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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大きな影法師・・・罪悪感の原型!

2008-03-02 | 第三章「無意識の世界」

 夕方、多摩川の河川敷で自分の影法師を撮った写真です。

 影というのは不思議で、自分のものでないようで、自分の一部でもある不思議な存在です。そして、自分のあまり触れたくない、罪悪感に関することを連想してしまいます。

 罪を意識したのは何時のことでしょうか?どうやら、6-7歳のころのようです。心理学者で発達心理学の分野で有名なエリクソンによると、このころ目的志向性が芽生える時期で、自発性とともに、罪悪感も発達してくるようです。

 今でも記憶にあるのは、アラスカのシトカに両親と住むようにしばらくして、急に心臓が痛み慌てたことです。父も仕事場から急いで帰ってくるなど、両親も驚いたようでした。

 運が良かったことに、これは身体の問題ではなく、医者から大丈夫と言われました。

 どのような原因だったか今でもはっきり判りませんが、母の話などを総合して考えると、どうも罪悪感を感じていたことは確かだったようです。「悪いことをしたから罰があたった」といった内容を母に言っていたそうです。

 恐らく、幼い頃の勘違いや前年の幼友達の交通事故での死、外国に行って環境が変わるなど、いくつかの要因が重なり、ストレスが溜まっていたのでしょう。

 運が良いことに、両親の愛や暖かいアラスカの方々に助けられて、その後は健康に暮らせたことを感謝しています。

 そのころに感じだした罪悪感は、明確な罪の自覚を伴っていたかは不確かです。罪自体がはっきり実感できない漠とした不安だったようです。明確な罪の自覚と罪悪感を感じたときは、その後の8歳の時の小学校での出来事でした。

 当時は深刻でしたけど、今から考えると自分ながらかわいいと思う罪でした。ただ、その時の罪悪感の原型は、今でも罪悪感を感じる時の土台になっているようです。

 倫理道徳を離れて、自分の罪悪感の原型をのんびり、暖かく思い出すと、はっと自分の真実を発見することがあるようです。当時の体験の再解釈をすることで、自分が楽になれることがあるようです。

 過ぎ去った過去の事実は変えることができませんが、解釈は変えることができます。また、今ここでという、何かを変えていく現場が生きている限りあります。

 罪悪感は、長い目でみると、悔いのない人生を生きるための羅針盤のようです。

<罪の問題2/4>

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