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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人間の成長は階段状にプログラムされているか?

2008-02-05 | 第二章「五感と体感」

 孔子の論語の中に次の名言がある、「三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順がい、七十にして心の欲するとことにしたがいて矩を越えず 」。

 私は孔子のような偉人でもなく、六十、七十は経験したわけではないが、何となく、年相応という感じが判るようになってきた。努力も大切だが、年とともになにか変化があるといったところである。

 考えてみれば、同じ生命の昆虫の蝶などは幼虫、蛹、成虫と変化する。人間も考えてみれば、ホルモン等も大きく変わるようだ。DNAの中に成長についてのプログラムがあるのだろうか?

 孔子も有名だが、世阿弥の花伝書でも稽古論として、いろいろ記述がある。そして、心理学の世界でも、エリクソンの発達心理学がある。

 生き甲斐の心理学では、人格形成論の一つとして、エリクソンの8つの分類を大切にしている。五十歳台は三十五歳ごろから六十歳に至るまでの、「世話 Care」に分類されている。ネクスト・ジェネレーションに興味をもち、天命を考えたり何かしなければと思うのも、そんな段階での想いかもしれない。

 そして、二十歳ごろは、「忠誠心 Fedelity」の段階で、アイデンティティ、自己混乱感が芽生える段階である。そして二十三歳から三十四歳は、「愛 Love」で、親密性、孤立感が芽生えるとされている。

 時代背景は異なるものの、ネクスト・ジェネレーションの人たちと接すると、なにかその年代のテーマについていろいろ格闘しているように見えるのは私だけなのであるか?

 <次世代2/3>

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