年の梅花は開花が早く、しかし寒の戻り、特に寒さが戻るとともにかなりの風雨が定期的に梅林を洗い流してしまいましたから、思ったのはこれ、隨心院さんが梅林を公開するころはもう梅花、散っているだろうなあ。

 氷室池のまわりに梅花が咲き誇っていましたのは、嬉しい誤算というべきでしょうか、これも西日が強く逆光のように白梅の真白さを強調してくれましたので、若干陽光がレンズに影響を及ぼしはしたものの、これは幻想的な情景、春を感じさせる一瞬と思う。

 応仁の乱により荒廃した寺院ですが、江戸時代に入りますと本格的に復興します。安土桃山時代の間には豊臣秀吉の街道整備により氷室池が半分以上埋め立てられるなど郊外に追い打ちを掛けられてしまいますが、江戸時代に本堂などが復興されることになって。

 本堂再建は寛文12年こと西暦1672年のことでして、霊元天皇仮内侍所が下賜されることとなり、本尊千手観世音菩薩立像を奉じています。ここ、春の特別公開では内部が御開帳となるのですが、この日は梅花の先にご本尊を思い浮かべこうべたれるのみ。

 観音堂と梅花、これが京都らしい情景と思うのですが、この観音堂は昭和初期の再建という。もっとも再建というからには初代があるはずなのですが、当地に観音堂が情景に溶け込んだ始まりの時代がいつなのかは、ちょっとしらべられるにはいたっていません。

 雪景色、そう雪は少なかった、というのは暦の上での冬には暖冬であって、これも異常気象だとかスキー場がたいへんとか、もう梅が咲いたというような、暖冬を印象づける話題が続いていて、三月中旬には桜が咲きそうな、そんな熱気がこもっていまして。

 熱い冬、なんて考えたものですが今度は寒い春が来ました。沈黙の春、レイチェルカーソンの大著ではないのですが寒すぎて立春の日には寒の戻りを痛感したものですが、一過性と思っていて桜花開花の季節も三月中旬を過ぎたあたり、と予想されていました。

 桜花を考えれば昨年こそ寒い冬の先に熱い春が来た、なにしろ平野神社の桜花祭のころには全て葉桜で観桜を当て込んだ観光業が二週間も外れてぎゃくに閑古鳥なんてCOVID-19から立ち直りつつある京都の景気にまた沁みて痛い一撃を加えたものでしたが。

 寒の戻り、しかし考えると開花の時期は一か月半は長く咲いていましたので、もちろん、満開の絶景、という期間は短く、特に早咲きと遅咲きの梅花満開の時機が大きく間が開いてしまいましたので、割いている様子は長く楽しめたが満開は中々愉しめなかった。

 春の訪れ、そういえば昨年は梅花から桜花への転換に合間が無かったようにもおもえるのですけれども、今年は、来週に開花という。すると見ごろは四月に入ったあたりか。異常気象異常気象と言っていたのは立春までで、桜花は例年通りという。不思議ですね。

 熱い冬と寒い春、さてこれから春本番となるのですが昨年は熱い春の先に灼熱の夏という表現でさえ甘いほどの40度越えの真夏がやってきました、気象庁の長期予報では例年より熱いという予報がでましたが、さてさて、異常気象が平常となるのか気懸りです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】勧修寺-観梅,山科は千年超える歴史と梅花包む真言宗山階派門跡寺院

2024-03-20 20:00:45 | 写真
■熱い冬と寒い春
 本日は異常な暖冬と云われた冬を越えた春分の日の割にはみぞれ交じりの雨が降っていたようにみえましてまだまだ春は遠いようにおもえます。

 勧修寺、今年の冬は、変だ、と立春の後にも春分の日にも思ってしまうのです、要するにもう暦の上ではとっくの昔に春のはずなのですが、冬の嵐が続いている。いや、冬は暖かかった、暖冬だ。実際問題冬らしい雪景色はなかなか撮影できなかったものです。

 梅花は。そう暖冬であったゆえにもう一月から開花が始まっていまして、これはもう風流を愉しむほかないと少々嘆息しつつカメラを片手に愉しもうと開き直ったものです。勧修寺は、その京都に在って最後に梅花が鮮やかに咲き誇る山科界隈の門跡寺院だ。

 かじゅうじ。勧修寺と記しましてこう読むのです。どうしても教養の限界といいますか学校漢字学習の影響で“かんしゅうじ”“かんじゅじ”と読んでいるのですけれども、“かじゅうじ”と正しくは読むのだという。このあたりの地名は、かんしゅうじ、いやはや。

 貴船神社は“きふねじんじゃ”で地名の貴船は濁点の“きぶね”と読むのと同じようなものなのだろうなあ、と思いつつ、ここ勧修寺の庭園は、まあ真冬には雪化粧が欲しいところですが春夏秋冬の春夏秋には鮮やかな、いや艶やかなというような木々が彩り。

 真言宗山階派門跡寺院の勧修寺です。その創建は昌泰3年こと西暦900年、京都には数多ある千年以上の歴史を紡ぐ寺院の一つです。その庭園は壮大な池泉、いまはかなり狭まったといわれてもまだ広い池泉を浄土式庭園というより寝殿造を思い浮かべる趣き。

 醍醐天皇が生母藤原胤子の追善を願い右大臣藤原定方に命じ造営したという寺院です。藤原定方さんは藤原胤子さんの異母兄弟ということで、この際に仏縁をもとめまして祖父藤原高藤の諡号を冠し寺院をこの勧修寺としたという。山号が難しいわけですね。

 承俊律師、藤原定方は東大寺の承俊律師を開山に招きまして、あの醍醐天皇の時代ですので天皇からは曽祖父、外戚ではあるのですがこの血筋に当たる宮道弥益の邸宅跡をそのまま寺院にとなりまして、そうこの門跡寺院として壮大な寺域が確保されたという。

 宮道弥益の邸宅、といいますが宮道弥益さんは山城国宇治郡の郡司でもありましたので、当地の邸宅もその通りの規模がありまして、そう、歴史を辿ればここは寝殿造りの邸宅を延長線上に造営された寺院であるという事は分かり、納得するものなのですけれど。

 氷室池、勧修寺が寝殿造りの遺構のようだなあと感じる背景にはこの氷室池という存在がありまして、もちろんここは近世にかけてかなり小さくなってしまったというのですが、池泉周囲に自生します木々は大樹のようになりまして、主のような鳥さんがいる。

 池泉回遊式、というには護岸の関係で池の周りは一部が公開されているだけなのですが、主のような鳥さんと、主の様な鯉さんが、ちょっと浅くなった水位を背鰭まで潜水艦の洋上航行のように示しましてゆったりと泳いでいて、そのまわりを梅花が包んでいて。

 寺領などは建武の新政が執り行われました建武年間がその最盛期といいまして、加賀や三河と備前などに広がりまして、当時の当地はどのようであったのかは流石に古地図まで探して調べることは出来ず、なにより古地図を扱っていた古書店が無くなってしまった。

 建武年間、その最盛期の頃が来たとは前述の通りでして、残念ながら文明年間には応仁の乱の戦果がここまで及びました。これにより現存する建物は中世よりは近世のものなのですけれども、なぜか少ない拝観者のなかを、風情と静けさは祈りをつつんでいます。

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