先日、母と雑談をしているときに、私が7歳の時のアラスカでの生活の話がでてきた。「零下15度の日もあって、朝は真っ暗だったけど、小学校だけは良くいってたね~」。なるほど良く行ってたか!
その言葉で、点と点が繋がり、当時の一連の記憶がきれいに解釈できるようになった。
日本の小学校に上がった6歳のころは、幼友達が交通事故で亡くなったり、小学校もひとクラス50人とか60人とかで、何か馴染めなかった。授業中に担任の先生に噛みついたことまであった。問題児だったのかもしれない。ただ、当時は人数が多いのか、問題児もあまり問題にされなかった。
7歳になって間もなく、父の仕事の関係でアラスカのシトカに家族で移った。父に連れられて、現地の小学校に入った。そこは、日本人に似たネイティブが多く、担任の先生もネイティブであったように記憶している。英語も全く知らない私を優しく面倒をみ、クラスの20人位の同級生と馴染ませてくれたのは感謝であった。
アラスカという土地柄も、自然が厳しいだけ、人情が細やかなようである。そして、ある日、父の友人が薦めたこともあり、別の小学校に急遽通うことになった。その担任の先生とクラスの20名くらいの仲間たちは、残念がって、お別れの時にチョークとか色紙などをプレゼントしてくれた。
そんなことで、7歳の時にアラスカで学校嫌いが治ったようである。ただ、日本に戻るとまた、学校が嫌になったりした。しかし、この時の経験は貴重で、心理学を勉強するこのごろであるが深謝している。
人と人のコミュニケーション、魂と魂のコミュニケーションは言葉の壁など問題ではないのだろう。
昨日の朝は雪で大変だったが、アラスカを思い出して平安であった。
<苦難の時2/4>
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