最近は井戸を見なくなったが、昔はいたるところに井戸があった。私の育った都内の家でも、庭に井戸があり、その前には最新式の手回しの搾り機が付いている洗濯機があった。
夏になると、スイカを布で包み、ロープで吊るしてスイカを父が冷やした。冷蔵庫の変わりにも、洗たくにも、そして行水などにも、いろいろお世話になった。
井戸で、手でポンプで水を汲んだりしたが、今はそうした井戸を見ることがない。蛇口を捻れば(最近はレバーを倒す)簡単に温水や冷水がでてくる。
ただ、恐らく私たちの祖先はついちょっと前までは、こうした井戸に大変お世話になったのだろう。
こんこんと湧く清水のイメージ。そんなイメージは何か究極の生き方の理想のように思える。
へんな囚われもなく、自然体で生き抜くこと、何があっても謙虚にそして着実に生きる。
聖書には、新約聖書にはヤコブの井戸でのサマリアの女(ヨハネ福音書4)話があるが、生きがい追及の原点だと思う。
<創造の時4/4>
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